第一章 切符と代償(4)
横須賀堀ノ内=日比谷、リアルタイムアタックの世界記録保持者として列車を降りた僕とセレーナ。
「ここがヒビヤね。で、テイトホテルは?」
改札に向かいながら、そんなことを尋ねられても土地勘のない僕に分かるはずがないので、とりあえず、端末で地図を開く。
「……あ、こっちが近いみたいね」
僕が調べるより速く、セレーナは看板か何かを見たのか、スタスタと歩き出した。
「……で、パーティか何か?」
僕は彼女についていきながら、なんとなく尋ねる機会が無くて放ってあった、彼女の『所用』を今さら尋ねてみた。
「うーん、まあ、吹聴して歩くような人じゃなさそうだから言うけど、今、お父様が会談で一人でこっちへ来ていてね。ちょっと話したいことがあって」
「実のお父さんに? わざわざ遠くまで来て?」
僕の言葉に、セレーナはちょっと何か考えるようなそぶりを見せてから、弱々しい笑みを浮かべた。
「私、結婚するの」
「は、はぁ?」
けけ、結婚て。どう見ても僕より年下なのに。
「結婚したくない人と結婚するの。エミリア王国の決まり」
……そりゃ、伝統的な王国なら、そんなこともあるかもしれないけれど。でも、このご時世に?
「私、お父様の一人娘で、王位を継ぐのは私。だけど、王位を継ぐには結婚しなきゃならないって決まりがあるの」
「王様に、なりたいの?」
「そりゃなるわよ。第一位継承権者だもの」
その突き放したような言い方になんだか違和感があって。
そういうもんなのかな。
なんだか、急に、ちょっと彼女が遠く感じる。
「めんどくさいのが、その相手が、今摂政をしてる、ロッソっていう公爵の養子で、その上、叔父様の実子。王族同士が結婚すると、共同王権ってことになるのよ」
「共同……」
あー、あれか、お飾りの女王と実権を握る婿殿。
事例集だけで人を殴れる本を作れそうだ。
「そうなったら私はただの王妃。女王にはなれない」
「……それは、王様になりたいから」
「なりたいとかじゃないの! なるのが決まり! なれなかったら生まれた意味なんてないじゃない」
また、さっきと同じ違和感を感じて。
なんだろう、何かちょっと、無理してるんじゃないかな、って思った。
生まれた意味なんて、誰も知らないよ。誰だって、普通の学校を出て普通の仕事をして、普通の家庭を持って。そんなもんだと思うんだけど。
けれど、それを指摘するのは、あまりに不敬になりそうだから、いったん飲み込む。
地下鉄の出口を出ると、少しひんやりとした深秋の空気か頬を撫でる。
……なんというか、本人には悪いけど、本当に、歴史の中で何万回も繰り返されてきたドラマ。
王様と外戚による権力闘争。
まさに今、そんな歴史的事実が紡がれようとしている。
いやはや、旧時代の中世のドラマをやってる国が、まだどこかに残ってたなんて。東欧近辺には古い多民族国家が解体されてできた国が山ほどあるっていうけど、そんな貴重な国があるんならちゃんと調べてみよう。
「だから、王様に直談判を、ね」
「ええ、摂政の言いなりの人形になるなんてやだからいろいろ前提をぶっ壊そうってこと」
僕は思わず小さく笑いを漏らした。
つまんない日常なんて壊してしまいたい、と思ってた僕と重なって、なんだか心から彼女の動機を理解できた気がする。
そんな会話をしているうちに、帝都ホテルの威容が視界に入ってくる。
千年以上もの間、この地域での国賓級の訪問者のおもてなしに使われてきたホテルだ。ただ大きいとか綺麗とかではない、なにか得体のしれない迫力のようなものがある。
黒曜石を思わせるような光沢と漆黒が同居する外壁と、不規則に並びながらも全体として不思議とバランスの取れた窓の配置。なんだか背中がゾクゾクするようだ。
なにしろ、かつて、地球が支配される前から、――この街に皇帝がいた時代から、東京を見下ろしてきたんだ。
それは地球上でも最も重い、歴史の礎石。
そこで、王様と王女様が、ちょっとした王国の歴史を書き換えようとしている。
近づいてみると、玄関が見えるくらいの位置には、警官のような恰好の警備員らしき人が立ち、警戒の空気を振りまいている。
僕らが近づくのを止めようとはしなかったけれど、セレーナがいなければあの刺すような視線一つで僕は回れ右していただろう。
「……待ってる? ひょっとすると一、二時間はかかっちゃうわ」
帝都ホテルの玄関がもうすぐそこ、というところで彼女がそんなことを言う。
そう言えば、ここまでエスコートした後のことはちっとも考えていなかった。
「どうなったか、聞かせてくれるなら」
どこの国だかは知らないけれど、その国の歴史の転換点に立ってるかもしれない、なんて思うと、僕は自然にそんなことを返していた。
***
久々に都会のど真ん中の夜景を生で見る。
毛利はもうどこかに来てるかな。
あんな風にあちこちに友達作って、気軽に都会で遊んで、なんてことを真似しようと思ったこともないけど、フットワークの軽さが、ちょっと羨ましい。
――二時間か。でもこの夜景と、知らない人たちを眺めてるだけで過ぎちゃいそうだな。
そんなことを考えていると、ものの五分でセレーナは戻ってきた。何やら、不機嫌そうな顔で。
「……どうだった」
僕は変な八つ当たりを受ける前に尋ねた。
「お父様はもう発ったあとだったわ。もう少し早ければ。あーもう、どうしてあんな遠くに……」
彼女をあの横須賀の僻地に送り届けた協力者が誰なのかは分からないけれど、大層な不手際をしてしまったということになるだろう。
「もしかして、君をこっちに送ってきた人が、摂政のスパイだったとか」
「ふふっ、そうね、だとしたら、閣下も大したものよ」
彼女は特に否定するでもなく、力なく笑った。
「今頃もう国境越えてるわね……また考えなくちゃ」
言いながら、彼女は、アンチスキャンのケースから僕のIDを取り出して差し出してくる。
「じゃあ……ここで……いいのかな?」
僕はそれを受け取りながら訊いてみると、
「うん、ここでいいわ。ありがと」
なんだかんだでちょっと楽しくなっていたけれど、どうやらこの冒険もここいらでおしまいみたいだ。
どこの国だか知らないけれど、エミリア王国の歴史はまた今度ニュースで知ることになるだろう。
この後どうしようかな、せっかくなら少し東京で息抜きでも……でもまだ一度も家に帰ってないしなあ。
「……いやさすがにそれはないわね」
僕の思索の続きのように、セレーナがつぶやく。
「何が?」
「いえ、この後のことで」
東京で息抜き?
なんて話は彼女には関係ない。
彼女は何度か逡巡するようなそぶりを見せた後、ようやく口を開いた。
「例えばの話として聞いて。この後、最悪4、5日付き合ってって言ったら、困るかしら」
「外泊」
「そうなるわね」
国境を越えた王様。王様を追う王女様。4、5日の外泊。
答えは一つしかなくて。
「それはちょっと」
さすがに、いきなり国境を越えた追跡劇に参加するのは。
と、ほぼ即答していた。
「その、お礼だったらなんでも。私個人のクレジットの余力なら、4億クレジットはあるんだけど」
僕の喉がしゃっくりのような音を出した。
4億って。ちょっとした外宇宙の資源商社を丸ごと買収できるような金額だ。
確かに、数百万クレジットを一瞬で動かして鉄道網を占拠するくらいのことはできるみたいだし。
お礼。例えば、――宇宙中を駆け究極兵器の証拠を探すための、宇宙旅行チケット。
昼間の浦野との会話が、頭のどこかにこびりついていたみたいだ。
だけど、それはそれはさすがに今じゃない。僕には何も準備がない。
とりあえず家に帰らなきゃだし。
それから今日のことを親父に話して親父の小料理屋の片付け手伝って。
休みが明けたら学校も行かなきゃならないし、考査の結果も気になるし。
次の学期からも大学に向けた考査を受けて。
来年には行きたい大学を探して。考査結果と折り合いをつけて。大学で職業適性検査を受けて。
「その、ごめん、なにか欲しいってわけでもなくて、その、いきなりいろいろ放り出すわけにもいかなくて……」
僕が言うと、さらにセレーナはうつむきを深くし、何かをこらえるようなしぐさを見せた。
「――そうよね。ごめんなさい。私、あなたのこと何も考えずに好き勝手なことばかり」
あっさり引いたセレーナを見て、僕は逆に、彼女が何を考えているのかを聞いてみたくなった。
「いや、謝ってもらうようなことじゃないよ……そもそも君が何を考えているのかも聞かずに、僕の方こそ」
正直なところ、見た目は飛び切りの美少女と四、五日外泊なんていうシチュエーションに下心が湧かなかったとは言わない。
「そうね、簡単に言うと、あなたのIDをかくれみのにして、お父様の先回りをしたいの。今回のお父様の早駆け、たぶんロッソ……摂政閣下が私の動きに気づいていて仕組んでた気がして。居所を知られずに動けるなら、まだ先回りの目はある」
その青い瞳に、赤い炎が灯ったように感じた。
「それに、その、今はまだ……うまく伝えられないんだけど、私がロッソの手に落ちることは、その……国をすごく危うくすることで。私はエミリアが好きなの。守りたいの。助けてほしい」
熱を込めてしゃべるうちに、彼女の瞳は潤みを帯びている。
女王になるのが決まり、と彼女が言ったときの違和感が、ふとよぎる。
何か無理しているように思えたあの違和感。
あの時感じた違和感が、無い。
なんだか、聞き取りにくかった音声から突然ノイズが消えたような、そんな感覚。
……なんだろう。その正体がいまいちつかみきれなくて、なんだか僕の心がきゅっとする。
「……でも、ごめんなさい。私は、あなたの立場を理解するべきでした。ここまで助けていただきありがとうございました。ここで十分です。このご恩は一生忘れません」
セレーナがそう言って右手を僕に差し出した。
彼女が差し出した右手は、別れの握手を求めているのだろう。
ちょっとした王国のちょっとした歴史の転換点に触れて、まあちょっと楽しかったな、と思いながら握り返そうとしたとき。
――白くて華奢な指先が、小さく震えている。
何物も恐れぬ王者の傷一つない指先――のはずなのに。
その小さな震えを見て――僕の心臓の鼓動が、リズムを変えた。
そして、はっと見上げた彼女の瞳に、決意に似た色を見た。
『国を守りたい』
――その言葉こそ、きっと彼女の本音。
消えた違和感の正体。
僕から見ればどこかで聞いた簒奪劇――でもそれはきっと、彼女にとってはこの世で一番切実な戦いなんだ。
そのために、籠の中から飛び出そうともがいている、その姿。
何もかも誰かから押し付けられる『日常』から逃げ出したい、それはきっとセレーナも一緒で。
彼女は、僕と同じように、在り方を受け入れて、空に伸ばす手を引っ込めてもよかったはず。
セレーナの右手を見つめる。
その右手は、まるで、僕に意気地なし、と告げているようだ。
たった数日、王女様を守る騎士のまねごと。その程度のこともあなたはできないのよ。
すらりと伸びた右手は、僕に、そんな現実を突きつけている。
――馬鹿にするな。
王女だか何だか知らないけれど。
僕は、差し出された右手を取り、握った。
「さようなら、ジュンイチさん、ではこれで……」
微笑んで言いかける彼女をさえぎり、
「一人で決めないでくれ。僕にだって騎士のまねごとくらい、できる」
自分でも、どうしてこんなひねくれた言い方しかできないんだろう、と思わざるを得ない言葉だった。
だけど、僕が今まで感じていた、おなかの底の嫌な気持ちの正体が、言葉になった。
カッコ悪い。
なんで僕はこんなにカッコ悪いんだ、と。
それに比べて、セレーナ王女は、なんてカッコイイんだって。
こんなところでコソコソしてる彼女は至上の存在なんかじゃない。
僕と同じ何もできない子供だ。
なのに、一人で踏み出そうとする姿に対して、気が狂いそうなほどの格の違いを見せつけられて。
だから、僕はその手を取って、偉そうに宣言するのだ。負けない、と。
僕の宣言を聞いた彼女のその顔は驚きだろうか。
大きく見開いた目は、僕の目をしっかりと見ていて。
……?
あっ。
そこで僕は盛大にやらかしたことに気づいた。
妄想の世界にたっぷり漬かっていた僕は、彼女の右手に勝手に侮蔑の意味を付け加えて、僕への決闘の申し込みに変えてしまっていた。投げつけられてもいない手袋を幻視して受けて立ってやると……勝手に一世一代の勝負に昇華し、握った右手で勝ち誇って見せたのだ。
これはひどい。我ながらひどい。
顔が冷たい空気にあらがって火照ってくる。
あー。
無理。
死にたい。
今すぐホテルの礎石に頭ぶつけて死にたい。
うつむいて表情を隠していると、
「……ありがとう」
彼女の小さなつぶやきが聞こえた。
僕が思わず顔を上げると、とたん、セレーナは握ったままだった僕の右手を払うと背筋を伸ばし胸を張った。
「い、いい心がけね! いいわ、騎士候補にくらい、してあげる! せいぜい私に恥をかかせないことね!」
言い放って、彼女はツンとそっぽを向いた。
――かなわないな。
きっと彼女は僕の葛藤やらなんやらは全部お見通しなんだろう。
そんな僕が惨めな気持ちにならないように、わざと傲岸不遜にふるまってくれている。
かなわない。
でも、こんな眩しい人の騎士候補なら、悪くない。
そんな風に、少し頬を緩めてしまった。
何度も見たはずの東京の夜景は、なんだかいつもより、鮮やかに輝いて見えた。
***




