第五章 真実の航海録【ログブック】(6)
ロッソ公、カルリージ女伯爵、サルヴァトーリ子爵は再び一堂に会していた。
国外諜報に目を向けていたサルヴァトーリが思わぬ情報を持ち帰り、エミリア宮殿が蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
そして、その原因を作ってしまった三人が顔を寄せ合っているわけだ。
「閣下、申し訳ありません。なにがどうなったものか……まさか殿下が……」
サルヴァトーリ額に手をやって、冷や汗を拭う。
「……落ち着かれよ、サルヴァトーリ卿の責任ではありませぬ」
ロッソは、そのように言ってから、小さく鼻を鳴らす。
「まさかロックウェルに取り込まれるとは、少々殿下を買いかぶっていたようで。なんとも情けない、エミリア王女ともあろうものが」
「身分は停止しておりました。間違いなく、我々とて足取りを追えぬよう手配しておりました。たとえロックウェル領内を行き来しようとも――殿下がそのような軽率を成すとは思えませぬが――ロックウェルが殿下の行動をかぎつけることはできなかったはずでございました……」
「軍務省にもだいぶ骨折りいただいたことは知っております」
「一体どこから漏れたのか……」
気にするなと言われても、軍務省を始め、この件の情報統制を一任されていたサルヴァトーリ卿にとっては、大失態であると同時に、そのプライドをひどく傷つけられている。
「ふふ、あの青年が良い仕事をしすぎたのでしょうね」
唐突に横から口をはさんだロミルダが薄笑いを浮かべる。
「若いというのはうらやましいものですわ。情熱の導火線が短く儚い……義に篤い殿下と情に厚い青年、思いもよらぬ反応があったということ。あの青年の情熱に動かされて敵地に降り立ち、あの青年の安全と引き換えに策に乗ったといったところでしょう」
そのように笑うロミルダを、ロッソは少し不快そうに一瞥した。
セレーナはもちろんロッソの政敵だ。
けれども、それ以前に、ロッソはエミリア王家に仕える臣であり、エミリア王家の誇りは何より優先されるべきものだ。
ロミルダ・カルリージ女伯爵の言はまさにそのエミリア王家の象徴たるセレーナ殿下を侮蔑し嘲笑するものであった。
ロッソには決して受け入れられない価値観だ。
しかし一方で、ロミルダの言にも反論しがたい迫力がある。ロッソとて血の滾る若き頃はあったのだ。
セレーナ殿下の動機を左右するような危険物を宇宙に放り出すことなど到底許容できない。
どのように事態が推移しようとも、あの青年は必ず確保せねばならぬ、という確信を深める。
だが、今そんなものを表明して、この密談をややこしくすべきではない。
「殿下の動機を推し量るは不遜なればひとまずその話はカルリージ伯の胸のうちにとどめ置いていただきましょう。まずは、いかにこの難局を乗り切るか。ロックウェルが艦隊まで動かすとなれば、もちろん例の件ということでしょうな」
「はい。おそらく殿下も確信は持っていらっしゃらないでしょうから、恐れ多くも武力をもって閣下を罷免し、御自ら尋問をもって明かそうとするでしょう。だからこそ地球で陛下の会談に割り込もうとしたわけですし」
「となればわたくしも洗いざらい話すよりほかありませぬ。いかに殿下と意見が合わぬとはいえ、わたくしはなによりエミリアの忠臣なれば」
「かようなことを成されては困ります」
「そう言うそなたとて、同じでありましょう、サルヴァトーリ卿」
ロッソの指摘に、サルヴァトーリも、ぐっ、と黙り込む。
いかに陰謀をめぐらせようとも、エミリア王家という威光、威信に逆らうことは、彼らの遺伝子が許さないのだ。
そのように考えれば、ロミルダは突然変異種と言ってもよい――が、彼女の出自を考えれば無理からぬところもある。
「事ここに至ればわたくしの摂政の座など誰にでもくれてやってよろしい。幸いにも例の件はもう地ならしは終わっております。ただ、ベルナデッダの航路を押さえられるのだけは何とか防がねばなりませぬな。ブラージ公と話し合う手筈は整えられますか」
「ブラージ公とてベルナデッダの防空艦隊を動かすのに手一杯でございましょう、しかし、なにはなくとも伝手はたぐりおきます」
「む、頼みましたぞ。しかしこうなると手が足りぬ。ロックウェル艦隊が穏便に退いてくれればそれが一番良いが、やはり一戦交えるよりほかなし、か」
自分に向けてロッソはそう言い、続けて
「殿下とてエミリアの地をロックウェルに踏ませようとは思いますまい。殿下がうまくやってくれるのが一番良いのですが」
「ロックウェル艦隊が疲弊するまで何とか粘っていただくしかない。ブラージ公には戦後それなりの補償なり褒賞なりを陛下にお願いせねばなりませぬが、何か月かは粘っていただきながら、補給路を断って干し上げるという形でしか、穏便な決着とはなりませぬでしょうな」
「しかし、粘り続けるも……困難が伴います」
「……サルヴァトーリ卿、それはどのような意味ですかな」
「いずれ業を煮やした――あるいは恐怖に駆られた誰かが、殿下に向けた砲口に火を投げ入れかねませぬ」
そのサルヴァトーリの言葉に、ロッソは軽く顔をしかめた。
そうなってくれればよい、という気持ちがわずかながらあることに気づき、しかしそれは彼の遺伝子が強烈に嫌悪をもたらす考えだからだ。
ちらりと見たロミルダは、目を閉じて静かに二人の会話を聞いているだけで、嫌悪を共有するどころか頼りになりそうもない。
「より恐ろしいことには」
さらに、サルヴァトーリが続ける。
「そのようになることを予感したグリゼルダ公ヴェロネーゼ家が、孫娘を守るため兵を動かすことにございます」
「……ロックウェルとの決着を見る間もなく、内乱、であるか……」
ロッソは独り言ちながら、ふう、と大きなため息をついて、天井を見上げた。
「もはや、降伏しか無いように思われますな」
彼は、自嘲的に、二人に語り掛けた。
「いいえ閣下」
しかし、それを否定したのは、それまで黙ってたロミルダ。
「私どもは今、詐術を以て殿下の身を拐かしたロックウェル連合を誅する機会を得たのでございますよ」
その顔に、冷たい笑みを浮かべている。
「閣下は、あの艦隊が殿下という鎧をまとったとお思いになる。いいえ、私には違うように見えております。あの艦隊は、殿下と青年という恐るべき毒を飲んでしまったのでございます」
まるでそのように考えていなかったロッソとサルヴァトーリは、目を見開いてその言葉を受け止めている。
知恵も勇気も実力も何もない十六の少女、そう思うことを忌避していたにもかかわらず、真の危機には、そのように断じて、王女殿下に解決する力がないと思い込んでいたことを、自覚させられる。
「……殿下が、内部工作を画策されると」
「ええ、殿下と青年が、きっと何かを企んでいますわ。ですから、まず降伏などお考えなされませぬよう。さしあたりは――」
そう言ってロミルダがサルヴァトーリに視線を送ると、彼もその意図を理解した。
「そうですな。ヴェロネーゼ公だけは何とかけん制してグリゼルダを出ぬよう押しとどめましょう。軍務省に手配いたします」
「うむ、たのみますぞ。ここは殿下を信じねばならぬところであった、カルリージ卿、かたじけない」
「いいえ。私は軍事には疎いものですから、人を信じることしかできませんの」
ロミルダが頷くと、ロッソは、少しの自嘲と希望を乗せた苦笑を浮かべた。
間もなく、ベルナデッダ上空で、エミリアの運命をかけた戦いが、始まる。
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