第四章 戒めの重さ(4)
翌日も朝から豪華な食事攻めにあい、それが終わってから、僕らは、エディンバラに行くことを告げた。
それを聞いた担当者は喜んで上に伝え、最終的にランチ直前に少しだけ時間のできたレナルドが直接僕らに会いに来て逆に礼を言われた。
僕らの船で行くのではなく、彼らが客船を準備し、僕らの船もそれに積み込んで行くという話になっていて、客船の準備にもう一日待たされることになった。
もう一回の小規模だけれど豪華な晩餐会(その時には僕もフォーマルを仕立ててもらってそれなりの姿だった)を経て、翌日の昼前に出発。
僕らが乗る大型客船は、セレーナの船と同じ、マジック推進船だった。
その大きさはセレーナの船の十倍はあり、セレーナをして、これだけの規模のマジック推進船は見たことがないと言わしめるものだった。
実のところ、マジックの研究はエミリアよりもロックウェルの方が進んでいるらしい。
その船の大きな格納庫には僕らの宇宙船がすでに据えられていた。
そして事実上貸し切りだということがすぐに分かった。
これだけの船を何日も、となるととんでもない料金になりそうなものだけれど、結局それは、セレーナが『これはお忍びでは済まない』と言ったことを証明してもいた。
聞きなれたマジック機関の唸りをもっと低くした音が遠くから聞こえ、加速を少しだけ感じたかと思うと、あっという間に船内は無重力になっていた。
しばらく後、おそらく宇宙にもう飛び出したろう、という頃に、ほんのわずかに床方向に重力を感じるようになる。どうやら、ゆっくりとした回転で重力を模擬しているようだった。
せっかくだから楽しみましょ、と誘いにきたセレーナと、船内の探検に踏み出す。客室を出ると、廊下が船の前後方向に貫きその果てはほとんど見えず、その廊下の両脇に客室がならんでいる。廊下の何か所かに階段ホール。
せっかくなのでほかのフロアに向かってみると、上へ向かって歩き始めるとすぐにどちらが上なのかを忘れ、いつの間にか体は浮いている。重力のないこの辺は低級クラスの客室があるのよ、とセレーナが言う。さすが、豪華客船というものに慣れているようだ。僕は初めての体験で、もう最初から最後までわくわくしっぱなしで、ニヤニヤと僕の様子を見ているセレーナの態度もちっとも気にならなかった。
最上階はホールやレストランや売店が集まった共用スペースになっていて、ここで重力は完全に反転していた。ここに重力があるのは地上と同じ作法で乾杯と飲食を楽しむためなのだそうだ。
「見て、ジュンイチ、この船、ダンスホールまであるわ」
そんな中で一画の、ただ広くて、やたら天井が高くて、なんだか変な棒だのひもだのが並べ立てられた部屋をみて、セレーナが言う。
「ダンスホール?」
「ええ、そうよ。宇宙でダンスを踊るための特別な仕掛けがあるからすぐに分かるの」
「無重力で?」
まったく、こんなに体がふわふわとする中でダンスだなんて全く想像もつかない。
「宇宙国家間の社交界で生きていくためには、微小重力ダンスは必修科目よ。軌道上の客船内で外交儀礼を交わすことだって多いんだから」
そう言って、セレーナは僕の手を取り、そのホールに引っ張り込んだ。
「こうするのよ」
そういってセレーナは床をとん、と軽く蹴って空中に飛翔すると、天井に目立たぬよう並べられている取っ手のようなものに軽く触れ、すると途端に体の向きはくるりと回転して、と思うと、まるで空中でステップを踏むように、突き出た虹色の棒の間を三拍子で飛び、優雅なターンを決めて僕のところに戻ってくる。
「ほら!」
と僕の手を引っ張り、僕を空中に投げ出す。
セレーナの顔が輝いていて、思わず赤面しそうになる。
あわてて近くにあった赤い棒を右手にとって体を止めると、セレーナはもう僕の目の前にいて、反対側の手を取るとさらに別の方向にふわりと投げる。
次は多少落ち着いて今度は左手で青い棒をつかみ、予想通りに飛んできたセレーナを受け止める。彼女の腰に回した腕が、そのあまりに細いのを感知し、僕の鼓動を上げる。
すぐに彼女が僕の右手をとって脇にもぐりこむしぐさ。察して右手を持ち上げて彼女のターンをサポートしてみた。
「そうそう、上手いじゃない」
そして、セレーナの手が、腕が、腰が、足が、僕を上手に導いて、僕はくるくると踊っている。
それを見てセレーナも、声を上げて笑いながら、さらに上手にホールを飛び回る。
黄金色のツバメが宙を自由に飛び回るようで。
僕は思わず見とれてしまう。
そんなツバメが、時々、僕に触れては離れ、また近づいて――。
――永遠に続くと思った時間は、すぐに終わった。
ふう、と息を吐いて、セレーナは少し上気した顔にうっすらと汗を浮かばせながら、
「楽しかった。久々にこんなところで踊れたから」
備え付けのタオルで軽く顔を押さえている。
「僕も、なんだかよく分からないけど楽しかったよ。社交ダンスなんて何が面白いんだろうと思っていたけど」
偽らざるところを口にし、僕は両手に持ったタオルで顔と首筋をこすった。
「もう少し上手にとか、かっこよくできたらな、なんて。到底無理だろうけど」
セレーナみたいに踊れるようには、きっとなれないだろうな。
「ダンスが飽きないのはそんなところよ」
そして、もう一踊りする? と彼女が言ったところで、船内放送で、間もなくカノンジャンプのために疑似重力を停止する、とアナウンスがあり、さらなる練習をあきらめて僕らはスイートルームに戻ることにした。
戻る道すがら、僕はふと気になっていたことを訊いてみた。
「そう言えばさ、こうやって下にも置かれぬ歓待を受けているわけじゃないか。お忍びの家出なんてそんなものだ、なんて言ってたけど。よくあるんだ?」
「そうね、よくある、ってことはないわ」
そう言って、セレーナは、うーん、と考え込む。
「事前予告しての訪問なら当たり前の歓迎だけどね。特にトライジュエルは金融大国だから、お金は持ってるし。だけど、全く予告無しで、ってことは、今までに、そう、一度だけね」
「それは、今回みたいに家出して適当な惑星を飛び回ってて身分に気づかれて、っていう?」
「そうね。普通は船で寝るのに飽きて手近な惑星で宿を取ろうとしたときには、これから行きますけどお構いなく、くらいの連絡はするんだけど。そのときはくさくさしちゃってて連絡サボって。街で適当なホテルに入ってフロントでID出したらその星の外交官がすっ飛んできて。あのあわてた顔ったらなかったわ」
そう言って彼女はくすくすと笑った。
「ま、大国の王女様を安宿に泊まらせたなんて知られたら、その外交官の首も怪しいところだね」
「こっちは気にもしないのにね、あの汗びっしょりのスーツ姿は忘れられないわ。おかげでくさくさは吹っ飛んじゃったけどね」
そう考えれば、後々にどんな面倒が起るか分からないなら、あの必死の歓迎の理由も分からないでもない。でも、あれ?
「そう言えば、今回、君のIDをどこかで見せたっけ?」
「……え? 言われてみればそうね……」
僕の何気ない問いに、彼女の笑顔は少しこわばる。
そこで僕はさらに思い出した。
彼女のIDに起こっていること。
彼女の宇宙船に起こってること。
「君のIDは無効になってる。船の操縦者証には僕のIDをずっと使っていたし、船の持ち主も僕に書き換えて……」
「……私がこの船に乗ってるってどうして分かったのかしら?」
セレーナが結論を付け加えたことで、僕はぞっとした。
いけない。
彼らがなぜセレーナのことを知っているのか?
王女用とは言え機体そのものは一般の小型マジック船。
しかも、とるに足らぬ地球人の所有になっている。
それを、エミリア王国王女と結びつける唯一のよすがは、『ID』でしかないはずなんだ。
そのIDは、まさに無効になっている。
本国、エミリアでさえ、そのことは分からない。地球を中心に宇宙全体で管理しているIDは、そんな抜け道を用意しない。
なのに彼らがセレーナの搭乗を知っている。
どこかから、僕らを僕らの常識を超えた視線が追っている。
想像もつかない、恐ろしい視線が。
それはまるで、全知の神のような視線。
そんな視線に射抜かれている――僕の中に、かつてないほどの不安が湧きあがり、警報がけたたましく鳴り響く。
――陰謀がある。
ちょっと貸しを作る、程度じゃすまない、とんでもない陰謀がある。
今、こうして、セレーナは彼らの用意した船にまんまと閉じ込められてしまった。
しかも、彼女がいつものちょっとした家出ではなく、身分を停止されエミリア本国からも追跡できない状態――つまり何かあっても救助できない状態だ――ということさえ知ったうえでの陰謀だ。
何てことだ。
僕は大変な間違いを犯した。
僕の浅はかな判断で、王女を無援の囚われにしてしまったのだ。
「こんな歓迎をうっかり受けても、結局は、君のIDを追ってるエミリアの後ろ盾があるから君はいくらでも誘いに乗れる。でももし、そのIDが停止されていて、エミリアが君の動向を探る手段を失っていたら。そして、エミリアが君の動向を知る術がないと知ってこんな誘いをかけてきたのだとしたら」
僕は心の中の不安を全て言語化してセレーナに突き付ける。
セレーナも、さっきまでの自信に満ちた表情が、嘘のように凍り付いている。
「……この船、格納庫に行く方法は分かる?」
僕は、青い顔をしているセレーナに尋ねた。僕の問いに、セレーナも、僕が考えていることを察したらしい。
が、答えは。
「いいえ、こういう船は、宇宙を航行中は格納庫には入れないわ。私たちが宇宙船を取り返して逃げ出すことは、無理」
「ジーニー・ルカ! この船もそうかい?」
セレーナのリボンを通して聞いているはずのジーニー・ルカに向かって僕は叫んだ。
「……ええ、そうよ」
ややあって、セレーナはジーニー・ルカの代わりにゆっくりと答えた。
「それでも、可能性はあるだろう、ジーニー・ルカ、格納庫への道案内をしてほしい」
僕が言うと、すぐにセレーナが一方を指差した。それは僕らのスイートルームのある下層へ向かう道。
いつの間にか擬似重力は完全に消え、無重力の中を僕らは突進した。スイートルームのある最下層よりもさらに下に向けて階段ホールが突き抜けていて、どうやらその先が格納庫スペースだ。
途中でカノン発射が間もなくと言うアナウンスが聞こえるが、僕はそれを無視した。
たどり着いた袋小路は、縦横四~五メートルの部屋に二つの大きなハッチがあるに過ぎず、それらのハッチは強力にロックされていた。
「引っ張って開くようなものじゃないわ」
ハッチのノブを持ってねじったり引っ張ったりを試す僕に、セレーナが言った。
「少なくとも、そのハッチの先を与圧しなきゃ進めない。でもその与圧のための制御盤がここに無い以上、私たちにできることは無いわ」
「じゃあ制御盤を奪いに行こう」
「無茶言わないで。並み居る警備員をなぎ倒してコントロールルームを占拠するっての? たった二人で?」
セレーナは呆れ顔で僕に言った。
「もし、あなたの……私の……考えているような陰謀があるんだったら、じたばたしてもしょうがないわ。目的は分からないけど。でも、そんな陰謀なんてそもそもないかもしれない。まず事実を確かめることよ。落ち着きましょう」
「だけど、よりによって今だ、君のIDが消え失せて、君のことが誰にも見えなくなっている、まさにその時に――」
焦りばかりが先立つ。
何か手が無いか。
「階段ホールはほかにもある。もしかすると格納庫での事故に備えて緊急操作盤のあるところだってあるかもしれない」
僕はそう言って、セレーナの返事も聞かず再び一つ上の階層に飛び出した。
階段ホールを出たT字路で、船の前後軸を貫く廊下。
そこで、僕は後方を選んだ。
前方は操縦室がある。船体の管理もそこで集中的にしているはずだ。
とすれば、そこから最も遠い場所に事故に備えた設備があるかもしれない。
焦った体で無重力の廊下を走るのは難事だった。
何度も力を入れすぎて壁の右に左にぶつかりながら進んだ。
セレーナが後ろについてきているかも確認する余裕が無かった。
たった百メートルやそこらを走破するのに何時間もかかったような感覚だった。
事実を確かめるのは後でいい。
行動だ。
いつでも逃げ出せる準備を。
何が出来るか分からないけれど。
とにかく、なんとかしなくちゃ。
動こう。
とにかく動くしかない。
必死でもがくように手すりを手繰り続ける。
――ああ、僕の責任だ。
僕がもう少し考えていれば。
もう少し注意深ければ。
通路の最後部に達する。
目の前はメンテナンス用の小さな扉だけの袋小路。
左を見ると、先ほどと同じようなT字路、その先は階段ホールになっていて、格納庫のある最下層への階段もありそうだ。
その階段ホールに飛び込もうとしたときに、突然周囲の景色が横にぶれ、僕の記憶は途切れた。




