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毒にも薬にも 1 


そんな贅を尽くした華やかな舞踏会に潜む一つの陰。

苑の十六番目の王子、朱里。

 

彼は害のない優しげな面差しの下に薄暗い感情を隠しながら、好意的な笑みを自身のパートナーに向けていた。

 

朱里は色狂いの愚王の男、ほんの気まぐれに手にかけられた故に生まれた子であった。

朱里の母は普通の女だった。

 

普通であるがゆえに狂った。女には結婚を約束していた男がいたが、しかし王の気まぐれによって全て散ってしまった。


たった一度限りの契りで子を身ごもったことにより。

後宮には他国から嫁いできた高貴なる血筋の姫や自国の重鎮の娘、美しさを武器に娼婦からのし上がった女もいた。

 

そして女のように手慰みに摘まれた女たちも数多くいた。

そんな後宮の中で、女は緩やかに狂って行った。


昼夜問わず突然笑い出し、踊り出す。そんな女を見舞いと称して訪れた王が朱里に渡した包み。

子供のようにコロコロと笑う女を、何の感情を灯すことなく一瞥し。


「今夜にでもこれを飲ませよ」


不要なものを排除するように、軽く命じた。

それが朱里と前国王が交わした最初で最後の会話となる。

 

朱里が中を改めると真っ白な粉末が二包み。

小指の端に付けて少量舐めてみれば致死の毒であると分かった。


二包みとは朱里と女の分であろうか。

とうに女のことなど忘れたと思っていた王が、このようなものを渡してくるとは。

 

純粋に驚きがあったが、色狂いの王の事だ。

大方目をかけている女に請われたのだろう。


「母上、父上からの初めての贈り物ですよ。どういたします?」


寝台の上で楽しそうに笑っている女は、父の名を聞くと途端に顔を顰めた。そのような物いらぬと吐き捨てた女に、そうですよねと朱里は笑って答えた。


それでは私が処分いたしましょうねと泣きそうに顔を歪めている女を朱里は宥めた。

 

次の日、愚王が可愛がっていた踊り子が原因不明の奇病で死んだ。

朱里の祖父はかつて王宮直属の医師であった。

 

王の裏切りとも言える行為に、その地位を退いたが、祖父の腕は確かなものであった。王が女を手にかける前に、その事実を知っていれば思いとどまったであろうと思うほどに。

 

そしてその祖父の血を、その才を朱里は強く受け継いでいた。

薬の調合に置いては、自身を凌ぐやもしれぬと祖父が零す。

 

毒と薬は紙一重。全く異なる物のようで、同じものだ。

毒は薬にもなり、その逆もしかり。

 

その扱い方を朱里は祖父より学んだ。

毒と毒と掛け合わせると薬になるときもあれば、より強い効果を持つ毒になるときもある。

 

全ては使い方次第。

毒も薬も特別珍しいものではない。

 

魚や虫、植物が自衛のために自然兼ね備えているものだ。

ほんの少しのさじ加減で毒にも薬にも。

 

退屈であった後宮で、朱里は至上の楽しみを見出した。

匙一つの分量が、生と死の天秤を上げ下げする。

 

その面白さにのめり込み、夢中になった。

 

幸いにして、祖父を通じ大抵のものは手に入ったし、実験体となる物もそこらじゅうに溢れていた。

半ば放置気味である後宮から数人消えようが誰も気に留めない。 

色狂いと知られる王は国として恥ずべき存在であり、それを象徴する後宮は要らぬ者の掃き溜めとなっていった。

 

薬の効果を試せる二本足のネズミは、いかに使っても足りぬことはなかった。

しかしやはり、自身の体で試すことが分かりやすいのは言うまでもない。

 

その興味の代償にかけるのは、自身の命。

自身の命を引き換えにしても、その興味は尽きない。

 

無法の後宮は朱里に打ってつけの遊び場だった。

しかし紅蓮王が擁立してすぐに、後宮の粛清が行われた。そして遊び場は崩壊した。

 

あの父の血を受け継いだとは到底思えぬほどの聡明な紅蓮。

後宮が紅蓮の支配下に置かれてしまい、ネズミは容易に手に入らなくなった。

裏で行っていた毒薬やネズミの売買も難しくなった。

 

祖父が亡くなってからは、自身で開拓した裏の手段で薬やネズミを得ていた。

後宮では成人男性のネズミが手に入り難いゆえに重宝していたのに。


仕方なしに今まではネズミで試していたものまで、自分の体を使うようになった。

その負担は致命的なもので、朱里はもう長くない。

 

別にそれは良い。思うままさんざん遊んだ。遊び足りない思いはあるが、朱里は後悔をしていない。

あの紅蓮の目をいつまでも掻い潜れるとは思えぬし、しかし紅蓮に首を刎ねられるのも業腹だ。

 

残された時間、今までと同じく薬で遊ぶのも良い。

しかし遊び場を奪った紅蓮に、嫌がらせをしてやろうと朱里は考えた。

 

紅蓮さえ王にならなければ、もっと楽しめたはずだったのだ。

玩具を奪われて、そのまま我慢するのは面白くない。

 

薬やネズミという遊び道具を調達するのに重宝していた闇で、苑の書を欲するものがいると耳にしたことがある。

その者に繋ぎを付けた。

 

王家に属しながら、闇に染まる朱里を知っていたのかその者はすぐに応じてきた。

苑が保有するその書は、とある大国にその不読を解く鍵があると云い伝えられている。


その真偽は定かでないが、ついでにそれも手に入れようかと持ち掛けた。

男は朱里の申し出に、疑うような目を向けた。

 

明らかに利が少ない話の持ち掛けを訝しむ男の気持ちも分かるが、朱里にとって利などどうでも良いことだ。

紅蓮が守る苑が揺らぐ少しの波紋になれば、それだけで満足だ。

 

さてどう動くのが、もっともその揺らぎが大きくなるのか。

それを考えるのは薬の効果を考えるのと同じくらい心が躍るものだった。

 

苑の王家の血を引く自分。

愚王であった父により崩れた国を立て直すには、あの紅蓮でさえまだ時間を要する。

 

それを最大限利用する方法を考え、朱里は苑の地を後にした。

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