黒豆による厨二病解説
毒を得意とする朱里が、違法の薬物を他国に売り捌いていたこと。
露見することは朱里も予測していたようで、追っ手を差し向ける前に逃げ果せてしまったこと。
その際、王家所有の書を盗んで行ったこと。
その書を解読できるものはおらず、しかしその解読法が他国にあると言い伝えられていること。
逃げおおせた朱里は、アーロイン家のご子息を使い、チェルシーに接触を図ろうとしたこと。その所在はいまだ分からぬこと。
「しっかし……チェルシーに目を付けるとは…」
「チェルシーは、ルーク王太子殿下とも懇意な付き合いがある現宰相の令嬢です。ここからは僕の推測ですが、アーロイン家のご子息を使ってチェルシーを呼び寄せ、引き入れようとしたのではないかと。朱里は薬物の扱いに長けています。それを用いて相手を意のままに動かすことも、また朱里のお決まりの手口です」
朱里王子がどこまでこちらの事情に通じているのか定かではないが、チェルシーがルークの弱みの一つであるのは確かなことだ。
「僕と朱里の姿形は鏡のように瓜二つです。親しみを持つものの言葉はより効果がある。赤の他人ではなく僕の姿に、チェルシーは油断するでしょう。それも、朱里がチェルシーに目を付けた理由かもしれません」
実際黒豆が記録したというアーロイン男爵家の子息と会話していた男の声は朱里王子のものらしい。
しかしチェルシーはその声を聞き、紅葉王子のものだと誤解した。
「はぁぁぁぁ…なんてこった。なんでこういう厄介ごとって、纏めて来るんだよ。横に一列で来るんじゃなくて、縦一列で並んでくんねぇかなっ。……もう処理しきれん…」
大きなため息とうめき声を上げ、ルークが頭を抱え込んだ。
それに紅葉王子が、わが国の失態誠申し訳ございません、と恐縮した様子で謝罪を繰り返している。
「舞踏会の準備に、戴冠式の支度。俺の正妃選定に、チェルシーの良婿選び……」
「最後のはやらなくて良いから」
「留めに苑の朱里王子の姦計か。何もかも投げ出して、逃げ出したくなるなぁ…ははは……」
「分かります。逃亡先は農村地帯ですね」
紅葉王子が何度か頷いて、同意を示した。
「やっぱり似てるよね。この二人」
それを見たチェルシーが思わず零した言葉にデインは少し納得してしまった。
ルークは泣き言を零した後で、気分を切り替えるように自らの頬を叩いた。
それから、おっし気合入ったっ! と立ち上がり
「悩んでても仕方ねぇ。朱里王子の捕獲、俺も協力してやる」
協力してやると言った時に、ルークはちらっとチェルシーを流し見た。朱里王子が再び、チェルシーを狙ってくる可能性は多分にある。
ありがとうございます、と紅葉王子が深々と頭を下げた。
がしっと握手を交わしたあとで
「作戦を練る前に、そちらの方についてお伺いしてもよろしいでしょうか?」
紅葉王子は、テーブルの片隅で書に齧りついている黒豆を見やった。
黒豆はこちらの話は一切遮断している様子で、書に夢中になっている。
チェルシーがすすめる菓子にも反応がなかった。珍しいと思い、デインが口元まで運んでみれば魚のように食いついた。
しかし自分から皿に手を伸ばすことはない。
それほどまでに集中している。
「あの、お取込み中すみません。少々、お話を伺っても?」
位が高い紅葉王子は、腰が低い。
メイド服を着ている黒豆にも上の者に対するような丁寧な言葉を使っている。
権力に笠を着て威張り散らす者が多い中で、好感が持てる人物だ。
どのような身分のものにも、柔らかく接する方なのだろう。
紅葉王子の声に、黒豆が顔を上げた。
「その書を読み解けるものは苑にはおりません。どのようなものなのか、お教えいただけますか?」
いや、うちの国にもいねぇーよ? とルークが呟いている。
苑には書を読み解く鍵が我が国にあると言い伝えがあるらしいが、王太子たるルークにも心当たりがないことを、あとで説明せねばならない。
ただこの書の文字は、この間目にした禁書に使われていた文字と同じである。その事実と、苑の言い伝えとを合わせ、どのような推論が成り立つのか、考えは纏まらない。
「こちらですか。これは我が従妹、椿が思いついた素敵フレーズを書き留めるためのものでございます」
「其方の従妹、椿と言うのは苑の王妃、天音のツバキのことだと申しておったな」
確認を兼ねて尋ねれば、さようでございますと事もなげにつらりと答えてきた。しかし、紅葉王子を初めとし苑の影までが言葉をなくしている。
無理もない。
帝都三華人は、昔語りにのみ存在している人物。
その名を知る者は多けれど、誰一人としてその実態を知らぬ。
存在すら定かでないのだ。
「影からちょっとは聞いてたんだけど、ちびの話がわかんねぇんだよな。天音のツバキがちびの従妹って? いやいや、ありねぇだろ」
「この書はわが国では、いいえ、大陸ではないもので作られており、その文字のみならず、この書の製法が謎のまま伝えられております。知る者がいないこれらの書の類を、天音のツバキが書いたという説を述べる者もおりますが……しかし…」
俄かに信じがたいと言う表情を浮かべる紅葉王子に、黒豆が従妹と言う言葉を勘違いしていると思ったのか、従妹ってのは親の兄弟、姉妹が生んだ子供のことでな…と説明し出したルーク。
デインとて信じているわけではないが、このままでは話が絡まるので以前聞いた話の要約をルークたちに聞かせる。
黒豆は同じことを二度語るのが億劫だったのか、話を端折り、大事なところを飛ばし、書についての説明にのみ焦点を当てているため、前提を知らねばさっぱり理解できぬだろう。
三華人の話を聞いたデインだとて、納得できぬ話ばかりなのだ。
「……うーぬ、ますます。分からんっ。えーってーと? えー…で? その書ってのが、天音のツバキが書いたとして、何が書いてあんだ? 国を凌ぐ富を得る方法っつーのが本当に載ってんのか?」
「載っておりませぬが、これは下手な文学作品よりも私めに感動を与えてくれました。ここの部分までは、厨二病絶頂期と言わんばかりの、あいたた……な文の羅列ですが、この辺りから克服の兆候が見られまして、この辺りからは完治していることが伺えます。椿は克服したのです、厨二病を」
黒豆はこの辺り、この辺りと言いながら書を捲り見せてくるが、文字が読めぬので意味をなさない。
良かった良かったと頷き、少し感動している様子の黒豆に
「いや、そもそも厨二病って何だよ?」
ルークが水を差している。
その病に関しては、既に黒豆がデインに説明していたが、我が大陸にはないため理解が追い付かない。
十四を超す子供が掛かりやすい病で、その発病要因も感染経路も不明。
酷い痛みを与え、その症状の重さは個人差があるらしく一定ではないらしい。
「症状は様々なものがあります。椿に関して言えば邪気眼系に分類されるかと。自転車の運転に無駄なアクションを入れたり、いつか手のひらから炎が出ると信じ、その技の名前を考えていたり、ジャンケンでパーを出した弾みにその瞬間が来る可能性まで考え、チョキとグーしか出さないというポリシーを持っていたりと、九の痛さと一の微笑ましさをもつ症状を見せておりました」
「? え? お前の故郷の人間って、手のひらから炎が出んの?」
「そんなものが出たら、もう人間ではないかと」
「だよなぁ?」
黒豆は一息に言葉を続け、ふぅ頑張ったと言わんばかりに息を吐いたが、表情から誰も理解していなことが伺えた。
更に黒豆が、これが椿でございますとあの不可思議な小道具を取り出し、その面で指先を動かした。
その小道具の中では、黒髪黒目の少女が踊りながら歌っていた。
今まで耳にしたことがない弦楽器が不思議な音を作っている。
「……すまん。デイン、全て任せた。もはやこれは俺の常識を超えている」
「ご安心を。私の常識もとうに超えておりますれば」
「そうか。一緒だな」
沈黙が落ちる中で、その小道具の中の少女だけがご機嫌に歌を歌っていた。




