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王宮にて


公爵家の城より早馬で駆けて半刻ほど。

デインは衛兵の案内を断り、王宮の奥に位置する王太子殿下の自室へと向かった。

 

豪奢でありながら剛健な扉を叩いて到着を知らせれば


「おー待ってたぜ。入れよ」


響くような軽い返事が返ってくる。

いつもは守るように左右に立つ衛兵がいないことを怪訝に思いながらも扉を開けば、広々した部屋の寝台に腰かけた王太子殿下がデインを見ながらにやにや笑っていた。

 

鍛え上げた体に申し訳程度に布を巻き付け、短く刈り上げた銀と灰色が混じった色の髪を紅の布で押さえている。

 

その強い意志を表す青い目の上には、斜めに走る刀傷があった。

気が弱い子供が見れば泣き出すだろう強面に相応しい隆々とした体。

 

見掛けは完全なる武人であるが、正真正銘この男は次期国王エドワード・ルークであった。

さじ加減が必要たる国交に関するような問題でさえも直感に従い、大ざっぱな決断を下す。

 

自信に満ちた豪胆な方で、カリスマ性がある。

かっとなりやすく、考えなしで行動してしまうところが欠点としてあげられるが、王としての素質を持った男だ。

 

デインの幼き頃からの知己であり、公では臣下として仕えるべき方であるが、対等に向き合える友でもある。


「聞いたぜ。米粒みたいにちっちぇメイドに、お前が手を焼いてるらしいじゃねぇか。随分面白いことになってんな」


「ルーク。王太子ともあろう方が粗野な言葉をお遣いになるのは感心できませぬ。そして自室とはいえ、そのような格好を」


育ちが宜しいはずのルークはどこで覚えたのか、デインの前では乱れた言葉を使う。

むろん公の場ではそのような言葉を遣わず、雰囲気ですら威厳あるものになる。

 

普段よりそうしていれば良いのに、デインがいちいち諌める故にワザとやっている節がある。

ルークは更に衣装を緩めると、帯刀していたその剣を寝台に立てかけた。


「まぁまぁ、俺とお前しかいないんだから良いじゃん」


「そういう事ではなくてですね。それに……何故影を離したのです?」


ルークの言葉通り、この部屋の周りには二人しかいない。

いつもはルークを守るように四方にいる影も、その気配を感じさせない。


「俺とお前が揃っていて、何を恐れることがあるんだ? それより、せっかくだし飲もうぜ。親父の秘蔵」


ルークはブドウ酒を二本引っ掴むと、デインに向かってそれを放った。

これより大事な話をすると言うのに、不真面目な男である。

 

せめてグラスを出そうとデインが腰を上げれば、そのまま飲めよと言いながらどっかりと床に座り込んだ。


「で? お前はどう思ってんだ? あのメイドの話」


影より既に事のあらましを聞き及んでいたルークは、余計な前置き抜きに本題に入った。

行儀悪く口でコルクを外したルークに、デインは顔を顰める。

 

そのまま口に流し込もうとしたルークからそれを取り上げて、グラスに注ぐ。

こぽこぽとグラスを満たす紫色の液体を見つめながら、正直な気持ちを伝えた。


「作り事であろうとは思うております。しかしそうと言いきるには不可解なことが多いのも事実」


「……」


ルークは立てた膝に顎を乗せ、考え込むようにしばし黙り込んだ。

飲むでもなくグラスをくるくると指で弄び、一点を無意味に見つめている。


「……禁書を調べる必要があるかもしれねぇ」


「……禁書?」


禁書とは。

字の如く読むことを許されぬ書のことである。

 

それが存在するのは確かだが、その内容や収められている場所などは明らかにされていない。


「黒豆の話に関し、何かご存じなのですか?」


ルークはデインの質問に答えることはなく、ぐいとブドウ酒を飲み干し、口許を手の甲で拭った。

その粗野な仕草を一言諌めようと口を開けば、それより先にルークが口を開いた。


「お前さ、俺らの国がどうやって作られたのか知ってるよな」


「なぜそのようなことをお聞きになるのです? むろん、共に師より教えを仰いだではないですか」


今よりおよそ二百年前。

かつてこの地は、蛮族の支配下にあった。

 

蛮族たちは人とも思えぬ暴虐の限りを行い、民を虐げた。

雨が降らぬ年が来た。

 

干ばつや凶作で、民は疲弊し、都市は難民で溢れ、地方は荒廃した。

無作法者が闊歩し、あらゆる残虐行為を行った。

 

疫病が蔓延し、衰弱した者から死して行った。

それでも蛮族は税を搾取し、抵抗する者を見せしめに殺した。

 

民が苦しみに叫び、絶望に死してゆく中で、反旗を翻した一人の男がいた。


「それが俺の祖先にあたるエドワード・シリウス」


動乱の時代。

圧倒的に不利な戦況で、それでも民を率いて勝利を掴んだ国祖。

 

今も尚、英雄の名のままに勇気の象徴たるシリウス王。


「その建国史、事実とは違うんだ」


「違う……とは?」


ルークは空になったグラスを置いて、デインに向き直ると


「一人の女がいた」


そう呟いた。

ルークは立てた片膝に肘を置き、気を緩めた体勢をしていた。


しかし揺れる炎へ向けられているその視線は、この上なく真剣なものであった。


「……俺らの祖先は、蛮族の支配の先にある険しい山奥にひっそり住んでいたらしい。蛮族に追いやられたと聞かされている。なぜ殺されずにすんだのかと言えば、俺らの祖先が人ならざる不思議な力を有していたらしいが、本当かどうか俺は知らねぇ。じっさい俺には、何の力もねぇしな」


「人ならざる力ですか……」


「あぁ。かつてこの地を制していた蛮族どもがその力を恐れ、その支配を逃れることが出来ていた。……ただし雨が降らない年が来て、この土地を大きな飢饉が襲うまでな」


ルークは、空になった瓶を振ると舌打ちして棚から数本のブドウ酒を取り出してきた。

ルークはデインにも、飲めよと勧めてくるがそうはいかない。

 

影が離れている今、酒を嗜んでは隙が出来よう。多少の酒で酔うほど弱くはないが、大事な時だ。

気を抜くわけには言わないとデインが固く断れば


「お前がこのくらいで酔うかよ。良いから付き合えよ」


と口の中に瓶を突っ込んでいた。

ガツンとデインの歯に当たり、痛い音を立てた。


「ルーク……今後もチェルシー嬢への相談を私に仰ぎたいのでしたら、これ以上の無理強いはおやめください」


むっとしたデインは、ルークの弱点を突いた。

チェルシー嬢と言うのは、現宰相の次女であり、ルークの幼馴染兼喧嘩友だちである。

 

現在ルークの失態で、チェルシーとの仲が拗れ中であった。

ルークがこの国の王位を継ぐ日は近く、同時に次代の王妃を決めなければならない時期も迫っている。

 

王妃候補の中からルークが選ぼうとしたのが、とんでもない我儘、散財し放題の傲慢な姫君であった。

ルークの前では、役者もかくやと言わんばかりに猫を被っていたが。

 

それに気づいたチェルシーが警告したのだが、ルークはそれを信じなかった。

後にその姫の化けの皮も剥がれ、ルークも自分の失態に気付いたのだが後の祭りである。

 

現在ルークは王妃候補のことなどそっちのけで、過ちを許して貰おうと的外れな手土産を持ってチェルシーのところに日参していた。


「……豆食べるか? 豆、好きだろ。機嫌直せよーそしてチェルシーに関しては、今後ともよろしくお願いします」


ルークはがばりっと雑に頭を下げた後、どこから取り出しのか、乾燥させた豆を乗せた皿をどんっとデインの前に置いた。


「豆が好きなどと、一度たりとも申し上げたことございませぬが。……それよりも、話の続きをお願いいたします」


「あ? あぁ、どこまで話したっけ……。そうそう、飢饉が来て、たくさんの民が飢えて死んだ。そして民は俺らの祖先の力に縋って、里にやってきた。それを追った兵が来て、祖先の里は滅ぼされた」


そこに蛮族の思惑があったのは言うまでもない。

恐らく意図的に里の情報を流し、病に侵されたものが縋るのを見越して、兵を動かしたのだろう。


「滅びゆく里に一人の若き男がいた。一族は禁術を記した書を男に託し、里より逃がした」


「禁術とは?」


「俺も詳しくは知らねぇ。だが男は逃げ延びた先で、禁術の紐を解いた。そして、禁じられた術を以て一人の女をこの地に呼んだと伝えられている。黒き髪、黒き目を持つ異界の女を」


「……」


禁じられた術でこの地に呼ばれた女。


「女は英知を持って戦況を読み、男を勝利へと導いた。男は後にこの地に国を築き、国王となる。これが初代国王エドワード・シリウスの話だ。俺も親父から昔、聞いた話だからあんまし確かじゃねぇ。だからこそ、禁書目録を調べる必要がある。ただ……」


「つまりそれは二百年も前の話……」


「あぁ、二百年も前の話を調べるのは容易じゃねぇ。親父が知ってるかもしれねぇけど今、城を離れてっし。となると……禁書目録を片っ端から目を通すしかねぇ。お前が」


「そうですね。やりましょう。二人で」


「いやいや、お前が」


「チェルシー嬢は……」


「よし。やろう。二人で」


酒瓶を手にしつつも、ルークがやる気を見せてすくっと立ち上がる。

二人が目指すのは。

 

王宮書庫の地下にある禁書が収められた書庫。


「あ、そうそう。その初代王の建国に関する話は王家にのみ伝えられる話だから、内緒にしておけな」


「国家規模の物を、軽々しく扱うのはおやめください」


人差し指を口の前に翳して、しーっと人差し指を口許で立てるルーク。

心構えなしに、国家規模の内情を漏らされたことに対し、デインは諦めのため息を零してしまった。


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