黒豆と書庫
「では七割方お腹も満たされたところで、話を再開させて頂きます」
白湯を啜りながら、黒豆が寝台の上で居住まいを正した。
黒豆は淡々とした口調で、あっさりと自らの狙いを明らかにした。
そしてデインもとうに、黒豆の狙いなど見当がついていた。
黒豆の目的が三華人の史実、それを記した文献だとすれば、目指す場所は一つしかない。
大陸一の所蔵数を誇り、歴史と知識の宝庫と言われる王宮書庫。
しかし誰にでも門が開かれているわけではなく、須らく許可証が必要となる。
「其方、私の名を偽造し、紹介状を持って王宮に入り込んだところで、今までのようにはいかぬぞ。王宮は言うまでもなく、王家の血を引く尊き方々がいらっしゃる。そして政を行う場所である。守りの厳しさは他に比はない。運よく王宮の女官になれたとて、それからどうするつもりだったのだ」
「ご主人様、王宮に侵入してからの計画とは、私めを買い被っていらっしゃいます」
「なぜにそう思うのだ」
デインが黒豆を買い被ったことなど未だかつて断じてない。きっぱりと断言できる。
そうだというのに、黒豆はやれやれとばかりに肩を竦めている。
「ご主人様の御城から王宮まで行くのが、いかに困難か。まず王宮まで辿り着く方法を考える事が第一であり、王宮に侵入してからなど考えがまだ及んでおりませぬ」
「其方は何を言っておる? ここより王宮など、馬で一刻も掛からぬではないか」
「私は馬には乗れませぬ。加えて私、方向を読む能力が少々欠如しているのでございます。我が故郷ではGPSナビが私の道を示してくれました。しかしそれがない今、かなり困難な道のりになると覚悟しております。また夜が来てからの移動は治安的に厳しく、朝早い行動は夜行性の私には厳しく、昼ご飯を食べてから無理なくゆっくり進む所存でございます」
黒豆が城の中をうろちょろしているとは、以前より影から報告を受けていた。
よもやあれは城を探っていたのではなく、ただ迷っていたのだろうか。
「そろそろ町のお祭りがあるので、それに参加してから、王宮への侵入を試みようと思っておりました」
「……其方、もう少しやる気を出せ」
王宮侵入という大罪を前に、何と呑気な行程なのか。
それでは都見学に来た、ただの田舎者ではないかとデインは呆れ果てた。
しかしやる気があろうとなかろうと、罪は罪。
黒豆の話を王太子殿下がどう判断するか、デインにすら分からなかった。
話だけで判断をすれば、黒豆が狂っていると言える。
雷に打たれ、異界より渡って来たなど到底信じられるものではない。
そして共に来たと言う三華人。
かの華人たちがいつ存在していたのかは明らかではないか、華人が生きた背景より時代を推察するに今より遥かに古の話となる。
また華人はそれぞれ別の時代を生きている。
話だけなら黒豆の頭がおかしいと言い切れる。
しかしそうあっさりと切り捨てることも出来ない。
可笑しな行動や発言は多けれど、真っ黒な目は正常で、知性を感じさせる。
そしてその黒い目。
黒豆の髪も目も、あるがまま黒い。
黒は華人しか持ちえぬ色。それ故皆が憧れを持ち、染料や薬剤を使って黒を纏うものが多くなった。
しかし何者にも染まらぬその色を、生まれ持つものはこの大陸には存在しない。
そして先ほど見せられた黒豆の私物。この大陸中にはない、特異な技術。
恐らく今の大陸の技術では作り得ることは出来ない。
更には精鋭の影を使っても探れぬ黒豆の過去。
黒豆が話す通り、メイドとして従事する前は旅芸人と共に町を渡り歩いていた。
黒豆の、それより先の過去が全く掴めなかった。
到底信じられぬ話だが、さりとて説明が付かぬことが多いのも事実。
「良いか。これからの事を其方に申し付けておく。私はこれより王宮へ向かう。其方の件を報告せねばならぬ」
深い溜息が漏れてしまう。
耳が早い王太子の事だ。
とうに影より一連の出来事を聞き及んでいらっしゃるだろうが、王宮が絡んだ以上デインには報告義務があり、それが済み次第、黒豆の身柄はデインの手を離れる。
「裁きが下るまでこの部屋から出ることは許さぬ」
デインがそう言いかけた時に、後ろで微かに空気が動くのを察した。
さっと手を走らせその気配の元を掴めば、デインの手を逃れようとチューチューと鳴いてもがいた。
「毒ねずみか、下らぬことをするものよ」
猛毒を持つ毒ねずみとてデインには効かない。
一瞬思考を逸らし、この下らぬ刺客を送り込んだ敵に当たりを付けていると、黒豆が見たこともないほど表情を引きつらせた状態で固まっていた。
えんがちょ…と謎の言葉を呟いた後は、じりじりと寝台を擦るようにデインから距離を取った。
「たかがねずみぞ」
尻尾を持ったまま、ぷらぷらとそれを振れば、黒豆は更に顔をひきつらせた。
黒豆の怯えを含んだ顔は中々見ることがないので、つい悪戯心が起こり、それを突きつけてやる。
ぷらぷら揺れる毒ねずみを目で追った黒豆の頭が、同じように揺れた。
「……私、ねずみをここまで間近に見るのは初めてでございます」
すぐに立ち直ったらしい黒豆は、少しの好奇心をもってチューチューと鳴くねずみをまじまじと見つめた。
「初めてだと。可笑しなことを。ねずみなど珍しくもない」
「私の故郷にもおりますが、私が最も親しんでいたねずみはそれよりもずっと小さく、握りやすいものでございました」
なぜねずみを握る。握れるくらいならば、駆除することも容易いだろうに。
「握れるくらいなら、そのまま尻尾を掴んで水に浸けてやればよいではないか」
「コードレスの光学マウスですので」
ほぉーホワイトニングな歯ですね~などと呟きながら、ふむふむと観察している。
先ほどまで怯んでいた様子は何のその。
その変わり身の早さと度胸だけは感心する。
「目がくりっとしていて、意外と愛嬌のある顔をしていますね」
指で突こうとすらするので、デインはそれを避ける。
毒を持ったねずみだと分かっているのだろうか。
「其方、近づきすぎだ。噛まれたら死ぬぞ」
「通りで。邪悪な顔をしていると思いました」
黒豆はさっと身を引き、ねずみから距離を取る。
デインは毒ねずみを衛兵に渡し、濡れた布で手を拭った。
「私が裁きをもって王宮より戻るまで、この部屋で大人しくしておれ。下手なことをするでない。其方は既に罪人だ。下手な行動をすれば、命の保証は出来ぬ」
デインが脅すように低い声で言ったが、黒豆は顔色を全く変えなかった。
デインの顔をじっと見て、こくりと頷く。
「ご安心ください。私、引きこもるのは大の得意でして。監禁状態と思わずに、国に認定を受けた引きこもりだと思えば、心も軽くなるものです」
それでは行ってらっしゃいませ、と作法にあっていないいつもの礼で黒豆はデインを見送った。




