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黒豆と夕餉


「其方、そんなに腹が空いたのか?」


ため息交じりにデインが問えば、きゅーと切なげな腹の音で返事をして来た。

黒豆は大きめの寝台に体を沈ませ、物欲しげに掛布団を指で弄っている。


「私の腹痛の原因を知ったマーサにより、喉の奥に指を突っ込まれラウの実と共に、昼餉に頂きました蒸した鶏肉をスパイスでピリ辛に味付けたものと、その出汁で煮込んだご飯と、新鮮なサラダと、くすねた砂糖菓子を程よく消化し混ぜ合わせた物も吐き戻してしまいました」


「そこまで詳しく言わぬで良い」


今は何も入っておりませぬと切実に訴える黒豆の声には、期待が多分に含まれている。

腹の虫まで元気になったのは気のせいであろうか。


「……ふむ…」


ここまで元気に回復しているのなら、少しくらい食した方が良いのだろうか?

デインは顎に手をやりながら、思案する。

 

黒豆の顔色は悪くない。 

罪人に近い立場で監禁状態にあることを考えると、良すぎる顔色である。


「……仕方あるまい」


医師に確認をしてからの食事になろうが。

部屋の外に控えていたバートラに、自身の食事と胃が弱った者でも食せる米と野菜の煮込みを頼めば、かしこまりましたと言葉とは真逆の呆れたような視線を向けられた。

 

じっくりと煮込んだ米には水分を多分に含ませ、嵩増しさせてある。

腹の足しになる上に、胃に優しい。


「ところで其方、これは何ぞ? 其方の持ち得るものを調べたところ、用途不明の代物ばかりであった」


「それは私どもの故郷の道具でございます」


食事をとる傍らで、黒豆の私物について詮議する。

デインがまず手に取ったのは、用途の検討も付かなかった金属で出来た小物。

 

金属というのも推測で、素材すら分からない。

不思議な光沢を放って、鏡のように前にあるものを映す。


「スマホと申しまして、現代科学の最先端の代物と言いましょうか? それ故、機種自体が高価で、また月ごとの支払いも生じますが、それだけで殆どの生活がこなせる便利な道具なのでございます。近年ダーウィンも恐れ入るほど凄まじい速度で進化致しました」


「……?」


「携帯各社に料金プランの違いは多少はあれど、どこも似たようなものでございます。……つまらぬ冗談を申してしまいました、平にご容赦を。私のような友人がいない引きこもりには不要ですが、かけ放題や指定割りなどのお得なプランもございます。云々かんぬん」


「……??」


黒豆の説明ではさっぱりこの道具の使い道が分からなかった。


「これは一体何を使って、どのように作るのだ」


そう尋ねれば、黒豆はあからさまに面倒くさいという表情を浮かべた。

黒豆は基本無表情であるのに、そういう負の表情だけは豊かである。


「それぞれの部品に適したレアメタルやニッケル、チタン、タルタンなどなど、なんちゃらを使っているのだと思います。作り方については、専門分野となり私の浅薄な知識では説明することが出来ませぬ。という事情にて、スマホに対するご質問等は締め切らせて頂きます」


「……」


聡明英知のデインを持ってしても、さっぱり分からなかった。

それでも興味深く検分しひっくり返してみれば、その面には用を足す少年の絵がある。

 

陰影をつけ、立体的に見せる新しい技法だ。


「どこの国も持ちえぬ技法を用いた……この下品な絵は何なのだ?」


「そちらですか。ションベン小僧シールでございます」


「……何と?」


「ですから、ションベン小僧シール」


「……」


「高貴な方々はご存じないのですか。ションベンというのは、おしっこの別称で液体状の排泄物を」


「知っておるわ。言わぬで良い。それから其方は少し女人として慎みを持て。……まさかと思うが、其方の故郷でこの絵は有り触れたものなのか?」


信じられぬ、とデインが顔を歪めた。

幼い子供が用を足すところを、そのような高価な代物の背面に描くのだろうか。


「そうですね。広く知れ渡っているものと存じます。石像や銅像などの彫像も各国に点在しておりますゆえ。噴水の中央部分になど特に」


「……その意図はなんぞ?」


「ションベン小僧の意図でございますか? そのような高尚なことを深く考えたことはございません。確か……大きな戦を尿で勝利に導いた人がいたとか聞いたことがございます」


「……どのように?」


「さぁ?」


「……理解できぬ」


スマホという道具を理解するのを諦め、新たに別の物を取り上げる。

それは羊紙よりも遥かに薄く、そして滑らかであった。

 

精巧に描かれた肖像は見る角度によって姿を変える。


「これは何ぞ? 其方が好いている相手の姿絵か?……其方よりも随分とご高齢な方でいるようだが」


町の若者の間では恋仲の、もしくは恋しく思う相手の姿絵を持ち歩くことが流行っている。

しかし黒豆がそのような乙女の思考を持っているとは甚だ信じがたい。


「流石はご主人様、ご明察でございます。私のみならず、この方に恋い焦がれる者は男女ともに星の数ほどおります。圧倒的な人気で、諭吉、ともかく諭吉。しかしこれは姿絵ではなく、貨幣の一つでございますが」


「貨幣!? これがか?」


金だとは全く考えが及ばなかった。

それは一番価値のある紙幣でしてと、心なしか嬉しげに黒豆が説明してくる。 


「この一万円札には肖像の透かしやホログラムシール、隠し文字やマイクロ文字など、偽札防止のために様々な技法が取り入れられております」


「確かにこの技法を真似るのは容易ではないな」


偽金作りはどの国でも大罪とされ、見つかり次第、死罪となる。

偽金が世にあふれ出ると治世が乱れ、経済が混乱に陥る。

 

それを重き法で制するのも効果的であろうが、真似ることが出来ぬほどの技法を用いて抑制するのも平和的な手段であろう。


「ではこれが最後となる。この苗は何ぞ?」


「無人販売所にて購入いたしましたサツマイモにございます。我が姉の手にかかりスイートポテトとなるはずでしたが、私と共にこちらの世界に来てしまいました。腐りかけておりましたので、埋葬したところ、なんと芽が出て参りました。せっかくなので育てております」


「サツマイモとはどのようなものだ?」


「味はサモイに似ておりまする。それよりも甘味があり、高い栄養分を含んでおります」


腐りかけたものを放置して芽が出てくるとは、何と強い植物であろうか。

庭師にも分からぬ苗が、そのような植物だとは。

 

食物となるならば、広く栽培を試みるのも良いかもしれない。

植物の分野には明るくないデインにはよく分からぬが、それでも葉や茎の様子をまじまじと見てしまう。


「ご主人様。このような事を申し上げる立場でないのも重々承知しておりますが……」


謙虚な前セリフを置く黒豆に、植物に向けていた視線を戻す。

この言葉の後には、而して難解な願いが続くことが多い。


「何だ」


心を構えて、続きを促せば


「おかわり下さい」


空の皿を差し出された。


「許さぬ」


腹を壊したばかりと言うのに、食べ過ぎである。

デインは、その要求をがんとして突っぱねた。


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