第97話 クザン、捉える
ーーこの広い世界の中、たった一人の人間と出会うのは難しい。あるとすればそれは奇跡だ。
そんな歌を、その生まれ持って与えられた美声で朗々と歌う吟遊詩人に心の中で賛同しながら、クザンは苦笑しつつ、
「……確かにね」
そう独り言を呟いた。
夕闇も迫る時間帯、外からは徐々に酒場の中に人が入ってくる。
樹液の香りにつられて群がる虫のように、酒に近づく屈強で勤勉な男たち。
それだけでなく、この国はオラクルムとは違う、と感じさせられるところもあった。
酒場の中にやってくるのは男のみならず、若い女性たちもだったからだ。
しかも、女だけで連れ立って、しかも楽しそうに入ってくる様は華やかで、そして希望に満ちていた。
どうやら、このミドローグという街は相当にいい街らしい。
あんな風にしていたら、オラクルムではどんな街であってもすぐに拐われてしまうことだろう。
もちろん、不届き者たちに、だ。
果ては奴隷にでもさせされて……まぁ、あまり面白い話ではない。
クザンも、騎士団の一員として、何度もそのような目に遭わされた女性たちを救うことになった記憶がある。
オリピアージュ公爵領は、オラクルムでも治安が良く、また公爵自身が領地の治安維持に多大なる気遣いをしているからこそのことだった。
その甲斐もあって、他の土地から流入してくる人口も多く、常に発展している良い領地なのだ。
出来ることなら、その末にはノアに治めて欲しかったのだが……今となっては夢物語だ。
おそらく、あの土地は弟君が治められることになるだろう。
ただ、その弟君もかなり、というか一般的な貴族子女と比べて相当に優秀な方だったから、何の問題もない。
これはただ、クザンがその光景を、できればノアの隣で見たかった。
それだけの話なのだった。
しかし、別にノアの隣にいることはオリピアージュ公爵領にいなければできないこと、と言うわけでもない。
こうしてノアが追い出されて、結果としてむしろ、クザンにとってはそれが容易になった可能性すらある。
もしもノアが公爵になっていたら……彼の右腕として扱われるには、クザンは公爵騎士団長を目指す他なかったからだ。
副騎士団長である父を超え、さらに現騎士団長すらをも上回って見せなければならなかった、と考えると……それはそれで夢である。
だからこそ、今の状況は自分にとっては幸福なのかもしれない。
そう言い聞かせながら、周囲に増えてきた客たちの声に耳を澄ませた。
ーー知らない土地で、大雑把にでも情報を集めるならまずは酒場がいいだろう。
そう教えてくれたのは父である。
かなり小さな頃のことで、その頃には騎士になるとかノアがどうとか考えてもいないほどの頃だったくらいだ。
ただし、その時の教えはいずれも役に立つものばかりだ。
特にこうして、騎士団という公的な組織を離れると輝く知識ばかりで、父としては、いずれクザンがこうなる可能性も考えていたのかもしれないとすら思う。
そういう危うさを、自分は小さな頃から持っていたのか、と理解し、そんな心配を父にかけていることを少しだけ、申し訳なく思った。
「……いやはや、最近はミドローグも景気が良くて助かるよな」
隣の席からそんな声が聞こえてくる。
チラリと見てみると、おそらくはなんらかの肉体労働を仕事とするものだろう。
石工か、大工か……冒険者というのもありうるな。
いや、それにしても軽装すぎるか。冒険者というのは戦いの場でなくとも武具を、特に武器を手放さないものだ。
しかし彼らは麻の服だけである。
続きを聞いてみる。
「街道整備から始まって、商人の呼び込みやら宿場町への助成やらと新政策が盛んに打ち出されてるからだろ」
どうやら、この街ミドローグは最近、革命的な施策を多く打ち出しているらしかった。
その内容については詳しくは知らないようだが、断片的な話だけでも流通を良くして経済を回そうと考えているということは理解できる。
それ以上の細かな話は、彼らは知らないのだろうな。
「参事会のあのお嬢ちゃん、きた時にゃ頼りねぇって思ったが、思った以上の傑物だったな」
「聞いてるぜ、新魔術師組合長すらも最近じゃ顔があがんねぇってよ」
この街は都市参事会によって統治されているとは聞いていたが、その参事会員の一人が、若い娘らしい。
しかも結構なやり手のようだとこれで分かる。
だからこそ、酒場には女性が多いのかもとも。
「そりゃそうだろう。前の魔術師組合長、あのお嬢ちゃんがやめさせたって話だぜ」
物理的にというか、ただの権力闘争だけの女性でもないのかもしれない、とこれで思う。
魔術師組合というのはどんな都市でも具体的な力を持っているもので、容易に争えない集団だ。
下手に争うと、どんな魔術で反撃されるかわからない。
しかし、その長をそのお嬢ちゃんとやらはやったわけだ。
かなりのものである。
「あぁ、対立してたもんな……しかし、そこまでの力を持ってるのか?」
「あのお嬢ちゃんの父親はトラン侯爵だぞ。ちょちょいのちょいってやつだろ」
父親が相当な貴族、か。
そうなると、魔術師組合とも対抗できる?
微妙なところだな……。
もっと続きを聞きたかったが、男たちはもうこの辺りで飽きたらしい。
「だったらもっと早くやってもよかったもんだが……まぁ、俺たちにゃ関係ねぇか。仕事があるんだからそれでな」
「そうそう。飲もうぜ」
そうして、今度は全然関係ない話ばかりを始めたので、クザンは別のテーブルの話に耳を移すことにした。
すると、
「あぁ、お前、そういや今度の募集に応募するのか? あの……何だったか、開拓村の新村長」
「ノアか?」
クザンはそんな声に、驚く。
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