第91話 羊角の名前
「ところで今更なのだけど、君たちは……何者だい? この村の村人……とも思えないけど。随分前に、みんないなくなってしまったしね」
羊角の存在が、俺にそう言った。
そういえばお互いに何の自己紹介もしていないことにそこで思い至る。
俺は言った。
「あぁ、俺はノア。今回、色々あってこの村とその周辺の土地を借り受けた人間だ。一応、村長としての地位も貰ってるが……」
全然何もないこの場所を、村、と言ってしまうのも何となく微妙な感じだ。
これから作りはするつもりだがな。
そんな俺に、羊角は驚いたような顔で、
「えぇ、こんなところを借りたのかい? 廃村になってからかなり経つっていうのに、君は随分と酔狂な人間なんだね……」
と言ってきた。
「その廃村で誰もいないのにいつまでも存在し続けているようなお前のような奴に言われたくないんだが」
「それは仕方がないじゃないか。僕だってどこかに行けるなら行きたいけど、その依代の人形があるところからはどうも、離れられないみたいでね。それに力も昔と比べてほとんどないし」
これは新しい情報だった。
「そうなのか?」
「そうさ。昔なら、まぁ、村人からの願いの力を集めて、少しくらいの奇跡の力の行使はできたんだよ? 水源を作るとか、大きな岩を動かすとかさ」
「ほう、それはそれは……」
いい力だな。
人間の行使する魔術でも似たようなことは出来るが、簡単なことではない。
特に水源を作るというのは水魔術を単純に使えばいいというものでもない。
岩を動かすくらいなら地属性魔術でどうにかなるだろうが……。
人の使う魔術体系とは根本的に違う力の行使が可能なのだろうな。
これはもしかして使えるかも、と思った。
そんな俺の皮算用を理解したのか、
「もしかして君、僕を利用しようとしてる?」
と怪訝そうに羊角は言った。
これに対して、俺は自分の意図を隠してうまく話を持っていくこともできたが、どうもそうするのはよくない気がした。
だから正直にいう。
「その言い方だと人聞きが悪いが……まぁ、出来ることなら協力して欲しいとは思った。俺は、というか俺たちはこれから、ここに村を作る。最終的にどのくらいの規模になるかはなんともいえないが、村を作るからには出来る限り住みやすい場所にしたいからな。あんたが、その精霊としての力を貸してくれるなら……きっと村づくりも楽になるんじゃないかと思った。あんたにも悪い話じゃないようにも思うぞ。俺たちは別に信仰する神がいるわけじゃないし、この礼拝堂を整備してやるくらいのことは出来る。願いの力が欲しい、というのならまぁ、礼拝を日課にするくらいのことだってしてもいいし……」
こういった存在がどうやってその《願いの力》とやらを集めるのかは、知らない。
オラクルム王国の人工精霊は供物とか魔力注入とか、およそまともでない方法でその力を極限まで高めていたように思うが、どうもこの羊角はもっと穏便な方法でやっているような感じである。
そしてそんなものはオラクルムでは行われていないからだ。
ただ、話ぶりからして、礼拝とかそういうので何か魔力とかそういうものを僅かに集めるとか、そう言った方法によっていたのではないか。
そう思っての提案だった。
これに羊角は少し驚いたような顔で、
「……ありがたい提案だけど、いいのかい? 僕はここで祀られていた……邪神と言ってもいいような存在だ。露見すれば色々と問題があるんじゃないかな?」
意外にも俺たちのことを心配してくれているらしい。
しかし、この発言は少し見当違いだろう。
というか、ずっとここにいたから、あまり世の中のことを知らないのかもしれない。
元々のアジール村もそれほど外部との接触が多かったようにも思えないし、世間知らずなのかもと。
神のわりに知らないことが多いと言うのもなんだか不思議な感じだが……そう言うこともあるだろう。
俺は言う。
「その辺りについては心配ない。この国……ユリゼン連邦は宗教に関してはかなり寛容だからな。まぁ、近年、フォルネウス教団という割と過激な宗教が盛んみたいだが、それにだってあまり手出しは出来ていないくらいだ。こんな小さな村で、打ち捨てられたような存在を祀ったところで、それを咎められるようなことは……」
「えっ? ちょっと待って。今、フォルネウスとか言った?」
羊角が今までで一番大きく目を見開いてそう尋ねてきたので、俺は首を傾げつつ答える。
「言ったが、それがどうかしたか? どうもここ十年くらいで急速に規模を拡大している、ユリゼン連邦でも大きな問題になってる宗教団体なんだが……」
「フォルネウスって、僕のことだよ?」
「は?」
「僕はフォルネウス。そう呼ばれてここで祀られてきた、そう言ってるんだけど」
これに俺は驚く。
こいつがフォルネウス?
フォルネウス教団の……神の?
いやいや、そんなわけはないだろう。
それは羊角……フォルネウス自身もすぐにそう思ったのか、
「まぁ、同じ名前だってくらい、人間だってよくある話だし、そういうことかな」
そう言って首を横に振った。
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