敵国皇帝、前世の愛犬。
国の統治は難しい。
難しいので各々世襲制にするなどし、幼いころから「お前は王様になろうね、国の為に尽くすんだよ」と徹底的に学ぶし、周りも「将来こいつが王になるんですね」と想定してせっせと跡継ぎが天に立つ前提で準備をする。
私の国は違った。
次期王になる器が若干壊れ気味だったというか、暴君博覧会が未来で開催したなら、確実に目玉展示として剥製を展示されるような男だった。次男もいたが壊れていて、長男が王だったときに内乱をけしかけ一時王に君臨していたものの、民からなにもかも絞りとる政しかしなかった。
長女もいたが贅沢三昧で絵に描いたような我儘王女であり、こちらもこちらで未来の暴君博覧会の注目展示候補である。そもそも親はどうなんだという話になるが、親も親だった。
自分にしか興味が無く民など見ない政治をしており、子供はほぼそれに倣った形だ。そもそも内乱が起きたのも、政治の為ではなく権力争いだ。今後、この国の王位継承の歴史が未来に伝わった時、あれこれ難しいことが記録されるだろうが、「弟が邪魔だから消そうとして仕返しされました」の一行で終わる。
彼らの両親である前王と前王妃は次男が長男に仕掛けた内乱に巻き込まれて死んだ。
そんな時代に、王の不義の子として辺境の騎士団に置かれていたのが私であった。
インフィ、それが私の名前だ。不義の意をもじった。私が生まれると同時に母親は前の王妃に殺された。その果てに、前の王妃がその名をつけた。
子供は関係ない、命は大事なんて道徳は、自分の夫の裏切りの象徴には適用されない。男に襲われてしまえという直球の悪意を一心に受け、騎士団に入団させられ女騎士として前線に立っていた。
騎士団は平民が成り上がりを目指し入る場所だったので、貴族は少ない。金のために仕事はするが心の奥底では貴族を憎んでおり、その憎悪の根幹は王家の滅茶苦茶な政治による貧困である。平民は王城に入れないので、私が王城でどんな扱いを受けてきたかを知らない。王族のせいで自分たちは苦しい思いをしている。王族はいい暮らしをしている。憎悪は当然、身近な貴族であり王族の血を引く私に集中砲火する。
生きていても、いいことがない。
私には別の人生の記憶がある。そこでは貧民として生まれ、物心ついたときから家族に捨てられた状態だった。たまたま出会った犬が、心の寄る辺であり家族だったけど、飢えて死んだ。私に飼われなければもっと幸せだっただろうに。
そういう記憶があるので、人生への期待値が低い。誰かに認識されること自体、少ない世界だった。だから自分だけ理不尽に遭うことなんて慣れていたし、安心を感じた瞬間はほぼない。
だけど、私の素性を一切知らない一般市民は、私をただの「騎士さん」として見る。私の素性を知れば一発で迫害の対象にするだろうが、何も知らない人間は私をただの人として接してくれる。
生きる理由までには至らないけれど、わざわざ死のうとしない理由にはなった。
そうして戦いに明け暮れるうち、前の王妃も前の王も、身内争いで死んだ。兄も次兄も姉も死んだ。私の所属していた騎士団の上層部は積極的に内乱に加担、王に反旗を翻し革命を起こし、王の血を引きながら王族から遠かった私を女王に担ぎ上げた。とんでもない話である。当時の上層部が政治でもすればいいのに、変なところで日和ったのだろう。
王位継承の資格を持ちながらも、悪逆の限りを尽くした王族に追いやられ、騎士団で国を守るために戦っていた女騎士。その女騎士が、民の為に立ち上がり、自らの血縁を打倒してでも国を守るために戦った。
外面抜群の物語は国内外に流布され、私が女王として君臨し、1年が経とうとしていた頃。危機が訪れていた。
「じゃあもう、どこか別の大国の血筋と結婚します。この国は他の人間が継げばいい。そもそも私が玉座に座るべきではなかった」
玉座でそう言うと、側近であり騎士団長であるデュラドが「なりません」と声を荒げた。
「なぜです。ならさっきの、その場で自決でいいですか。各国の集うパーティーで私が盛大に散れば、他の国の手前、さすが攻め入るまではしないでしょう」
「なんてことを‼」
デュラドは叫ぶ。
現在、我が国は他の国から戦争を仕掛けられている。原因は死んだ兄弟たちのせいだ。元々私が騎士団にいたころから発生した戦の九割が兄弟の横暴である。今は自国の戦力だけでなんとかなっていたが、とうとうどうにもならない相手──大国が戦力拡大のために我が国を狙い、絶対に勝てない戦の始まりが迫ってきている。
戦になれば確実に負けるし、開戦になる前に降伏を狙いたいが、向こうは圧勝がしたい、新しい武器を絶対に勝てる相手に試したいという、「戦争する前に勝ちました」という最速最高効率の勝利より、こちらが雑魚であることを最大限利用した勝利を狙っているので、話にならないのだ。
恐喝に遭い、お金を払うので殴らないで下さいと頼んでいる被害者、殴りたいしお金貰いたいしと思っている加害者、この図である。しかしながら被害者は過去が過去なので、誰も同情しない。
「だって、もうどにもならないじゃないですか。それを、貴方は一番分かっているはずですよ。騎士団長」
私の側近のデュラドは、元は騎士団長だ。革命の男は平民で、貧しい家の出身である。貧民窟で暮らしていたが、母親代わりの女や兄弟同然で育った人間は、私の兄弟のおぞましい政策の餌食になり殺された。
同時に己の実力だけで騎士団長にまで上り詰めた努力家だったので、それはそれは私を嫌っていた。「恵まれたお育ちのお前には分からないだろう」「誰もお前を守ろうとは思わない」と何度言われたか分からない。
基本的に騎士団の人間たちは、私に対してそんな感じだった。「そんな感じ」としか言えないほど、王族は酷かったので仕方がない。最初は自分の素性を説明していたが、言葉に意味など無かった。価値が無いのだ。最初にこの人間に価値がないという定義づけが行われれば、なにひとつ意味がない。それを覆せる魅力も、私にはない。
だからもう、私は私に出来ることをしようと努めていたが、革命が起き担ぎだされたかと思えば、騎士団の判断で私は女王の座に立った。最初は見せしめに殺されるのかと考えていたが普通に政治を求められた。
「女王としての役割がある」
「別に私である必要がないじゃないですか」
騎士団長は「お前なんかいらない」「邪魔だ」「出ていけ」と言っていた。騎士団たちもだ。革命が起きる前あたりから言わなくなった気がするが、よく分からない。とにもかくにも早く動かないと国民の命に関わるのに、反論してくる。騎士団と違い女王単独で死にに行っても、きちんと地固めと周囲の準備が無いと無駄死にになる。準備をしてほしいのに、デュラドは話をはぐらかすばかりだった。ほかの側近もそうだ。
「戦いましょう」
「負けるじゃないですか。戦力の差が酷い」
「民が悲しみます」
「死ねば悲しむことすらできなくなる。戦いを仕掛けられ運よく勝てたとします。相手は大国。勝利の為に、どれほどの戦力に注ぐかという話になる。犠牲になるのは民だ。民を犠牲にして得た勝利になんの意味がある」
「それは貴女の犠牲も同じでしょう……‼」
デュラドが声を震わせた。泣きそうな顔をしていた。騎士団長の貫禄はどこにもない。子供のような癇癪に近かった。
「デュラド」
彼を制止する声が、玉座に響く。神官のルシアンだった。神に仕え、神を奉る神殿の長。私の兄弟の政治により、形ばかりに囚われた無駄の象徴として、国から追いやられた。神殿では弱き者や貧困にあえぐ者の受け皿や教育の場としての側面があったが、善に行きたいのなら趣味でやれ、好きにしろと予算を大幅に削られ、神官たちは守るべきものの為に四苦八苦していた。
神殿で育ち騎士団で出世して、神殿に恩を返すことを志した騎士も多く、ゆえに騎士団と神殿の関係は深い。
同時に、私と神殿の溝も深かった。
神官ルシアンは、心優しく誠実だと評判の人物だった。仮にも神に仕える聖職者なので、私を積極的に攻撃することは無かったが、認識することもなかった。私の名前を、決して呼ばない。一介の騎士であった革命の前もだ。沈黙による存在の否定。何もしないから敵ではないと判断するのは軽率だと身に染みて分かるほど、神殿の人間は私の言葉を聞かず、私の姿を見なかった。それでも、私に手を出せない神官の為に、罰をあたえよう──信者は神官のために動いて、噂を流布した。
何も知らない民は私を騎士として見る。でも、知った後は終わり。初めて会う民でも警戒や攻撃を受けることに異変を感じていれば、そういう顛末だった。そして噂は、神官の耳にも入っていた。神官は噂をうのみにしてはいないが、私を疑う根拠にはしていた。最終的に噂を完全に信じた無関係の狂信者が他の信者諸共、私を神官の前で私を殺そうとし、すべてが明るみになった。
そういえば、その時、その場に騎士団長もいた。私は信者を助けようと死を覚悟して庇ったが、騎士団長が信者を助けようと攻撃を防いだので、たまたま私はついでとして助かった。
過去の関係もあるので、騎士団と教会の問題は、無かったことになったのだろう。というか騎士団からすれば私が狙われただけなので、騎士団側が教会に怒る理由もない。教会の人間が、私を襲おうとしたあまり同じ教会の人間を殺そうとしたことが問題なので、教会でなんとかしてくれという話になったと思う。
その後、革命の件で色々うやむやになり、騎士団長は私に教会についての話を聞きたいかどうか質問してきたが、関係がないからと終わった。革命後、教会は普通に復帰している。機関として必要だったのに、私の兄弟が勝手に排したので戻したに過ぎないが。
私を「ただの騎士」だと思っていた民は、ありがとう、と喜んでいた。だからもう、教会へは支援のみでその采配を操るようなことはしないと伝えているが、なぜかルシアンは私の前に現れる。
色々、権限を持っており、デュラドの采配で政への参加もしている。私利私欲で動く人間ではないし、私より普通には育っているはずで民の気持ちも分かる。私への承認は形式的なもので構わず、説明もいらないと言っているが、責任だからと説明に来るのだ。そして、色々と質問をしてくる。
この間は何か苦しみはないかと聞かれた。人生以外はないと言えば、腹でも刺されたような顔をしていた。貧民窟の子供を保護することも多く、そうした返答には慣れているだろうに。
「女王様、今貴女は、騎士ではなくこの国に立つお人です」
「だからでしょう。嫌な話、民が一人死んでも、敵国の心は変わらない。私は女王だ。だからこそ、その死は意味づけが起きる」
「貴女は、敵国の為に女王になったわけでは──‼」
「そうかもしれない」
私は呟く。
「一介の騎士では、意味が無かった。でも女王なら、象徴として機能する」
デュラドもルシアンも、大きく目を見開いた。返事は無い。その通りだと思ったのだろう。というか何なんだこの二人は。私のことを憎んでいたはずだ。なのに、どうして今、私が死にに行くのを止めるのだろう。
「生まれてきた、意味が欲しい」
私は二人の目を見て言う。
「許されたいんですよ、私は……生きてて良かった人間になりたいんです。居てくれてよかったと、思われる人生でありたい……いや、ここにいて良かったと、自分で思える人生がいい」
私は笑みを浮かべた。どうしたって天井が見えている人生の中で、少しくらいは承認を得たい。成功はいらないから、ここにいる意味があったという証明が欲しい。それが得られるなら、なにもいらない。
◇◇◇
答えが見つからぬまま、各国の要人が参加するパーティーに参加することになった。
婚約者も決まっていないまま女王の座につき、そもそも王家の血を引きながら騎士団で戦い、革命をして玉座に座った人間なので尋常じゃなく目立つ。特に、ご婦人方の注目がすごい。舞台や演劇の世界の女騎士の印象に重ねているのかもしれないが、「お話聞かせてください」だったり、「今度もしよろしければ肖像画をご一緒に」と声がかかる。
私の素性を知らないまま交流してくれた自国民たちは、革命後私の正体を知り気を遣うものが多かったが、「えぇ~貴族? 全然庶民だと思ってたよ……」程度でそこまで態度を変えない人間もおり、元通りとはいかないが、新しい形で交流は続いている。
他国のご婦人の積極性は、そうした段階がないからこそなのか、積極的だった。
嗜みなんて言葉、あってないようなものだ。年代問わず、「騎士団は皆仲が良いと聞くが内で恋愛はあったのか」という俗っぽい質問だって飛び出てくる。恋愛どころか村八分だったと答えたいところだが、護衛も兼ねたデュラドが死んだような顔をするので「戦いばかりですよ」と答えるのが常だ。
騎士団の話題のあと、大抵「こんな素敵な女王様なんだから、ちゃんと守ってくださいよ」と、神官のルシアンに話がふられるが、ルシアンがあまりにも酷い顔色になるので、教会ぐるみで殺されかけてますし、神に死ねって祈られてるんで、と言うに言えない状態だ。
大体のパーティーでそうした流れになるのに、元騎士団長かつ現側近のデュラド、そして神官のルシアンは、私の護衛としてつくようになっている。普通に騎士団の末端騎士でも場慣れの為に置いておけばいいと言っても二人はついてくる。
それにデュラドは「襲撃事件もあった」と神官ルシアンとの件を持ち出すし、ルシアンも「教会のこともありますから」と、部外者の私からすれば「そこを指摘し合ってお互い気まずくならないのか?」と不思議になる謎の抵抗をするので、本当によく分からない。
今日も今日とてそれは同じ。
そのうち、私は敵国との開戦を阻止するため、仲裁に入ってくれるような国に嫁ぐか、自決するので見ることもないだろうけど。そもそも今日だってパーティーに参加する気なんて無かったのに、「社交界の御婦人にご挨拶を」と二人に進められた。
「まぁ……大国ニスファミリアのウェニス様よ」
「なんて美しいの……」
「」
ご婦人方が息をのむ。大国ニスファミリアは、私の国に戦を仕掛ける予定の国である。皇帝は冷酷、残虐、非道の三点どれかしらが前置詞として機能するような男で、会ったことは無いが私より三つほど年上らしい。
祝い事など浮き立った催しには参加せず、どんな戦でも絶対参加なので、生粋の戦闘狂という印象だった。
この場でうまくやって開戦を阻止する可能性と、この場で出会ったことが開戦のきっかけになる可能性、どちらが高いのだろう。計算している間に、皇帝と目が合った。
「わ」
「わ?」
それまで「背後の人間全員殺しました、これからお前たちも殺します」みたいな──世を恨むとか憎悪を向けるといった段階ではない、景色全部に価値を感じてない表情をしていた皇帝は、子供が手品を見せられた顔をした。完全に子供の顔だ。見覚えがある。最近、教会の私の素性を全く知らない子たちに手品を見せたとき、こういう顔をしていたから。神官は絶望的な顔をしてた。
「■■■ちゃん‼」
名前を呼ばれた瞬間に、思考が止まった。その名前は私の前世の名前だ。貧民窟では名前なんてないのが当然なので、目の色や持ち物の色で呼ばれる。私の名前を呼ぶ人間はいなかったので、自分の名前を考えて、犬にだけ伝えた。
その名前で、皇帝は私を呼ぶ。
「■■■ちゃん‼ ■■■ちゃん‼ ■■■ちゃんだ‼ すごい‼ すごいすごいすごい‼」
皇帝は全速力でこちらに走ってきた。犬が走るような四足歩行ではないが、速度が一緒。私に突っ込んでくる勢いも全部、飼っていた犬と全く一緒だった。
「抱っこできる‼ 抱っこできる‼ すごい‼ そうだ僕、身体おっきくなったから抱っこできるんだよ‼ ■■■ちゃん‼ ■■■ちゃん‼ すごい」
そして、犬がへっへっへっへっと興奮するようなテンションで喋り、私がかつて犬を抱き上げていたように私を抱き上げてきた。
「どこにいたの⁉ ずっと探してたんだよ! 嬉しい! 嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい!」
皇帝は目を輝かせる。周囲は愕然としていた。私も愕然としている。こんな国際問題の発展の仕方、無い。しかもさっきまで人間の男として人生を歩み、周囲に畏怖されていた成人男性が、犬……いや五歳くらいの精神年齢としか思えない態度で、国の女王に突撃していったのだから。
「やったやったやった‼ ずっといっしょ‼ ずっと一緒‼ もう寒くないよ。大丈夫だよ。僕が守ってあげるからね‼ もう一人にしないよ。一人ぼっちじゃない。いっぱいさみしくして、置いていっちゃってごめんね。もう僕いる、僕いるよ。ちゃんとここにいる‼」
私は、少し悩んだ後、「待て」と小声で言う。国家間の発言として最悪の部類である命令形に対し、皇帝はすごく嬉しそうに、それでいてちょっと得意げな笑みを浮かべ、スッと静まった。
◇◇◇
私たちは、別室に移動することになった。当然だ。パーティーでそれまで平然としていた成人男性が特定の女性の前で五歳児になったら別室で移動を促される。
「えっと……」
私はどこから話せばいいか悩む。大国ニスファミリアのウェニスが、前世の飼い犬。そんなことを側近のデュラドにも神官のルシアンにも言ったところで、信じてもらえるわけがない。普通の側近ならまだしも、私はこの二人に嫌われている。信頼関係が無いのだから。
「昔馴染みです。まぁ、もう会えないと思ってた人、ですね……」
二人に言うが、「そうには……思えませんが」と二人は探るような目で見てきた。
「あの、ニスファミリアの方だとは知らず……知っていたら、開戦阻止の作戦も、もう少し早く……というか話が出る前に、止められてたので」と付け足すが、二人は「そういう話ではなく……」と口をそろえる。
「寒くない、と、生活のことについて何か、皇帝は言っておられたような……」
神官のルシアンがおそるおそる問いかけてきた。
寒くない──前世の貧民窟での生活のことだ。貧民窟に寒くない場所なんてない。だから多分、守るよ、みたいな話がしたかったのだろう。けれどそれを言ったところで信じてはもらえない。
「それは、関係のない話なので大丈夫ですよ」
簡単に返せば二人は傷ついた顔をした。
「でも……」
今度は側近のデュラドが私の背後を見た。先ほどから、皇帝は私の頭部を吸っていた。
「あの」
「なあに‼」
皇帝は勢いよく返事をする。
「何で吸ってるんですか」
「だって■■■ちゃんいっつもしてたもん」
やっぱり。別室に移動し、私が座ってから皇帝は「わーい」と私の頭部を吸っていたけど、正直なところ確信はあった。
死にたくなる度、私は犬を嗅いでた。犬吸いである。犬を吸うことでしかどうにもならない瞬間がある。私は頭頂部を吸っていたが、吸い方がそっくりそのまま同じだったので、仕返しというと言い方は悪いが真似てる気はしていた。
「だめだ」
しばらくして、突然皇帝が呟いた。何のことかと思えば、皇帝は側近のデュラドと神官のルシアンを見ていた。二人がこちらを見ているのを、犬吸い狙いと勘違いしているらしい。
「二人は吸わないよ。ただ、国の為にそこにいるだけだし……ね」
というかそもそも、そういう関係性ではない。なのに二人は暗い顔をし、返事をしなかった。
◇◇◇
戦争の線は消えた。
皇帝の「戦争したら■■■ちゃんのだいじだいじ壊しちゃうもんね」という一声だ。■■■ちゃん、という私の名前は、今の私の名前ではないことを伝え、その名で呼ぶことも消えたが──これにて国家問題は解決、というわけにはいかなかった。
「わー、財政はこんな感じになってるんだねえ、大変だったでしょう! いっぱい頑張ったねえ」
皇帝ウェニスが我が国の執務室で、書類を眺めている。その様子を、側近のデュラドと共に眺めていた。
犬が予算について話をしている。
いや、彼はもう人間であり、犬扱いはすべきでないけれど、どうしても前世の認識に乗っ取られる。
戦は免れたものの、今後も危ないからという理由で私の国は大国ニスファミリアと同盟……ならぬ傘下にはいることになった。そのため現在、ウェニスが視察に入っている。
一応、私とウェニスの婚約が決まったが、ウェニスは私のことを飼い主としか思っていないし、私も飼い犬以外にウェニスは見れない。大国ニスファミリアの皇帝は血統ではなく氏名と投票が重なって選ばれており、ウェニスに子供が生まれたとしても、その子は政に関与できない。私の国は──もう血筋による政治なんて出来ないだろう。私の国は血統で繋がっていき、代々民を痛めつけていった。
政治的な丁度良さが重なった結果だ。
「私は、ずっと剣を握っていたし、資金に関しては……神官のルシアンがやってるから」
「そうなんだあでも、すごいよ、ちゃんと財政が安定するようにしてるし、お祝いのお金もちゃんと記録してる」
「お祝いのお金……」
建国パーティーやらなんやらのお金だろう。私は、一応民の前に出るけど、それ以外の内輪で行うようなものは、周囲の空気を悪くしないよう、出ないようにしている。
「うん。インフィちゃんのお誕生日お祝い! 毎年貯めてるんだね!」
「……え」
祝われてない……というかそんな名目でお金が貯められているなんておかしい。なにか不正があるのではないか。それとも貯め辛い資金を私の名目にしている、とか。神官のルシアンは、ただ私や私の血縁である人間が嫌いなだけで、誠実な男だ。不正な資金繰りをすることは絶対にありえない。それだけは、分かる。
「神官のルシアンが貯めたものですか、これは」
私はデュラドに問う。彼は「ま、まぁ」と曖昧な返事をする。
「孤児の為のお金でしょうけど、今後はニスファミリアの人間も見るでしょうし、誤解されるような表記はやめたほうがいい。伝えておいてくれませんか」
「いや……」
デュラドは渋る。神官ルシアンを責めるつもりはない。彼は貧しい子供の為に生きているような人だ。
「なら、私から伝えます」
今日、ルシアンは予算の件で城に来る予定だ。丁度いいと立ち上がろうとすれば、ノックが響いた。ルシアンだった。彼は室内のウェニスを一瞥し、挨拶をしながらも警戒を崩さない。
「すみません、お話があって」
私はルシアンに声をかける。彼は「はい」とこちらに近づいてきた。
「あの、私の誕生日祝いという使途不明金の積み立てが毎年行われているようなのですが、それの名称を変えて頂いてもよろしいでしょうか」
「え」
「子供に関する施策の予算を増やすなら、普通に予算を増やす形で問題ないので、まぁ、問題があると思って私の名前をとりあえず使っているとは思うのですが、事情を知らない人間からすれば、不正資金だと思われかねないといいますか……普通に、必要なところに使ってください」
「は」
神官のルシアンは絶句した。すぐに側近のデュラドに視線を向けるが、彼は無言で首を横に振る。それを受けてルシアンはこちらに顔を向けた。
「あの、ひ、必要な、というか、あの、事情を知らない人間、というのは」
神官ルシアンは声を震わせた。何がそんなに怖いのだろう。私が予算についてルシアンを怒ると思っているのか。
「いや、あの……私の誕生日といって、子供や貧民窟の支援のために予算を別に用意していると思うんですけど、他国から見れば、ねぇ、祝わない誕生日のお金を貯め続けるっていうのは、不正に見えそうというか」
「祝わ、わない」
「はい。だって、私の誕生日ですよ? 確かに使わないお金の名前としてはいいと思いますけど」
「使わない……」
神官のルシアンは、「お祝いが、あると、お考えは、ないのですか」と、たどたどしく聞いてくる。
「ど、どういうことです?」
「……っ、あぁ……」
ルシアンは察したような表情をした。心の線が切れたような顔で、口をぎゅっと引き結ぶ。何かを堪えるように俯いたあと、すっと涙を流す。
「貴女は、その予算を見て、自分が祝われるかもしれないと思ったことは、無かったんですね……」
「え、あ、当然ですよ。予算はきちんと、国の為だと思って……」
「違います……違う……違うのです」
神官ルシアンは膝をついた。「ずっと、後悔をしていました。貴女を拒絶していたことを……」と、拳を握りしめながる。
「私は貴女を恵まれた人間だと思っていた。持っている人間だと……でも違った。貴女は本来なら与えられるはずのものを、何も持たずに、それでも立っている人だった……」
ぼろぼろと神官ルシアンは涙を流す。
「祝いのお金は……違うのです。国の政治を知るにつれ、貴女はそういったものとは無縁だと分かって……だからせめて、その分までお祝いが出来たらと、貯めていたものです。でも、私なんかに主導されて祝われても嬉しくは無いだろうと、毎年、機会を、逃して……」
「あぁ……」
理解できなかった。私の誕生日なんて祝う必要はない。誰であれだ。祝いが嬉しい嬉しくないの感情なんて、もう、無い。祝われるような価値は無い。しかしウェニスが「えーじゃあこれからいっぱいお祝いしようね!」と私に笑みを浮かべた。
「いっぱい、走ろう! お日様の下を」
自分の前世の本能に忠実すぎないだろうか。おかしくなって少し笑うと、ウェニスはにこーっと笑う。今まで笑いかけて犬がこちらをジッと見る時、笑ってるのかな、これは飼い主目線の解釈か分からなかったけど、合っていたらしい。
頭を撫でそうになって、謹んだ。危ない。国際問題になる。婚約者だけど、婚約はいつでも解消できる。向こうがやめますと言えば、終わる。
◇◇◇
予算問題が落ち着き、双方の親族の顔合わせをすることになった。親族全員殺して革命を起こした私に対し、ウェニスの親はどうなんだろうなと不安だったが、好印象だった。ウェニスが事前に色々話を通してくれたのかもしれない。
ただ、戦になった時に前線に出るか聞かれた時は、少し厳しい顔つきだった。
ニスファミリアの戦にも当然参加する──と言ったら、一応関係者枠として参加していたデュラドも深刻な顔をしていたし、ウェニスの親族もどこかもの憂げだった。
そのため、後日、ウェニスに親族について聞いてみた。
「ウェニス、そっちの国って、どういう戦いを求めてるか、分かる? 前の顔合わせの時に、気まずい雰囲気になったというか」
「当たり前だよ!」
うーと、ウェニスは唸る。犬みたいなことをする。確かに犬だったけど。現在成人男性なのでほだされてはいけない。
「なんで」
「だってインフィちゃんが傷つくのやだもん‼ いやっ!」
成人男性渾身の嫌がり。
字面としては最悪だが前世の愛犬である。
成人男性の渾身のやだやだ期への寒気より、かわいいが圧勝する。この感覚は犬や猫を飼っている人間にしか分からないと思う。
「まぁ、ウェニスは嫌だろうね」
「みんなも嫌だよ! やだーってなるもん!」
「そうかなぁ」
「デュラドだってヤダって言うよ!」
「そうかなぁ」
「デュラドは傷つかないでって思ってるもん」
そんなわけないよ、と心の中で突っ込む。側近であり元騎士団長のデュラドにとって、私なんてほぼ仇みたいなものだ。
「デュラドは騎士道があるから、女王としての私を守るだけだよ。本当はね、嫌われてるから」
「えぇ~!」
「デュラドのことを育ててくれた人も、兄弟代わりに育った人たちも、みんな私の兄弟のせいで死んじゃったの。だから、デュラドの前であんまり私の話をしないであげて。背中切られないだけ、感謝しなきゃいけないくらいだから」
ウェニスは何か誤解をしている。その誤解で、ウェニスの心の古傷が刺激されるようなことはあってはならない。誰かの過去について言うのは気が引けるが、念のため伝えると、背後でガン、と物音がした。
デュラドだった。よろめいて壁にぶつかったらしい。
「だ、大丈夫ですか、何かあったんですか?」
思わず駆け寄ると、彼は「……ずっとそんな風に考えていらしたのですか」と、戸惑いを滲ませながら問いかけてきた。
「な、何をですか」
「背中を、斬られないだけ……感謝しなきゃいけない、なんて……」
「ああ」
さっきまでの話を聞かれていたのか。
「そうですよ。ああでも、あの、敵対意志は無いです。私は、デュラドに刺されても仕方ないというか、全国民、私を殺していいというか……はは」
だから、大丈夫。
そう続けようとしたけど、出来なかった。デュラドが、まるで腹を刺されたみたいに顔を歪めていた。一瞬本当に背後から刺されたのかと疑ったが、彼の背中は壁なのでそれはない。
「……い……」
「え」
「そんなことはないっ……‼」
デュラドが声を荒げた。
「え」
「俺は、確かに……貴女を憎んでいた。でも、刺したいとは思ってない。違う……殺していいわけない……貴女がそんな風に言うようになったのは、俺のせいだ。俺にそんなこと言う資格はない。でも、俺は貴女に死んでほしくなんかない。殺されていい人間じゃない……!」
子供が我儘を言いながら癇癪を起こし、泣くみたいに、デュラドは叫ぶ。温度差にびっくりした。さっきはウェニスの嫌々期が発生し、次はデュラド。なんなんだ今日はいったい……。
「何を、言ってるんですか……デュラド、あの、大丈夫ですよ。先代は不敬ですぐ死刑にしてましたけど、私は違いますし、ほら、本当に、大丈夫なんで、ほら、憎んだままでいいというか、ねぇ、許せないことあるでしょうし、名前呼べないくらい憎いのに、憎悪を無理に、無くそうとして無理でしょう」
「名前……? 名前……?」
デュラドは驚いた顔をしている。
「だって、貴女の名前は、前王妃が……不義の象徴の名を……」
私の由来について、彼は知っていたらしい。
「え……それで、名前を呼ばずに……?」
「最初は確かに、呼びたくも無いと思っていました。でも、その後由来を知って……」
「あぁ……そうだったんですね……」
どうやら気を遣ってくれたようだ。勘違いをしていた。てっきり名前を呼びたくないほど憎んでいたのだとばかり。
「え‼ この国だとインフィは変な意味なの?」
ウェニスが私に問う。
「うん。不義の意味があるんだよ」
「そうだったんだねえ。こっちでは無限とか果てないって意味なんだけど、こっちでは違うんだねえ」
こっちが二回連続で混乱する。多分前者がウェニス、後者がこの国ということだろう。
「お名前どうする? 何て呼ぶ?」
「インフィでいい……ということで、デュラドも、特に、命名の由来が理由であれば、普通に自由に呼んでください」
目を腫らし、まだ興奮状態に近いデュラドに声をかける。彼は「承知しました……インフィ女王」と恭しく礼をした。
◇◇◇
婚約式が開かれ、正式に同盟が結ばれた夜。私の国で盛大なパーティーが開かれた。
沢山の来賓を招いたが、私はいつもの調子でつい外のバルコニーに出てしまった。
「なんでこんなとこにいるの⁉」
ウェニスが駆けてきた。私は「ごめんごめん」と謝る。自国内で開かれるパーティーは、頃合いを見て場の空気を壊さぬよう、バルコニーに出るのが習慣だった。ただ最近は、側近のデュラドや神官のルシアンに止められる。今日はたまたま二人とも来賓の相手をしていたので、防がれることはなかった。
「もーいなくなんないでよー」
「ごめんって」
「ぼく、インフィのこと言えないけどさー」
「え」
「だっておいてっちゃったもんね」
ウェニスはうつむく。置いていった、というのは前世のことだろう。
「私が、もっと食べ物いっぱい買えるような人間だったら、ちゃんと飼えるような人間だったら、あんなことにはならなかった。ちゃんとした飼い主じゃなくて、駄目な飼い主で、ごめん……っ」
「そんなことないよ。僕ずーっとしあわせだった。一緒にいられて、嬉しかったよ」
ウェニスはむっとした顔をする。
「ぼくいっぱい抱っこしてもらって、頭撫でてもらえて、毎日いーっぱい、楽しかったの! 僕が悪いことしたとき、ちゃんと叱ってくれたのも、ぼく怒らせちゃったかもしれないけど、うれしかった」
「ウェニス……」
「でも、ぼく置いてっちゃって、一緒にいられなくて、守ってあげられなくてごめんねって、ずーっと思ってた」
「ウェニス……」
手が、震えた。目の前の景色が歪む。すると彼は、ぎゅっと私を抱きしめた。
「今度は僕が、ぎゅってできるよ! もう一人ぼっちにしない。いっぱい守ってあげる。だから、あんまり泣かないで。またいっぱい笑顔、見せてよ」
「ウェニス……っ」
「うん。だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。僕がずっとそばにいる」
ウェニスはぽん、ぽんと私の頭を撫でる。その撫で方は、かつて私がしていた撫で方と一緒で、少しだけおかしくて、それでいて昔のことがすごく懐かしくて、切ない。
私は涙を流しながら、大切な家族の温もりを感じていた。
◇◇◇
一時開戦待ったなしだった我が国は、大国の助力を得て緩やかに平和の道へと進んでいる。
しかし──、
バンッと執務室のドアが開く。城でノック無しでドアを開閉できる権限を持つ人間は女王の私だけだ。私より上の人間は、同盟国ニスファミリアの皇帝しかいない。ただ、本来皇帝は同盟国のドアをノックせず入らないというか、側近にドアを開かせるので実質ノック在り、という流れになるはずだが、ウェニスはどこまでもウェニスである。側近をつけず、自由気ままに私の執務室に入る。
「散歩したい」
「それは……どういう速度で」
一応聞いてみる。ウェニスは指を動かしたが、人間の散歩を想定した動きじゃなかった。
「球とかを投げたりはしない……」
「するよ」
即答された。やっぱり。絶対その速度だった。普通の関係ではないだろうが、私とウェニスはこんな感じだった。お互いの国のことがあるので、それが落ち着くまでは女王と皇帝としての位置にはいるが、書面上は夫婦。ウェニスが何を考えているのか分からないし、今もこうして散歩を強請るので、正直、はかりかねている部分はある。
「ぼちぼち、色々気にしてもらえると助かるというか」
主に世間体を。しかしウェニスは「気にしてるよ」と返す。
「ほんとに?」
「うん。インフィの幸せをとても気にしてる。インフィが悲しくなったり、辛くならないように、いーっぱい気にしてるよ」
「それは……ありがとう」
「うん。だから大丈夫だよインフィ。これからはぼくがちゃんと見ててあげるからね」
ウェニスはにっこり笑う。根拠のない大丈夫。
この世界に魔法なんてないけれど、なによりも効く魔法に感じた。
登場人物紹介
・インフィ
辛いことが起きすぎて人生への期待値が0の女。老騎士でもドン引きするようなめちゃくちゃ破滅的な戦いをする。元の強さもあるが捨て身戦法を恒常的に使うので敵に恐れられていた。自国・他国の婦人から人気が高く「貴公子様」呼びの憧れ層「いっぱい食べもの食べさせてあげたい」呼びの保護欲くすぐられ層の二層熱狂で応援されている。優しくされると(自分の素性を知らないからだろうな)と考える。
・デュラド
インフィを恵まれた女だと思っていた。戦の途中でインフィが死んだ仲間を見て「私が死ねば良かった」と感情0で言っているのを見て絶句する。騎士団の悪い人間がインフィを襲おうとしていたことを知り処罰したが、インフィが「せっかくの戦力ですよ、それに王妃の望みです」と言ったことに傷ついている。当時は「お前に限らず女を襲うという時点で騎士である資格がない」と怒ったが、インフィが自分を卑下するたびに強いダメージを受けていた。インフィが戦に出て傷つかないよう陣形を組んだり、酷い態度を取った分だけインフィを出世させようとし、インフィのために革命を起こす。
・ルシアン
インフィを恵まれた女だと思っていた。インフィが教会の子供を庇い捨て身でいるのを見て何か違うと気付くが態度を修正したりインフィに謝罪をする前に教会の人間がインフィを襲う事件が起き、距離が出来る。インフィを無視していた時期があったが、インフィが神からも家族からも見放され無視された生い立ちだということを知り、自分のしてきたことがいかに残酷であり、インフィにとっては日常であったかを考え、後悔の日々だった。インフィに優しくしたい、支えたいと思うがこんな自分に優しくされたり支えられたりしても嬉しくないだろうと苦悩し続ける。
ウェニス
物音に敏感で気配の察知が得意
社交や交渉という概念がなく、強さで相手を従える生き方をしていた
飼い主の前でだけお利巧なタイプの犬
自国民や家族から何を考えているか分からないと怖がられていた




