他種族との交流③
屋敷の中を歩いていると、ここ数ヶ月の間に随分と傷が増えて匂いもするようになったことに気がつく。
大方は好き勝手に爪を研ぐにゃん太やその子供の猫のせいだが、それだけではなく増えた人のせいでそうなっているのだろう。
目に見えた真新しい傷の一つを撫でてみれば、どうやって付いたものなのかが分かる。
多分これは、シシト辺りが慌てて走って木材などを当ててしまったのだろう。
これはにゃん太の爪研ぎか。 そう思っていると、エルが俺の袖を摘んで引いた。
「どうかしたか?」
「……不安が、たくさんあります。 旅に出てアキさんが危ない目に合わないか、迷惑をおかけして嫌われないか、綺麗な女のリアナさんを好きにならないか」
不安と言って、言葉を吐き出す少女。
エルの表情は明確に「行きたくない」と不安を示していて、思わず諦めてしまいそうになる。
彼女の頭を撫で、何が彼女を安心させる言葉になるかを考え……それが良いかは考えずに思いついた言葉を口にしてしまう。
「エル、記憶もうかなり戻っているだろう」
黒い目が開いて、俺から目を逸らして言い訳を考える様子が見える。
エルの嘘を見破るのは俺には難しいが、予め嘘と分かっていれば、言葉を聞き流すだけで騙されずに済む。
聞き流すと決めてエルの言葉に耳を貸した。
「いえ、戻っていませんよ。 多分、アキさんがそう感じたのはアキさんの話を聞いて知った僕が話をしたからではないですか?」
「そんな表層の話ではない。 何というか、こう……エルを見ているとそんな気がする」
「えぇ……」
「感覚的なものだから上手く伝えられないが、それであることが分かる。 雰囲気というか、仕草が少し違う」
エルが怯えている様子を見せたので、そのまま抱きしめる。
「責めるつもりはない。 ただ……俺がエルのことを見ていることを知ってほしかっただけだ。
二人きりの時間は忙しさのせいで減ったが、君のことをしっかりと見ている。 心配する必要はない」
「……んぅ」
エルの小さな身体を抱きしめていると近くに人の気配を感じ、抱き上げて部屋に運ぶ。
少女は小さな顔を赤らめて俺を見つめ、薄い唇を小さく動かした。
「……アキさんが傷つけられるのが、やっぱり嫌なんです」
「分かっている。 だから可能な限り──」
「ちょっとでも、嫌です」
手首をエルに握られて、ギリギリと爪を立てられる。
大した痛みでもないので放っておくが……少し皮膚が抉れていく。
「……エル、今お前にやられているんだが……」
「いつも、他の人にされてるのに、僕にされるのは嫌なんですか」
「いや、普通誰にでも……エル、流石におかしいぞ」
「おかしくないです。 僕以外にはたくさんされてるのに、何で僕にされるのは嫌がるんです。 ずるいです」
そういうものなのか? いや、違うだろう。
エルの独占欲が強いのは分かっているが、怪我をさせることに対してまでそれが働いているというのは想像すらつかなかった。
これは受け入れて怪我をされるべきなのだろうか。
想定外すぎてどうするべきなのかも判断出来ない。
「……エル、一度落ち着こう。 おかしいだろ、好いている者を傷つけるのは」
「僕だってしたくないです。 ……でも、アキさんがそんなこと他の人にされるから……」
嫌ならしなくていいだろう! ……そう思いのまま言えたら良かったのだが、妙なことを思い付いてしまう。
その理屈で言えば、他の人物の裸を見ればエルも見せてくれるのだろうか。
当然、エルの裸体が見たいからと彼女が嫌がることをするつもりは毛頭ないけれど、少しぐらい腹を見せてもらうぐらいなら……何度か頭を振って煩悩を振り払う。
「エル。 腹を見せてくれ」
「……えっ、お腹ですか?
「……間違えた。 怪我は良くないことだ、されるのは嫌なことで、それをしても嫌なことにらなるだけだ。 分かるか?」
「……どういう間違いですか、見せませんよ。 ……でも、僕はアキさんに傷を付けられるのは嬉しいですよ?」
嬉しいのか。 傷を付けられるというのは嬉しいものなのか……。
……俺にはない感覚であるが、だからといって安易に否定してもいいものなのだろうか。
やはり根幹的に人同士は違うことが当然で────。 ひとつ当然のことが分かった気がする。
「どうかしましたか?」
「いや、普通なのか聞き込みをしようかと思ったが、やめようと決めただけだ」
「……んぅ」
「とりあえず、怪我はしないようにする。 ひとまずはそれで勘弁してくれ」
エルはコクリと頷き、二人で旅の支度を整える。
向かう先も決まり、仕事も任せたので、後は用意をして適当に顔を見せて回ればいいだけだろう。
「……そういえば、結局孤児院に顔を出せていないな」
「……んぅ。 んぅ……やめておきません? アキさんが責められそうです」
「いや、実際に口に出されなくとも思ってるなら、言われないのも言われるのも一緒だろ。 何も変わらないと思うが」
「そういう問題でしょうか?」
「言葉は情報伝達の手段だろう。 既に伝わっている言葉を聞いても変わらない。 それに放置していくのも無責任だ」
「アキさんのそういうところは好きですし、僕も大丈夫かは気になりますけど」
任せている奴も大部分はよく知りもしない奴なので、ちゃんとしているかも分からない。
大山が特に何も言っていないので余程悪いということはないだろうが……。
「今日は時間もあるし行くか」
「今からですか? 突然行ってご迷惑にならないでしょうか」
「行くことを伝えて取繕われても困るだろ。 歓待させるつもりはなく、少し見て戻るだけだ。
幸い若造で威厳もないから、そう緊張させることもないだろう」
「……いや、アキさんは結構……他の人に怖がられていること多いですよ。 冷静で感情的になることが少なくて、威圧的で権力も武力も、あって……ということで」
「……使用人にさえよく馬鹿にされるが」
「それはアキさんが優しいって知ってるからです」
それはどうだろうか……一通り旅支度を整えたあと、夕方にはなっているが孤児院を見てこようと思い屋敷を出ようとしたところ、庭仕事をしていたらしいシシトが見える。
「あっ、兄貴と姉御、今からデートッスか?」
「いや、この前出来なかった孤児院の視察だ」
「あー、そういえば中断していたッスね……」
シシトは少し申し訳なさそうに目を伏せ、頰を掻く。
「そういえばシシト」
「なんスか?」
「俺って怖いか?」
シシトは伏せていた目を上げて、俺の顔を見る。 少し気まずそうにしながら、小さく頷く。
「まぁ、ちょっとは怖いッスね。 いい人なのは分かっているんスけど……。 あんま表情がないッスし、笑わないんで」
「……そうか」
「まぁそこが兄貴のクールなところッスよね」
怖いのか。 そういえば父親も馬鹿なアホだったが、気難しい表情とその能力や権力で嫌に恐れられていたことを思い出す。
あまり考えたくもないが、俺は父親に似ているのだろう。
「ああ、そうだ。 シシト、襲ってくる奴とは話を付けたから街中に自由に出歩いていい。
だが、一応、別件で悪党がいるかもしれないから武器ぐらいは持って行っておけよ。
俺の部屋の隣にある部屋の武器は自由に使えばいい」
「えっ……いや、悪いッスよ……」
「買い物をする給金は渡しているよな。
後は時間だが……お前はよく働いているから、落ち着いてきたことだし、しばらくは好きにしたらいい。
……だが、それとは別に身体を休める時間も取れよ」
「……兄貴ぃ!」
シシトが俺に抱きついて来ようとし、エルが魔法によってシールドを張りシシトの突進が受け止められる。
「兄貴! マジありがとうッス!」
「いや、放っておいたら身体を壊しそうだから言っただけだ。 感謝ではなく反省をしろ」
「うっす! これからも頑張っていくッス」
伝わっていなさそうだ。 まぁ体力もあるし、これだけ言っていれば本当にしんどくなれば自分で休むだろう。
そう思ってシシトと別れて孤児院に向かった。




