続・家作り日記⑦
そこに掛けてくれ。 と、存外に落ち着いた様子の若い男が口にする。
聞いていた話とは違うらしい。 事前に見聞きしていた情報……とは言え噂程度の与太話だが、それを放棄して中年の男、ダグラスは応接室の椅子に腰を掛ける。
座り心地は悪い。 部屋やそこに通されるまでの玄関や廊下にも華美な装飾や豪華な物は一切なく、貴族の屋敷ではあるが見知ったそれらとは違うと感じた。
元来、そういった飾りはあって然るべきものである。 なければ金がないと舐められる、そうすると様々なもので不利にはなる。
しかし、その見栄の張りすぎで身を崩すものもいることを思えば……少なくともダグラスには好感を覚えるものだった。 飾りはなくとも機能としては変わりはなく、清潔で不快にはならない。
商人として父や祖父から教えられた、無駄を省いて効率をあげるは彼にとっての美学であり、貴族とは反りが合わないという考えを改める。
目の前にいる若い当主……ルト=エンブルクは落ち着いた様子のダグラスを紅い目で見詰める。 彼の紅い目は魔物のようで恐ろしいと、本能めいたものが恐怖心を訴えるが、それを感じさせないように彼は口を開く。
「お忙しい中、時間をいただき──」
長々と定型的な挨拶を口にしながら相手を観察する。服装は簡素なものだが、取り立てて安物というわけでもない。 立ち振る舞いは堂々としており、ある種こちらを気にしていないような態度は若干の威圧感すらある。
隣にいる黒髪の幼い少女は信じがたい話だが……噂に聞くと妻ということらしい。 物珍しさもあり少し眺めていると、不快そうな表情を向けられる。
不躾だったかと自省してから、本題を切り出す。
何も珍しさもない商談だ。 孤児院を作るということらしく、それらに必要な物を安く用意する代わりに他のところから買うなという内容である。 口頭で説明したあとに契約書を手渡す。
若い当主は軽く目を通したあと、妻の少女に渡す。
「……んぅ、あの……」
少女は困ったような表情をする。 そんなのを読まされたら当然困ると呆れていると、少女は気まずそうに口を開く。
「これは……ちょっと……。 子供の入所退所の目どころが立たないので毎月一律で買わせていただくのは……無駄になったり足りなかったりがあるかもしれませんし……。 それに安くなると言ってもこの内容だと元々が割高な相場の物かもしれませんから……どれがどう値段が変わるのかを教えていただけないと……」
少女はダグラスと目を合わせずに言うと、当主はダグラスを見詰める。
表情を変えない様子が恐ろしく、不慣れな性質の人を相手にしているせいかうすらと汗が滲む。
「では、より柔軟に対応出来るように内容も変更させていただき……細かな内容も纏めさせていただいたのでこちらに目を通していただけると」
エンブルクは貴族ではあるが、そうではない。 街を治める領主であるが、実際には何もしておらず……それどころか孤児院を建てるに当たって、町長や代理の役人へ許可を得にきたぐらいであり、本来の貴族とはあまりに解離した存在である。
個人の武力のみしかない。 統治もしない。 貴族の慣例にも従わず、国に対する忠誠心も存在しない。
そう言った理由もあり、関わらないようにするのが街の住人の通常だった。 商売をするにしても先代の当主は門前払いどこらか一切反応をしなかった。
一応、代替わりしたため話を持ちかけたが……思ったよりもマトモである。 聞いていたよりも落ち着いており、鍛えてはいるようだが思ったよりも細身だ。
竜を斬ったやら、それよりも強い魔物を斬ったやらと聞くがあまり信用出来るものでもない。 そう結論付け、関わるのは悪くないと判断する。
儲けは少ないが、安定した商売にはなるだろう。 箔も多少は付く。
少ししてから、当主は紅い目をダグラスを見定めるようにうごかす。
「……どうか、されましたか?」
「お前、部下は何人いる」
「部下……ですか?」
あまり口を開かない当主が言うが、考えが読めない。 何か見定められているのだろうかと警戒するが、ジッと見つめ返すと机の下で妻の少女の手を握っていることが見えてどうにも警戒心が薄れてしまう。
「簡単な言うことを聞かせられる人間だ」
「それなら……五十人……ぐらいでしょうか。 指示程度ではありますし、この街の外が多いですが……」
「それだけいれば、役に立たない奴もいるだろう」
「えぇ……まぁ、あまり商才がないものも……いることにはいますが」
何を言うつもりなのだろうか。 意図が読めないと思っていると、何でもないように続ける。
「そいつを貸せ。 文字も読めて勘定も出来るなら、子供に教えるぐらいは出来るだろう」
「いえ……本人の意思もありますから……この場で決めることは……」
「付きっきりで子供の世話を焼かせるつもりではない。
定期的に物を届けるや、金銭の受け渡し、契約の延長などもあるだろう。 その時にそいつを寄越してくれて、ついでに勘定のやり方を伝える程度でいい。 それでこの話を受けよう」
話半分で持ってきた契約書を手に取り、使用人からペンを受け取る。
ダグラスにとっても悪い話ではない。 実際に商才のない見習いはいる厄介払いとして定期的な交渉も何もない受け渡しだけをさせるのは悪くない。 商才がないというのは攻め気の強さがないということでもあり、それは物を教える時には有利に働くだろう。
その厄介払いも、形式上としては部下のままであり、こちらとの繋がりはあり、物を教えるなどをすれば契約が切られにくくなる。 子供も将来は恩を感じて贔屓にしてもらう可能性もある。
単に物を売りつけるだけとして考えてもいい話だ。
断る必要はないと、頷く。
「……いいんですか? アキさん」
「一定した量を売りたいってだけなら問題はないだろう。 食料程度なら余ればここでも使えばいい、足りなくとも普通に買えばいいだけだ。 割り増しで売りつけられるわけでもない。
それに、教えるために下手な奴を雇うのは不安だ、身元が知れている方がいい」
アキさん? という言葉に首を傾げるが、そういえばそんな噂も聞いたと思い出す。
「んぅ……最近、しっかりしてますね」
「猿真似をしているだけだ。 ああ、その孤児院の近くに余る土地を貸しに出す予定だ。 何かに使いたいならまた話を持ってくればいい」
最後にそう告げられて、慣例的な挨拶を済ませて外に出る。
少し妙な人だったが、悪い商売相手ではない。 多少無理も言われたが、完全にこちらの意見を無視したわけではなく、利益は得られる。
街の端は住宅地にも商店にも使いにくいので、今は借りはしないだろうが、頭の端には入れておこう。 まだ手を出していない商売だが工房などになら使える場所だろう。
契約書の入った鞄を握ってホクホクとした顔でダグラスは自らの店に戻った。
◇◆◇◆◇◆◇
「領主様!お願いします! このままでは生活出来ません!!」
朝っぱらから騒がしいと、裏の畑仕事を手伝っていた手を止めて振り返る。 何故か農業をしている使用人が「行ってください」と言ったので、軽く手を洗い、手拭いで汗を拭ってから改善を訴える町人の元に向かう。
エルは大声に多少怯えているが、べったりと引っ付いていれば大丈夫なのか逃げることはなくついてくる。
「なんだ?」
「領主様! このままだと生活出来ません!!」
「それは聞いたが……。 俺の領分ではないからな。 税やら何やらは、王都からきた役人に任せている」
「いえ、税ではなく……街道に盗賊が出たらしく、商いをしようにもどうにもならず……。 領主様が以前に捕らえられたというお話をお聞きしまして……」
「無理だ。 しばらくエルに閉じ込められる予定になっている」
何を言っているのか分からないといった様子の町人を軽くあしらい、役人の居場所だけ教えて追い返す。
「良かったんですか?」
「探しに行って捕らえてくるのは流石に時間がかかりすぎる。 何人、何組いるかも分からなければ兼業でしているかもしれないしな」
決してエルに閉じ込められたいという願望があるわけではない。
しばらくして……珍しく父親から話しかけられた。
「戦に出る」
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