vs猫③
俺の膝の上に寝転ぶ猫を軽く触る。 確かにふわふわとしていて心地が良い。
黒く小さいのもエルと同じで、柔らかく暖かいのも似ている。 勿論エルの代用になどなるはずもないが、エルに触れられない感覚を猫で誤魔化すのも不可能ではない。 何となく少し似ているしな。
ごろごろと心地良さそうに鳴いているにゃん太を軽く持ち上げ性別を確認する。 雌か。
「いひひ、可愛いですねー。 撫でてもいいですよね」
「いいんじゃないか?」
黒猫を触ろうと伸ばしたエルの手が、ぱしん、と弾かれる。 他の何者でもなくにゃん太の前足によって。
「じゃれてるんですかね? いひひ」
「にゃー」
二人触ろうとするエルの手が弾かれては伸ばされと繰り返し、遂には俺の膝の上から別の場所に移動した。
「……え、嫌われました?」
「何を馬鹿な。 エルを嫌うような生物がいるか」
「……完全に嫌われてたね」
「ですよね……」
俺の意見は普通に無視された。 それから、あるは餌を持って猫を釣ろうとするが、一向に食べようとせず遠くに置いた餌を引きずって俺の膝の上で食べ始める。
「……アキさんは懐かれてますね」
「そうみたいだな」
「……なんでですか?」
「分からないな」
「猫は自分にあまり興味がない人が好きとか聞いたことがあるね」
なるほど、確かに俺はこんな猫には大して興味がない。 触り心地がいいのは認めるが、わざわざ飼って可愛がるという感覚は分からない。
「んぅ、あまりベタベタしないように……」
「あっ、私ご飯貰ってくるね」
「僕も行きます」
「いや、私だけ働いてないし、これぐらいさせてよ。 治癒魔法使ったって言っても疲れてはいるでしょ?」
月城はエルを押し留めて扉から出て行く。 その様子を見てから俺は猫を横に退けて、エルに近寄る。
「どうかしましたか?」
「月城がいたらあまり話も出来ないからな」
「……自分にも浄化を使うので少し待っていただきたいです」
「いや、それは少し待ってくれ」
汗をかいているエル……。 生唾を飲み込む音が聞こえ、それが自分で発した物であることに気がつく。
エルは俺の考えに気が付いたのか、顔を赤くして後ろに下がる。
「それは、ダメです」
「……少しだけ、匂いを嗅がせてくれ」
「絶対いやです」
「最近、ずっとエルと離れているから辛いんだ」
「四六時中一緒にいるじゃないですかっ」
「距離が遠い」
エルはふるふると首を横に振って否定する。 今のエルも、理由こそ分からないが俺のことを好いてくれている。 若干ではあるが独占欲のようなものも見せてくれるようになったし、歩く時も月城と俺の間に入るようにしていた。
軽く身体を抱き寄せようとしたところで白い光がエルを包み、若干感じられていた匂いが薄れてしまう。
エルは赤く染めた頰のまま、俺をじとりと半目で睨む。
「……変態です」
「違う」
「汗の匂いを嗅ぎたがるなんて、どうかしてます」
「それは自分の首を絞めるぞ」
この趣味は半分エルから移されたようなものだ。 むしろ俺よりもエルの方が匂いを嗅ぎたがるのに……。
「んぅ?」
「まぁ、別にいいか。 ……少し触ってもいいか?」
俺が問うと、エルは小さく頷く。
「月城さんがくるまで……変なところで、なければ」
エルの緊張が移ったように心臓が早く鳴る。 ゆっくりとエルの腰に手をまわそうとする。
「にゃー」
ガリガリと俺の脚を引っ掻くにゃん太をベッドから降ろし、再びエルに向き直る。 少し気の抜けた一連の流れのおかげか、エルは強張らせていた身体を弛緩させて少し笑う。
気をとりなおしてエルに手を伸ばし、にゃん太がにゃーにゃーと鳴いて邪魔をする。
そうしているうちに月城が戻ってきて、結局エルを触ることが出来ずに二人きりの時間が終わる。
「おまたせー」
「あ……ありがとうございます」
「ん、どうしたの? 不満そうだけど、嫌いな食べ物あった?」
「……いえ、特にないです」
月城は猫の前に餌を置き、ニヤニヤとした粘りっぽい笑みで猫を見る。
可愛らしい物が好きなのだろう。 異世界の文化が多いからか理解し難いところも多いが、なんとなく共感出来るところも多い。
「エルたん、ネコミミ作ったら付けてくれる?」
「付けませんよっ!」
「アキくんからも説得してあげてよ」
「……何故猫の耳をエルに付けるんだ? そんなのを取ったらにゃん太が死なないか? 治癒魔法があると言っても今のエルの魔力だと部位の破損は無理だと思うが……」
「すごいグロい発想に至ってるね。 そうじゃなくて、耳と尻尾を作り物で付けるの。にゃんこエルたん見たくない?」
月城の言葉を聞き、その姿を想像する。 エルの頭の上に猫の耳が付いて、腰の辺りに尻尾が……。 エルの顔を見ると、嫌そうに顰められるがそのまま想像を続ける。
俺の足元に擦り寄ってくるエルを想像して顔がニヤケそうになったが……。
「猫の意味あるか?」
「えっ、アキくんはネコミミ萌えないの?」
「尾はまだしも耳はエルの綺麗な髪を隠すだけだろう」
「隠すってほど隠れないよ。 ……ネコミミ良いと思うんだけどなぁ」
まぁ無駄な物は付けない方が可愛いのは間違いない。 エルはそのままのエルが一番可愛いのだ。 月城が運んでくれた料理を見て、軽く手を合わせてから食器を手に持つ。
「そういえば、ケトさんみたいな獣人さんってあんまり見ないよね。 ファンタジーなのに、一人しか見たことない」
「ん? ああ……この国はほとんど人間だけだからな」
「よくある人間こそ至高みたいなとこなの?」
「異世界ではそういう思想がよくあるのか?
あまり詳しいわけではないが、歴史の浅い国で、元々生物がマトモに住めない不毛の地だったらしいからな。 高度に発達した魔法により、水を作り畑や、畜産が成り立っている。 つまり魔法の素養が生存のレベルで重視される国のため、魔法の素養が低い多種族はどうにも住み着けないらしいな」
聞いておいて「ふーん」と気の無い返事をして食べ物を口に運ぶ。
まぁ、それほど面白い話でもないか。
「じゃあなんでケトさんはいるの?」
「知らないな。 本人に聞け……いや、話したくないことかもしれないか」
「訳ありなの?」
「知らないが、出生のことなんて興味本位で聞かれたいものでもないだろう」
「あー、こっちだとそういうものなのか。 なんか重いの多そうだもんね」
異世界では、平気で出生の話をするのだろうか。 だいたいの人間が楽しいとは思えないと思うのだが、実際エルも話す時は苦しそうだった。
「あ、デザート用意してくれてたのに持ってくるの忘れた。 もう一回行ってくるからちょっと待っててね」
「んぅ、あとでもいいのではないでしょうか?」
「もう立ち上がっちゃったからいくよ」
よく話す月城がいなくなると、少しだけ沈黙が流れる。 俺はこのように静かに過ごすのは嫌いではないが、エルは気まずいのか「あ、これ美味しいです」などのひとり言を言って沈黙を誤魔化そうとする。
「気に入ったなら俺の分も食べるか?」
「いえ……もうお腹いっぱいなので。 ちょっと量が多くて」
まだ少し残っているようだったが、少し苦しそうにしている。 エルは食べ物を残すのを嫌がるので、いつもなら俺が食べるのだが、記憶の影響か無理に詰め込もうとしている。
「……代わりに食べようか?」
「んぅ……大丈夫です。 痩せちゃったので、少しでも食べないと……」
「無理に詰めると昼からしんどいぞ」
「じゃあ、一口だけお願いしても、いいですか?」
エルがオズオズと俺の方にフォークで刺した肉を向けて、恥ずかしそうに目を背ける。 皿ごと渡してくれたらいいのではと戸惑っていると、エルは「あーん、してください」と言う。
流石に照れ臭さを感じながら口を開けて……目の前に黒い影が走った。
「にゃー」
こいつ、俺のものを……。 多少不快に思ったが、動物、畜生のやることに目くじらを立てる必要はない。 エルが改めて俺に食べさせてくれようとしているので、気にする必要はない。
そう自分に言い聞かせる。
エルがもう一度「アキさん、あーん」と言ってこちらに向けて、扉が開く音に慌てて手を引っ込める。
「おっまたせー」
いちいちタイミングが悪い。
エルは誤魔化すように食べるのを再開し、俺を見ないように月城の方を見続ける。
「あれ、エルたんなんか不満そう。 これ嫌いだっけ?」
「不満などないです」
……「あーん」されたかった。




