鬼と讃えよ③
人は死ぬ。 人が死ねば魔物が生まれる。
人は死ぬ。 いつか死ぬ。 絶対に死ぬ。
ならば、魔物を生まないためにはーー人は産まれてはならない。
けれど、人は産む、人を産む。 だったら増えすぎないように間引がなければならない。
「……戦争、止めたら、ダメなんでしょうか?」
答えを言ってやらねばならないことは分かるけれど、そうしなければエルが傷つくのも分かるが……答えなんてあるはずがない。
人が死ぬのは嫌だ。 その理屈で動けば、いずれより多くの人が死ぬ、最悪、それが原因で人類が絶滅してしまう。
いや、人がいなくなった世界で、魔物が動植物を傷つけない保証があるものか。 それこそ、生物が根絶やしになる可能性すら存在する。
だから、見捨てるのか? 助からないから、見て見ぬフリをして、目を逸らして逃げーー!
少女の顔を、思い出す。 年下で、話もあわない。 俺からエルを奪うようなやつで、ほんの短な間しか一緒に入れなかった、友達の顔を思い出す。
また、俺は逃げるのか?
「え、エルたんのエリクシルを使えば! あれなら瘴気が発生しても大丈夫だから!」
「……そのエリクシルを作るために必要な神聖浄化は持っていかれたな。 それに、そのエリクシルもいつまで持つか定かではない。 どうやら移譲では消えないようだが、エルが地球にもどれば、あるいは神聖浄化の能力を持っている奴がいなくなれば消えるかもしれない。 当然の事実として風化もする」
「で、でもっ!」
「大丈夫かもしれない。 は通じない。 瘴気を吸うには風化はどうしようもない。 長く持たせれば持たせるほど人は増えて取り返しがつかなくなる。 まさか、死んだあとだからどうでもいいなんて言えないだろう」
否定の言葉ばかりが出てきて嫌になる。 何も生産的なことを提案出来ない。
無力と嘆くにしても、まだ何も出来ていない。
俺は、何をした? エルの能力によって、国を救えたと思っていたが……それは意味があったのか。 むしろ、より多くの人を殺すことになったのか……分からない。
「……ごめん。 簡単に考えてた」
「いや、悪い。 ……八つ当たりだ」
沈黙が流れる。 月城は逃げるように俺から目を背けた。
「……この世界から、逃げていい?」
「……僕は、嫌です」
「エルたんも、記憶ないなら、帰ったらいいじゃん」
「アキさんを置いてはいけませんから……」
どうやっても地獄だ。 何かをしたら、死ぬ人間が増えるなど、殺されるべき人が増えるなど、考えたくもない。
エルと共に必死で生きて旅をしたそれが、意味のないことなど……俺は何をしてきたんだ。
「……アキさん?」
エルに辛い思いをさせて、エルを働かせて、意味がないどころか、それどころか結果的に多くの人を巻き込んだ被害が出る。 このままエリクシルの影響で魔物が減れば、それがなくなるまでに人間がどこまで増えてしまう。
増えてしまった人間がエリクシルもなしに死ねば、どれだけの魔物が発生し、人を殺す。
「アキさん?」
俺は何のために戦った。 エルのためだ。 エルは何のために戦った。 人のためだ。 なのに人が死ぬのか? 多く、死ぬのか。
馬鹿らしい。 はなからどうでもいいことだ。
「アキさんっ!」
大好きな声が聞こえて、そちらを向く。 白い布地が目に入り、真っ暗になったと思えば、鼻に硬いものが当たって少し痛い。 鼻の奥に血の匂いがしたことを感じながら、息を吸うとエルの匂いがする。
「……大丈夫ですか?」
胸元で頭を抱き締められているらしい。 硬い。
鼻から血が垂れてきて、それがエルの服に付きそうになり離れようとするが、離してくれない。
「アキさん。 大丈夫です。 あなたには僕がついています」
その言葉を聞いて安堵する。
そして、安堵した自分に吐き気がした。
酷く醜い。 分かっている、記憶がないから現在はある程度冷静だけれどエルの方がよほど辛いことだろう。 それなのに、俺を優先してくれることに強い安堵を覚える。
同時に、またエルを俺のために動かしていることに、強い嫌悪が湧き出る。
所詮、俺は、エルよりも自分を優先している。 結局、エルは俺の「エル」像を演じさせられている。
エルの身体を引き離し、頭を下げた。
「……悪い。 血がついたな」
「え、血!? 治ってなかったんですか!?」
「いや、エルたんに興奮して鼻血出しただけでしょ。 むっつりなんだから」
エルは不審そうな目で俺を見る。 誤解を晴らしたいけれど、まさか、エルの胸がなさすぎて肋骨に直撃したせいで鼻血が出たなどと言えるはずもない。
案外、エルは胸がないことを気にしていることもある。
誤魔化すように首を左右に振ってから、鼻を押さえた。
「……エルは、月城のように帰ろうとは思わないのか?」
「思いませんよ?」
何を言っているのか、そんな言葉を思っているような雰囲気だけれど、彼女は嘘を吐いている。 強い役割意識、十年も雨夜樹をしていたのと同じようにエルをしようとしている。
彼女にとってはそれがある種、当然のことなのだろう。 他人が望むような振る舞いをすること自体は珍しいことではない。
俺自身も、エルが近くにいるときには可能な限り、他の女と距離を取るとか話を減らすなど、望まれている風に立ち振る舞う。 多かれ少なかれ、誰にでもあることだ。
問題は、あまりにそれが多く強い。
記憶がなくなっているのに、あまり変わらないような振る舞い。 エルがエルを演じている。 俺が不安に思わないように自分を信じ犠牲にしているのだろう。
エルの犠牲により成り立つ表面上の救いは、俺にとってあまりに都合が良かった。 良すぎるほどには。
吐き捨てるように息をして、立ち上がり部屋の扉な手を掛ける。
「剣でも振って少し頭を冷やしてくる」
「あ、アキさん……」
少し、冷静になれない。 茶番劇の中で生きていたなどと、納得出来るはずもない。
隣の部屋に突っ込んでいた魔石剣を取り出して、中庭に出て息を吸う。 精神統一などと大それたものではないけれど、思うことを止めて身体の神経を知覚する。 身体の部位がどこにあり、どうなっているか。 息、脈の流れ、心臓の拍からくる、どうしようもない身体のブレが存在している。
高みへと朽ちゆく刃であったとしても、いや、あの技だからこそ、それによって発生する減速は無視出来ない。 グラウを斬り裂いた感触、あの時と同じように、呼吸のブレと心臓のブレを一致させる。
ブレというのは、運動である。 勝手に動くそれならば、自由に動かせる他のものを合わせたらいいだけだ。 減速を加速に変える。
ーー高みへと朽ちゆく刃
風を引き裂いて高く鳴る音を耳にしながら、ゆっくりと息を吐き出す。
おそらく、グラウの扱っていた一式と同じものだろう。 俺の方が速かったのは単純に身体能力の勝りで、技術では負け続けていた。
あの時、グラウが行おうとしていた世界から魔の法則を消すということそれが……結果として、唯一世界を救う方法なのではないだろうか。
「グラウ……教えてくれ、俺はどうしたらいい」
剣を握りしめて、越えられなかった師の名前を呟いた。
結局俺は、高みへと朽ちゆく刃の五式を身に付けることは出来なかった。
刃は高みへと朽ちゆく
あの時、俺はそう言った。 縛り付けられていたグラウが、あるいは……俺自身が、辛く、そうあって欲しいと願った。
瘴気は、死んだ人間だ。 無理矢理に地に留まって、人を憎む。 可哀想だ。 あまりに……それは。 グラウの剣を見る。
まだグラウの心は残っているのか。 俺の母親に、ハクに会うことも出来ずに地に縛り付けられているのか。
人は……何故こんなにも救われない。
グラウは何のために生きた。 何のために死んだ。 リクシーは、エルは、ロトは、リアナは、酒場の主人は、母親は、三輪は、俺が話してきた人間は、俺が殺してきた魔物は。 世界に生きるそれらは、死んでも縛り付けられるそれらは。
「……ルト、話がある」
思えば思うほど、目から涙は止まらない。
魔物は……何故あまりにも報われない。
涙を押さえることも出来ずに振り返る。 笑顔すら見たこともない父親が立っていた。
「私は戦に行くことになった。 この屋敷はもうお前にやる」
救いたい人が増える。
グラウを救いたいと思ったときから、もう歯止めが効かなくなっていたのかもしれない。
いや、それより以前のことだ。 エルを拾ったあのときから、俺は……誰かの英雄になりたかったんだ。




