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救いたいと思うことをやめたくはない③

 エルに魔法を教えるべきか否か。

 前を踏襲するのは避けたいが、浄化の能力に抗う術でもあったのは確かなことだ。

 問題は……記憶を失うというグラウの能力、高みへと朽ちゆく刃(ハクシニイタル)においても見られた瘴気の放出があったために、エルの魔物化が治り、魔力が低下していることである。


 あるいは瘴気の流出は記憶の喪失の副作用なのではなく、記憶が瘴気の中にあるから、それを放出することで記憶を失う能力なのかもしれない。

 瘴気とは精神なのだから、そちらの方が辻褄が合うが、エンブルクは瘴気を大量に持っているのに頭が良くないことがおかしいように感じる。


「エル」


 赤い目よりも黒目のままの方が可愛いので魔物化は避けるとしても、魔法はあった方がいいだろう。 そもそもの魔力量は常人程度だが、賢いからどうにでもなるはずだ。


 酷く痩せた影響かあまり早く食べることが出来ず、柔らかい食事をゆっくりと食べているエルに声をかける。

 反応はなく、むぐむぐと可愛らしく口を動かして、遅れてハッと俺の方を見た。


「あっ、すみませんっ! 僕を呼びましたよね。 ……どうにも慣れなくて」

「仕方ないな。 ……呼び方、変えた方がいいか?」


 口の中に残っていたものを飲み込んで、スプーンを置く。 戸惑ったような瞳の揺れ。 首を横に振ろうとしているのは分かるけれど、結局動くことはない。


「……アキレアさんは、僕のことが好きなんですよね」

「ああ、何よりも大切だ」


 エルは顔を赤らめ隠すように俯きながら「またそんな恥ずかしいことを……」と恨み言を呟くかのように言う。 赤くなった耳に気が付いたのか、隠すように掻いた。


「……それは僕……「雨夜 樹」ではなくて「エル=エンブルク」のことが好きだっただけではないんですか?」

「エルは、お前は初めから雨夜 樹ではないだろ」

「……そうなんですけど、そうじゃなくて。 僕は、少なくともお母さんの前では雨夜 樹だったんです。

振る舞い方として、多分差異があると思うんです。 僕って人に好かれるような人格ではないですし、アキレアさんが好きになったってことは、もっとキャピキャピしていたと思うのです」


 少し思い出す。 キャピキャピというのは、女性がはしゃぐ擬音だろう。 していただろうか。


「……まぁ多少はしていたか」

「でしょう。 ……同一人物なのかもしれませんか、別人のようなものです。 僕もアキレアさんのことが好きということもありません。

……アキレアさんが僕のことをエルって呼ぶのは、騙しているような」

「ほとんど初対面で惚れたから、それは関係ないな。 あと、来る前から結構好かれていたぞ。 月城とか、あと……三輪とかにも」


 エルは戸惑ったような表情をしてから、首を傾げる。


「あまり、話したことがないんですけど、二人とも」

「三輪はよく話しかけていたらしい。 気に入らない」

「んぅ? まぁ多少は……」

「何にせよ。騙されてはいないから、気にするな」

「……でも、貴方は僕に元に戻ってほしいんじゃないですか?」


 当たり前だ。 そう思っても口に出せるはずがない。 無い物ねだりである。 自らそれを選んだエルの否定である。 今目の前にいる彼女も否定している。

 いや、戻ってきてほしいと思うこと自体が否定なのかもしれないが……少なくとも、彼女に嫌われたくはなく、首を横になって振る。


「一緒にいてくれたらいい。 俺のことを好きになる必要も、記憶が戻る必要もない」

「……そうですか」


 目に見えて安堵した彼女の顔に安心を覚えるのと同時に、心臓に何かを突き付けられるような感覚が背筋を走る。

 薄らぐ視界の中、理解する。 これがエルを蝕んでいた罪悪感だ。


 愛する人からよく思われるために、その人にとって耳触りのいい嘘を吐いて騙す。 ある種、媚びと言えなくもないが、それにしては悪質も過ぎた。


 誤魔化すように、家に戻る計画を立てる。 一番手っ取り早いのは行きと同じように彼女を背負って走ることだが、それは彼女が嫌がるだろう。 他の交通手段は、馬車ならば金銭が足りない、歩くのだと彼女の脚に負担がかかる。 というか辿り着けない。

 結局は、背負うしかないわけだ。


 昼食を食べ終えたエルに可能な交通手段がそれしかないことを伝え、街の外で乗って、街に入る前に降ろすことでなんとか承諾を得た。 久しぶりにエルの身体を触れるのだ。


「……変なところは触らないでくださいね」

「信用ないな」

「言ったらやらないでくれるって、信用しているんです」


 物は言いようだ。 街から出てから、エルを背負う。 軽い感覚に懐かしさを覚えながら草原を駆ける。


「そう言えば、あの街に家を買ったんだけどほとんど使ってないな」

「……? なんで買ったんですか?」

「エルと一緒に暮らすつもりだったんだが、その時はエルに魔法で洗脳されていて、エルがいなかったから」

「んぅ、でも、近くに立派なお屋敷があるのに、必要だったんですか?」

「それは……なんというか」


 エルと二人で翻訳業でもしながら新婚生活(性的な意味)を送りたかったと言ったら避けられそうである。

 隠し事が増えてきたことに、ため息を吐いてから口を開く。


「人が多く少し騒がしい場所だからな。 ゆっくりした方がいいだろう」

「あっ、分かります。 僕も学校の教室にいるのが辛くて、休み時間はいつも屋上にいました」

「……そうか」

「いや、ぼっちってわけではないですよ? 携帯にも六つも連絡先登録してましたからね」

「母親、学校、病院が二つ、親戚が二つだったか」

「……なんで内約を知ってるんですか。 ……別にいいんです。 学生の連絡網なんて必要ないんです」

「少し前に聞いたんだよ、エルから」

「うぅ……昔の僕め、酷いことをバラして……。 友達なんていらないですから。 あれですよ、近年はネットイジメみたいなのがあって、だから、あえてなんです」


 なるほど、だからこの世界に来てから月城と仲良くなったのか。 流石、懸命だな。

 常日頃から俺の後ろに隠れていたから単純に親しくない人と話すのが苦手なのかと思っていた。


「月城とはすぐに仲良くなってたから不思議に思っていたが、そういうことだったのか」

「本当に月城さんと仲良かったんですか?……んぅ」

「どうしてだ?」

「月城さん、男女混合の仲良しグループにいたんですよ。 怖くないですか?」

「なんでだ」

「ほら、怖くないですか? ダブルカップルみたいで」

「それだと怖い理由が分からないが、交際はしていないと思う。 月城も三輪も好いている人は別だから」

「そうなんです? というか、三輪くんもいるんですか?」

「いや、少し街に滞在していたが、レベル上げしに別のところに行ったな」


 ふう、と小さく安堵の息が吐き出され、首筋にかかる。

 そんなに怖いのだろうか。 ……まぁ、そうなのだろう。


 俺も怖がられているのだろうか。 以前に比べて俺が中心に動くことも増えたので、その可能性は高い。


「アキレアさんは、そんなに怖くないですよ?」

「……なんで顔も見ずに思っていることが分かるんだよ」

「いひひ、分かりますよ。 なんとなく、ですけど」


 記憶が残っている。 ではないだろう。 案外勘も鋭いから、そこらへんだろう。


「……アキレアさんも、僕の思っていること、すぐ分かりますよね」

「ああ、当たり前だ」

「本当に夫婦だったのかも、って思うんです」


 ギュっと俺のことを掴んで、身体をより預けるように身体を前傾させる。 エルは躊躇うように小さな声を出す。


「……ちゅーとか、してたんです?」

「まぁ、エルが許してくれる限りは」

「……何回もですか……」

「いや、三回か四回くらいしかしていないな」

「なんではっきりしないんです?」

「日によって変わるだろう」

「毎日!? 嘘ですよね? そんなバカップルみたいな……」


 「うそだ」「なんで……」と自分の過去の行動に混乱しているエルを背負って、夕方になる前には、元にいた街に戻ってきた。


「うぅ……ファーストキスが知らないうちに……」

「初め以外も俺が貰うから一緒だろう」

「甘い言葉でも、真顔で言われるとちょっと怖いですよ……」


 街の外でエルを降ろす。 顔を真っ赤にしていて目を潤ましているのが可愛らしい。

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