雨は降り続いている②
洗脳魔法と言えば風聞は悪いけれど、自分の意思を自分の意思で操作出来るというのは有用である。 特に、今のような状況では確かに役に立った。
「気分が悪かったりはしてませんか?」
「ああ」
エルは顔を赤く染めながらも冷静に事を進め始める。
洗脳魔法とは言えど、今は性欲を封じ込めているだけなので大きな違和には陥っていない。
エルに対する攻撃性と呼ぶべきか、無理矢理にでも手篭めにしたいと思っていた部分がなくなったのは少し不思議だ。
普段からこの魔法をかけてもらっていた方がいいかもしれない。
「……えと、その、すみませんでした。 変な事をして……」
「いや、俺がしろと言ったことだ」
「そちらではなくて……」
「ああ」
濡れている上着を着なおしながら、エルは言う。
「……勇者の能力?」
「そんなのあるのか?」
「いや、分かりませんけど……。
その恥ずかしいんですけど、恥ずかしがって隠しててもダメなので……」
エルは少し気まずそうにしながら、口を開いて、俺から目を逸らす。
「アキさんとの子供が欲しくなって……ました」
何て反応したらいいのか。 それは俺も欲しいけれど……いや、欲しいか? 欲しくないかもしれない。
少し混乱している頭を壁に付けて、そのまま寄りかかる。
「そうか」
「いや、元々欲しかったんですよ。 でも、日本に戻らないと、とか、そういうのが抜け落ちて、早く早くと急かされてるみたいで」
「敵か?」
「分かりません。 でも、元々あった感情だったんで、あまり違和感は抱きませんでした。
むしろ、自分で操ってる今の方が」
そう言ってから、二人で息を吐き出した。
「……瘴気のせいか?」
「かもしれないです。 他の勇者が近くにいる可能性もありますけど、魔力は感じられないですし」
敵対する勇者が近くにいたら、肌がピリつく感覚が出る。 勇者の中にある神の力への恐れか何かは分からないが、俺の獣じみた感覚では勇者が近くにいるようには思えない。
「……暫定的に、瘴気のせいということにするか。 警戒は怠れないが」
「すみません……。 神聖浄化が使えたら……」
「使わなくていい。 使えたらハッキリとすることだが……瘴気があれば利点もある」
手を何度か開閉させてから頷く。 最近は瘴気に当たる機会がなかったので忘れていたが、やはり瘴気の多い場所だと俺の身体能力は格段に向上する。
エルの異常な魔力量も同じように。 俺の身体能力、エルの魔力、あの男……最近名前を知ったがヒュマゴブリンの瘴気魔法も、岩の巨人の再生力も同じように、瘴気があればあるほどに強化されていた。
「健康被害とか大丈夫でしょうか? ……僕はむしろ楽なぐらいですが」
「俺も同じだ」
「……瘴気がせ、性欲を増進させるみたいなの、少し不思議なんです。 魔物は繁殖では増えないので、意味がないと思うんです」
よく分からないが軽く頷く。
「……考えても分からないな」
「そう、ですね」
「寝ることになるが、魔法の継続は出来るか?」
「もう魔法の発動が終わってるこの家……という箱と、得意な洗脳魔法は問題ないです。 空気を温めてる魔法は、寝たらなくなると思います」
寒いから、引っ付いて寝る必要があるのか。 エルの身体を抱き寄せながら壁に寄りかかる。 可愛らしい声が腕の中から漏れ出て、それを抱き締めた。
柔らかい、心地良くて安らぐ。
戦いは慣れたものだった。 回数はそれほど多くないはずで、戦い始めてから一年も経ってはいないが、それでも俺は戦いに慣れていた。
それが魔物の性というものなのか、あるいはーー雨夜 樹か。 どちらかも分からないけれど、都合良く、そして不快だった。
ほんの少しエルの身体を強く抱き締める。
「どうしたんですか? アキさん」
「いや、少しだけ怖くなった」
エルに好かれているのは俺なのか?
強い魔物か、あるいは雨夜 樹か。 俺の中にいる誰かなのではないのだろうか。
「大丈夫です。 僕がいますからね、アキさん」
その言葉が、優しく俺を撫でる手が怖かった。
「ああ、分かっている。 進もう」
怖がりな自分を悟られないように薄く笑う。 エルは安心したように俺の身体に体重を預けて、暫くすると寝息が聞こえ始めた。 上着を脱いで、胸の中にいるエルの背中にかける。
「そうだな。 エルがいる」
だから怖いんだ。 いなければ恐怖なんて感じなかっただろう。 強くあれたかもしれない。
以前のグラウの言葉を思い出す。 同じだけ強いのだったら、朽ちていた方が強いと。 何も持っていない方が強くなれると言っていた。
俺はそれを否定し、グラウもそれを否定したがった。
けれど、事実は事実だった、それだけの話だ。
目を閉じた。
外にはまだ雨の音が聞こえる。
◆◆◆◆◆◆
雨はまだ止んでいない。 干し肉を齧って塩気と油を口の中に出す。
幾つかの魔物を片手間に切り落とし、息を吐く。
一緒に食べていたエルがえづく。
「悪い」
「いえ、すみません」
次はもう少し上手く仕留めよう。
魔石だけ突いて殺すなどしたら、エルも気持ち悪くないだろう。
「悪い」
「いえ……すみません」
力が余って四散させてしまった。 上手く感覚が掴めない。 エルは目を背けて吐き出しそうにしているのをがましている。
「力、強いですね」
「そうだな。 力加減が難しい」
まさか手を抜きすぎて殺せなかったら困るし、難しいところだ。
次は上手く殺す。 そう決意をして、また歩く。
「……進んでいる割合から考えると食料が少ないですね」
「そうだな」
「始めに持っていた分の三分の二を切ったら、刃人の王を倒せてなくても一度戻りましょう」
「半分じゃダメなのか?」
「あるていど予備がないと不安ですから」
エルの言葉に頷く。 腹を減らして魔物と戦ったり、倒してから食料が足らずに野たれ死んだりするのは避けなければならないか。
弱い魔物を食べるのならまだしも、この強さの魔物だと魔力が豊富すぎて腹を下しそうだ。
レイとかなら、平気で食えそうだが……。 まぁ最悪、俺が魔物を喰って、エルがいつもの保存食を食えばいいか。
エルよりかは腹も丈夫だろう。
歩いていると、肌に細い針が刺さるような感覚。
「そろそろか」
「……そうですか。 僕には分かりませんが」
「俺には分かる。 近く……いや、近いとは言えないが、そう遠くないところにいる」
刃人の王。 どれほどの強さかも分からないが、勝てないほどではないはずだ。
高みへと朽ちゆく刃よりも強い剣技は、あり得ない。
最も速く、凡ゆるを斬り裂き、何者よりも無駄のない剣。 それがグラウの剣技で、理屈にしても、実感としてもそれが正しいことを分かっている。
ただ一つ、エルへの感情のみが、それを否定したがっていただけだ。




