饅頭怖い⑧
ベッドに倒れ込み、生温い息を吐き出す。
全身に感じる鬱屈した動きにくさ、風邪を引いたときに似ているが、それ以上に精神的な感覚が強い。
「アキさん、大丈夫ですか?」
エルは不安そうな眼で俺の顔を覗き込み、横に寝転ぶ。
大丈夫かどうかを尋ねられたら、大丈夫とは言い難いだろう。
俺がエルの義母の息子……間接的にではあるが、エルを何年も苦しめた奴だった。 義兄の、雨夜 樹。
一千年前の英雄。 エルの義兄。
「ごめん、ごめん。 エル……。
俺のせいで」
謝って許されることか。 人の心なんて俺には分かりはしない。
初めて感じる、身を引き裂かれるような罪悪への呵責。 エルがいつも感じていた、自身への嫌悪感。 自分のことを汚れと思い、消したくなる欲求。
「ごめん、ごめん」
そんな強い自己嫌悪の中ーー。
「アキさん、大好きですよ」
認められる多幸感。 愛される悦楽。 それに溺れない筈もなく、泥沼に嵌るようにエルの身体を抱きしめた。
エルの微笑みに救われたように感じて、全身の筋肉が弛緩して身体が緩む。 女神に抱き止められたような安心感を覚えて、その薄い胸に顔を押し付ける。
「怖がらなくても大丈夫です。 何があろうと僕はアキさんの味方です」
見透かされている。 俺の思いも心中も、情けないそれが吐露もせずに当てられる羞恥もあるが、それ以上に受け止められる幸福の方がよほど強い。
「エル……」
俺が胸から上を見ると、エルは本当に嬉しそうに笑みを浮かべた。 何故か……一瞬だけ、首筋に凶器を突き付けられるような感覚が走った。
◆◆◆◆◆◆
夢の話をした。 以前から時々見ていた男の話で、それを出来る限り詳細に語る。 俺の言葉は要領を得ていないだろうが、それでもエルはうんうんと頷きながら耳を傾けた。
「総じて纏めると、アキさんは雨夜 樹さんではないですね」
エルはその後「雨夜 樹って他の人を指していうのはなんかむずかゆいです」と笑う。
気にしているのは俺ばかりらしいことを知り、ほんの少し安堵し、その安堵が酷く卑怯なものであることに気がつく。
エルを傷付けておいて、気にしていないということを利用して自身の安定を図る。 許されることではないだろう。
「雨夜 樹じゃないのか? 今までの話からして、決定的な証拠こそないが……」
エルは俺の頭を撫でて頷く。
「アキさんは雨夜 樹さんの記憶があるみたいですが……」
一呼吸おいてから、少し心配そうに俺の顔を見た。
「その夢の女の子、好きですか?」
「いや、特にそういう感情はないが」
「なら、別人です。 記憶はあっても、想いを引き継いでいないんですから」
エルの言葉はよく分からない。 いや、そもそもどう説明されようと納得することは難しいだろう。
俺は俺を持っていなかった。 何があれば俺で、何を持っていたら俺ではないのか。
我の定義が分からず、快く頷くことが出来ずにいた。
「そうか」
エルの言葉は安心感を外側から無理矢理押し付けられたかのようだ。 疑問や戸惑いとは反対に、心の中だけはやけに落ち着いて納得している。
「そうですよ。 だから、安心してください」
俺には分かりはしない。 ならばエルに頼るしかなく、エルは別人だと言った。
頭の片隅にある不快な感覚を無視すれば、それで終わりだ。
何にせよ、エルに嫌われることがなくて良かった。 結局は、俺の想いはそこに帰結する。 してしまう。
自立出来ていない情けなさもあるが、それが心地よくあるせいで立ち上がる気にもなれない。
以前の自分を思い出して変わりきったことを感じると、その中心にエルがいることは間違いなく……妙な違和感を覚える。
「なぁ、エル……」
「んぅ、どうしたんですか?」
だが、その違和感の正体も分からずに、エルに尋ねる言葉もまとまらない。 一体、何がおかしいのか。
「……何故、俺はこんなにもエルが好きなんだ?」
エルはキョトンとした顔で俺を見て、もじもじと身体を捩る。
「そ、そう言われましても……。 なんでそんなことを聞くんですか?」
何故聞くのか。 違和感を覚えたから、というのも当然あるが、問題は何故そんな違和感を抱いたかだろうか。
「上手く言葉で言い表すことは難しいんだが。
俺と雨夜 樹の違いを把握するのは難しいというか……。 肉体は雨夜 樹の物とは違う。 記憶は引き継いでいる。 想いも違う。
精神性というか、思考回路というものは違うのかを確かめようかと思って」
「……それで、なんで僕のことがす、好きかって話になるんです?」
「いつもエルのことばかり考えているからな。 それから考えようかと」
「僕のことばかり考えている時点で、別人なんじゃないですか?」
甘やかされるように撫でられていた頭をエルから離して、枕に持っていく。 撫でられながらだとまともに会話が出来る気がしない。
「いや、エルと会えば、誰だってエルのことばかり考えるようになるだろう」
「なりませんから。 怖いですよそんなの。
……人が人を好きになる理由なんて、考えたら分かるでしょう」
顔を赤らめながらエルは指を四つ立てる。
少し思案したあと、一つの指だけを残して話始めた。
「クラスメートの会話や物語がほとんどで、実際にはアキさんとしか恋愛経験しかない浅はかな僕の考えだけですけど。
まず一つ目に、容姿です。 ……なんか始めからゲスいですね」
エルの言葉に頷く。
容姿というのには納得のいく話だ。 当然、俺もエルの可愛らしく美しい見た目には心惹かれるものが多く、見ているだけで幸せな気持ちになれる。
不快な話だが、三輪も小さい女の子が好きと言っていたし、容姿は好意を抱く要因として重大なものなのだろう。
「ああそうか。
……じゃあ、エルも俺の見た目が好きか?」
「……アキさんには恥じらいというものがないです。
当然、嫌いではないですけど……。 かっこいいんだとは思いますけど、笑顔が少ないというか……です」
「……そうか」
「落ち込まないでくださいよ。 アキさんのことが好きなことには変わりないですから」
少し気を取り直して、エルの身体に触れて落ち着きを取り戻す。
笑顔が少ないか。 散々惚けているような顔をしていると思うが、照れ隠しに顔を背けていることが多いか。
エルに好かれようと精一杯の笑みを浮かべてみるが、エルは不思議そうにこちらを見るだけだ。
「えと、いいですか?
次は内面というか……そうですね、どういう態度かってことです。
例えば、自分に好意的な人の方が好きになりやすいですし、優しくされても好きになりやすいですよね? たぶん」
「ああ、そうだな、たぶん」
このたぶんを付けてしまうのは、両方に共通する恋愛経験のなさのせいか。 俺もエルも、過去であったとしても相手に自分以外のに好意を持って欲しくないと思っているのでそちらの方がいいのだろうが。
少し考えてみると、エルを好きになったのはいつだろうか。 ガリガリに痩せ細った、俺に怯えているときのエルだっただろうか。
当時ですら気がついていなかった自分の気持ちを正確に思い出すことなんて出来るはずもないが、少なくともエルに好き好きとされるよりも前に惚れていた気がする。
優しくされていたのは事実だが。
「三つ目はステータスが高いというか……。 頭が良かったり、運動出来たり、みたいな感じですかね?」
「いや、分からないけど」
「四つ目は……状況とか? 」
いや、なんで尋ね返してくるんだ。
分からないから聞いているのだから答えられるはずもなかった。
小腹が空いたので何か食べようかと思い、余っていたゴブリン饅頭に手を伸ばし、止まる。
「んぅ、どうしたんですか?」
本当にどうしたというのか、俺の手は動くことがなく饅頭を掴むことが出来ない。
「……怖い」
「何がですか?」
「饅頭が、なんか怖い」




