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ハクシに至る⑥


 虚ろな瞳がエルを見た。 グラウはそのまま木の根元に倒れ込み、小さくエルに手を伸ばそうとして、諦めたようにぱたりと手を落とした。


 口が動く。 虚ろな瞳は少しずつ色が灯るように変化していき、血のような赤い目ではなく、火の灯った赤い目が取り戻される。


「忘れてください……か。 忘れて、か」


 確かめるようにそう言って、納得したように頷いた。


「ああ、そうだったな。 全て思い出した」


 グラウは立ち上がり、エルを睨む。 エルがびくりと震える。 緊張が解けたのか、エルに怯えが戻り俺の後ろに隠れる。


「……よくも、思い出させてくれたな」


 まぁ、そうなるか。 俺ならば、エルを恨むだろう。

 グラウの目的を思い出させることで、グラウの目的の達成を阻害するというのは、なんと言っていいか分からないほどに皮肉だ。


「グラウさんの得ていた能力は、予想していた剣の能力ではありませんでした。

ずっと頑張って剣を振っていたのではなくて、ずっと忘れようと、忘れられないことを忘れようとして得た忘却の能力です」


 エルが俺に小さな声で伝える。 エルの言葉を聞いて俺は頷く。 グラウの能力、人生の結晶は記憶の消去であるとすれば、今までのグラウの信じられないほどの「弱さ」は、能力によって剣技が失われていたからだろう。

 その能力が解かれて、本来のグラウが取り戻された。

 おそらくは、俺の知っているグラウでさえも、実際のグラウの実力よりも弱く弱く弱く、あらゆる技が失われていた状態だったのだと思われる。


 これからが、正念場であり、俺の師である、最強の剣士の真の実力が振るわれる時。 勝てるか、負けても誰も殺されることはないだろう。 でも、勝とう。

 それは、きっとグラウの救いになる。


 想い人を思い出した喜びか、あるいはその願いを叶えられなかった悔しさからか、赤い目から雫が流れ落ちる。 それでも一切俺から目を逸らさずに立ち上がった。


「アキレア、エル。 だが、それでもありがとう」


 グラウは石剣を握りしめて、泣きながら俺を睨む。

 俺も荒鋼を握り、上段に構える。 グラウの構えと、俺の構えは似通っていた。

 最速最強の剣技、高みへと朽ちゆく刃は、ある種の剣技の究極系であり、人の限界だ。 つまりは限りないほどの効率の塊であり、最効率を求めた結果が同じ物に至るのは必然だ。


 俺が沈黙に耐えきれずに技を放ったのと同時に、刃がぶつかり合う。 そのぶつかり合った音が聞こえたのは、八度目の剣戟の後だった。 グラウと俺が互いに距離を取ってから甲高い剣の音が聞こえる。 互いに怪我はないが、技量の差は明確に剣に現れていた。

 荒鋼の刃が醜く欠けて、岩の巨人を何度殴っても一つの傷もなかった野太い剣身が大きく捻じ曲がっている。 一方のグラウの剣は依然として人を殺すのに向いた形をしていた。


 荒れる息、酷い怯えが全身を走る。 一瞬でも読み違えれば両断されるだろう。 エルの治癒魔法があるからと言っても、それも無限ではない。


「……剣士としては、別として、高みへとへと朽ちゆく刃という技のみを追求するのならば、他の技術は邪魔にしかならない。

技術とは選択肢だ。 選択をする間があれば斬ればいい。 俺はそう教えたはずだ」


 グラウはそう言って石剣を地面に突き刺して俺を見る。 ロトに向かって手を伸ばすと、ロトは俺に丁度いい剣を寄越した。 無駄な鋸の様な刃もあるが武器としては十分だろう。


 グラウと同じように、ただ敵対する相手を真っ直ぐに見る……ことは、出来なかった。


 同時にグラウと剣を振り合い、幾十もの剣戟が巻き起こるが、どうしてもエルの姿を確認してしまいそうになる。 無論、剣を振っている最中に姿を確認することはないが、気に止まる。

 だから、俺は押し負けるのだ。 それは分かっている。


 ただひたすらに相手のみを見る、それが……グラウから教わり、今の今まで身に付けることの出来なかった、高みへと朽ちゆく刃の五式だった。


 ーー最強の剣士はどんな奴だと思う。


 グラウが俺に高みへと朽ちゆく刃の五式を教えた時の言葉を思い出す。 俺はこう答えた「何よりも守るべきものを強く想っている者」だと。

 グラウは俺の思考を読んだかのように答えた。


「強い想いで、集中することで強くなる。

結構なことだ。 それは正しいのだろう。 人として。

だが、違う。 その強い想いによって起こった集中と同じだけの集中を、何も持たない者がしていたらどうなる。

一方は集中しながらも、人を想う。 もう一方はただ集中する」


 結果は明白だった。 折れた剣を投げ捨てて、ロトから二本目の剣を受け取る。

 グラウと俺は違う。 幾ら似ていても、グラウは持っていなくて、俺は持っている。 あるいはグラウは朽ちていて、俺は朽ちていない。

 前に飛び出す、剣を振るい、振るったことを認識するより前に二撃目、三撃目、十撃、百撃。

 普通にやれば全身の筋や血管が断裂してしまうだろうが、今の空間において肉体の欠損は何の意味も持たない。


 何故、俺はそれでも剣を振るっている。 グラウとの高みへと朽ちゆく刃の撃ち合いに負けて、全身が細切れにされながらも立ち上がる。

 酷い痛みに、全身が失われていく不快感に包まれながらも立つ。


「アキレア、お前では俺には勝てない」


 知っていた、知っている。 高みへと朽ちゆく刃の五式は、ただの心構えではなく、その人格を打ち捨ててまで剣を振るうことが出来るかである。

 俺には五式は扱えない。 俺は高みへと朽ちゆくことは出来ない。 エルが隣にいるのだから。


「分かっている」


 分かっているはずだ。 それは、俺だけでなく、グラウも分かっているのに、何故グラウは俺と斬り合う。

 結果は分かっているのに、俺は何故剣を振るって、グラウは何故剣を振るい続ける。


 守る為か、勝つ為か。 守る者を脅かすものはなく、勝つことに意味は持たない。

 ただ俺は、グラウが俺と斬り合いたがるから、振るっているだけだ。


「グラウ、剣の頂きに、何の意味がある」


 最強に至った。 だが、それに目的はない。

 剣を振るう、剣を振るう。 ただ剣を振るうだけに何の意味があるというのか。

 俺が強さを求めるのには意味がある。 エルを守る為に。

 どんな人間だって、求めるのには意味がある。 レイは英雄になりたいと言っていた。 リアナは名声が欲しいと。 ロトは嫉妬に塗れる心を消したくて。 エルは俺のことを守りたい。


 もはやグラウには強さは何の意味も持たない。 ただ高みにて朽ちて朽ちて、朽きって……ただ、ひたすらに空虚さだけが残っていく。


「強さの先が、誰よりも朽ちることだと言うのならば、何故、人は強さを求めるんだ」


 答えはない。 グラウは強さを求めた訳ではないからだ。 ただ、ひたすらに忘れようと朽ちようとし続けた末路が最強だ。


「……だからこそ、お前に教えて欲しい。 俺の人生には何の意味があった。

愛する人を失って、その願いも間違い、思い出せば、願いを果たすことが出来なかった」


 グラウは吐き捨てるように唄い出す。 自分という人生の虚ろさを、同時に最強の剣という中身のない空な言葉を。


 ーー刃は高みへと朽ちゆくワタシのジンセイにはカチがなく

頂きを目指せば(スごしたトキには)空虚が広がり(キミがいなくて)

背後を向くこと(ネてもサメても)すら許せずに(キミをオモい)

高みは何かと(キミのコエもカオも)自問も出来ず(オモいデすらも)

魂削れ(キえて)血肉は弱り(ワスれて)技を失い(イなくなって)意識は途絶え(オモいダせず)

ただ空虚に朽ちゆく(ただ空虚に朽ちゆく)それは(それは)

例えば天(コいコがれ)人の生死(アイして)名誉や富のようにトモにいたいとネガうほどに

登り行けば行くほどに(オモいだけがノコって)届かぬことを知る(イミをウシナう)

だからこそに(それでもキミを)高みを目指して(ナくすのはコワく)

朽ちゆく全てを(オモいだけを)手放して(ニギりしめ)

残った刃を握りしめナくしたスベてをテバナして

振るう棒切れ(サケぶジンセイ)空虚だけれど(ナニもなく)

ああ(ああ)その一振りの名は(そのアイのコトバは)ーーーー


高みへと朽ちゆく刃(ハクシにイタる)


 それが、本当のグラウの言葉か。

 グラウの身体は虚ろに消えるように、再び白く色が抜け落ちていく、その虚ろな器に瘴気が流れ込もうとして、エルの浄化に掻き消される。

 誰かも分からない、瘴気に邪魔をされて堪るか。


 その詠唱に秘められていた忘却の能力が、グラウの全てを奪い去る。 人ではない。 魔物ではない。


 ただ、グラウは空虚に朽ちていく。 それでも想いだけは残り、俺に向かって剣を構えた。


 おそらく、もうグラウには俺すらも分からないのだろう。 真白な眼から涙を垂れ流し、グラウは剣を振るった。




一応、作中でも軽く触れていますが、少しややこしい気がしたので、軽く説明をさせていただきます。


高みへと朽ちゆく刃(ハクシにイタる)」は技ではなくて、グラウさんの能力です。

ルビのない「高みへと朽ちゆく刃」は剣技です。

高みへと朽ちゆく刃(ハクシにイタる)」は自身の記憶を忘却させる能力で、グラウさんは必死でアキレアくんのお母さんのことを忘れようとし続けて手に入れました。


ルビの「ハクシにイタる」は

白紙に至る

という自身の全てを忘れるという意味と

ハク死に悼る

ハクさんの死を酷く悲しむという二つの意味からです。

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