君が変わりたいと望んでも⑦
エルは道端に落ちている石を両手に挟んで、祈りを捧げた。
それは何に対する祈りなのか、この世界で信仰されている神……違うだろう。 エルをこの世界に連れてきた神、それもなさそうだ。 エルが元々いた世界の神か、違う。
所詮エルではない、俺の予想でしかないが、そんな予想を確信を持って言うことが出来る。
エルの祈りは、エルの願いは、この世界の人々に対するものであると。
どうか、幸福に。 どうか、優しく。 どうか、世界を救えるように。
一言もそのようなことを聞いていないが、何となく理解出来た。
そして、エルの身に異常がないことに気がついた。
「エル、怪我……しなくなったんだな」
エルの能力、神聖浄化は……エルの精神性から発現している。 そのために、エルの思想や考えが強く影響していて、強すぎる自己嫌悪が能力に反映され、エルの身を「汚れ」として傷付けていた。
それがなくなった。 ただ、エルが傷つかなくなった喜びだけではない。
エルがずっと抱えていた苦しみが解消されたということで……嬉しい。 ただ、何物にも代え難いほどに。
「それは、アキさんが毎日毎日、好き好き言って、ずっと褒めてくれるので……。 僕も、捨てたものではないのかと思い始めまして」
エルはそう言ってから、照れ臭そうに、ほんの少し赤く染まった頬を掻いた。
良かった。 小さく口の中から漏れ出るように呟いた。
月城は変わらないことは良いことだと言っていて、全面的に肯定した訳ではないが、俺も半ばそれに納得していた。 エルが変わってしまうのは耐え難いからだ。
「んぅ、まぁ、今の魔力だとあれぐらいの怪我をしても関係ないですけどね」
「関係ないなんてことはない。 いいことだ。
少なくとも、俺は嬉しい」
「いひひ。 そんなに甘やかされたら、僕、調子に乗っちゃいますよ。 いいんですか?」
ああ、と頷いてエルの小さな身体を抱き締める。
「よかった。 本当に」
変わることは悪いことではない。 そんな当然を、やっと気が付いた。
「アキさん。 人がいないとは言え、外で抱き締められるのは恥ずかしいですよ」
離すとエルは顔を赤くして、いひひと笑う。
「一つ良くなったとは言えども、まだまだ問題は山済みです!
安心して暮らせるように尽力を尽くしましょう!」
元気に手を上げたエルの頭を撫でてから抱き上げる。
「じゃあ行くか」
「アキさんの乗り物化が進んでいる気がします。 心なしか乗り心地も良くなってきたような……」
日々の努力の成果である。
ゆっくりと走ってから、徐々に加速していく。 背中にエルの柔らかさを感じながら地を蹴っていく。 途中からからエルの魔法が発動し、風を感じなくなる。
その魔法の効果を感じ、しばらく走りながら考える。
エルの魔法は明らかにおかしい。 俺の知っている様々な体型の魔法のどれにも当て嵌まらないものになっている。
始めはそんな異質なものではなかった。 俺の知識を元に、この国での一般的な魔法理論を中心にした魔法で普通の治癒魔法だった。
それから様々な魔法を覚え、自身で作り、まじない術を習得し、能力とまじない術の組み合わせを編み出し、遠隔治癒魔法を可能とした。
そして今となっては、魔法の知識が豊富な筈の俺でもどうなっているのかが分からない魔法を放っている。
明らかに凄すぎる。 これが勇者という存在なのか。
「アキさん。 国付きの勇者さんに会って思ったことがあるんですけど。 聞いてくれますか?」
考え事を中断してエルの言葉に耳を傾ける。
「勇者の能力は性格と関連してるって話ありましたよね」
「ああ、エルが嫌悪感でロトが嫉妬心ってやつだろ」
恐らく月城は不変を好む性格というのは、言う必要もないか。
「それで、国付きさんなんですけど。
あの「バーン」とか「ドゴーン」って感じの能力でしたけど……。
あれって攻撃性の高さっぽいですよね?」
あの正体不明の攻撃を思い出しながら頷いた。
唐突に怒り出して攻撃してきた上に、能力はあのよく分からない攻撃だ。 あいつのことは良く分かっていないが、攻撃性が高い人格なのは分かる。
エルは少し言い淀みながら続けた。
「もしかして……なんですけど。 強い能力を持った勇者さんって、ああいった性格が多いかもしれないなって思ったんです。
ロトさんや勇者の村の人達は攻撃性の少ない性格と能力をしていましたから、国付きとかになるとそういった戦闘に向いた能力と性格になるのかって」
「……国付きは一人しか見てないから分からないな。 今のところはそれで筋が通るように思うが、参考が少ない」
「そうなんですけど……。 少なくとも、国付き以上の勇者は間違いなく人とは違う性格をしてますよね……」
それはそうだろうな。 少なくとも、戦闘に向いた能力に目覚める奴が、エルのような性格をしているとは思えない。
もっと攻撃的か、少なくとも優しい性格の奴はいなさそうだ。
「問題は、どれほどあいつが実権を持っているかだな。
最悪の場合、ここらの街には近寄れなくなる」
「その程度で済むんですか? 国全部で指名手配とかも……」
「それはないだろうな。気に入らない、とか簡単に偽造出来る罪なら、そこまで広範囲にすることはない」
「そうなんですか? まぁ、街から街が遠いですから、情報の伝達も容易ではないですもんね。
また魔力が回復してきたので、エリクシル使いますね」
頷いてからエルを下ろす。
エリクシルで浄化し続けられる空間は然程広くないが、こまめにしていればいつかは国全体を覆うぐらいなら出来るかもしれない。
そうなると、エルの言っていた街を大きく出来ない縛りがなくなり、国全体が発展して魔物の脅威に対抗出来るかも……。 というのは流石に甘く見過ぎか。
軽く身体を伸ばしてから祈りを捧げている、エルの方を向く。
エルが俺に微笑みかけて、俺の身体が硬直する。
「どうしたんですか? アキさん。
……ちゅーはしませんよ?」
「いや、そうじゃなく」
俺のせいか。 それ以外に考えられないだろう。
何度も瞬きを繰り返してエルと見つめ合うが、先ほど見たものは夢や幻ではないことが突きつけられるだけだ。
不思議そうに首を傾げているエルに、言う。
「目が、紅い」
「充血してますか?」
エルがペタペタと自分の顔を触る。
エルの美しい黒い眼が、まるで父親やレイ、あるいは俺と同じように血と同じ紅い色をしている。
「そうではなく、俺と同じように瞳が」
首を傾げてから手を振るうと、エルの前の空中に鏡のようなシールドが展開される。
「え……あれ、目が、おかしい……です」
より一層ペタペタ自分の顔を触り回して、驚いたようにシールドを見る。
「魔物化……アキさんみたいに魔物化したんでしょうか……。 なんで……」
「俺のせいか……。 俺がエルに色々したせいで……」
そう言うと、エルは顔を赤くして首を横に振った。
「いや、その……違うと思います。 ……この世界の人と違って、瘴気に耐性がなかったのかもしれないです……」
「でも今までは……」
「アークヒューマンも、産まれてから何ヶ月かしてから染まるんですよね。
僕もこっちに来てから数ヶ月ですし……。 瘴気もずっと防げているわけでもないです」
だとすると、他の奴も魔物化しているのか? あの気狂いの勇者も、瘴気から伝わる「命令」でゆがめられて攻撃してきた可能性も、そう考えて首を横に振る。
「いや、それはないだろう。 それだと、その女神が呼んでも世界の敵になるだけだ」
「……そうですね。 なら、偶々、僕が瘴気に弱かっただけで……」
エルは紅くなった目を俺に向けて、不安そうな表情を浮かべた。




