逃避、その意味、その価値、その結果③
「んぅ……。 まぁ、ルトさんが変なことをしていたのは見なかったことにしておきます。 次からはする前に一声かけてくださいね」
「……ありがたい」
声はかけないが。
樹は顔を赤らめたまま、俺のベッドに倒れこむ。
「月城さんには、僕が悪いって、怒られました」
「話したのか」
「……ルトさんの様子がおかしかったって、問い詰められて」
そんな妙な態度はとっていないはずだが……。
「樹が悪いところはないだろう。 俺が逃げ出しただけだ。 それだけのことで、他の奴が悪いなんて」
「怒ることが間違いだって。 ……納得はしていませんが、りーちゃんが寂しい思いをしたのは事実ですから」
「それはそうだ。全面的に俺が悪い」
そう言ってから、日課になっている素振りをするために木剣を手に取る。
今日は高みへと朽ちゆく刃ではなく、黒装束の少女の走法を使いながら剣を振るう練習と、戻ってかる道中で他の人が使用していた剣術の練習も行なう。
そろそろ力もついてきたことだから、違う武器も扱ってみようかと思っているが、それは時間のある時でもいいだろう。
「……ごめんなさい。 僕がもっとちゃんとしていたら、りーちゃんを本当の意味で救うことが出来ていたかもしれないのに……。 アキさんのせいにして」
「分かっているだろ。 救う方法はなかったと。
無理に俺を好こうとしなくていい」
道中に見たのは、突きを主体とした剣術だった。 魔物の硬い皮膚や獣毛を斬るのは酷く困難だが、突き刺すのは意外と簡単に出来る。
俺も高みへと朽ちゆく刃を使う以前は突きを主体として動いていた。
極端に効率的な動き方を行なうだけの技である高みへと朽ちゆく刃は、まっすぐ突き刺す動きでの効率的な動き方が分からないので使えない。
特に拘りがあるというわけでもないので、その男の技を覚えてしまうつもりだ。 負担が大きい高みへと朽ちゆく刃以外の技を覚えるのはいいことだろう。
「樹、外で剣を振ってくる」
「ん、僕も一緒に行きます」
そう言ってついてきた樹を連れて外に出る。
外とは言えど、庭だが?
まずは黒装束の少女の歩法と走法。 音が少なく、予備動作も分かりにくい動き方。
普通の魔物相手には通じにくいだろうが、あのホブゴブリンになった男のような魔物には有効だろう。
そこから、剣を突き出す。
微妙にイメージとの齟齬が生じたので、立ち止まって突きの動きの確認をしてからもう一度。 もう一度。
捻りを加えた突き出し、突き出しからの払い、切り上げ、突き出しを連続で、騙し、フェイントを織り交ぜた突き。 見ていた男が使っていたものを一通り試してみて、完全にではないが多少は真似出来ることを確認し終える。
使えることは使えそうだが、足りない。 技としての練度不足か、あるいは俺自身の戦闘経験の貧弱さゆえの、能力の不足か。
人よりも恵まれた身体能力、小器用さに胡座をかいているのは分かっている。 しかし、それを解決し得る方法が分からない。
剣を何度も突き出し、薙ぎ払い、振り回す。
弱い。 真似は可能だが、グラウには高みへと朽ちゆく刃では勝てないように、あくまでも小手先の真似の技術でしかなく……。
「くそ」
悪態を吐き出して、突き出し、振り上げる。
汗をかき、その汗が乾くほど振り回した後に、剣を地面に刺して、それに体重を預ける。
「お疲れ様です。 ……浄化しましょうか? それともお風呂入ったりします? ご飯食べに行きますか?」
「……もう少し、やってからにする。
腹が減ったなら、着いて行くが」
「はい。 頑張ってください。
……浄化だけはしますね」
「ああ」
エルが離れたのを見てから、動き回っていたせいで熱くなっていた身体が冷めていくのを感じる。
ゆっくりと剣をあげて、振り下ろす。 その途中に突きへと軌道を変える。 突きの軌道を変える練習を中心に行い、見ていた技を半端にではあるが、自身の物に変える。
しばらく動き回り、疲れから動きが鈍くなってきてから一時間程。 また剣を地面に突き刺して身体を休める。
「エル……いや、樹。 待たせたな、そろそろ疲れたから、飯を食いに行こう」
樹が頷いたのを見て、木剣を引きずりながら家の中に入る。 家の中に入る前に樹が浄化をしようとするが、手で制する。
「ここだと使う必要もないだろう。
散々無理をさせた俺が言えた事ではないが、傷付くのだから、使わない方がいいだろう」
「んぅ、元々普段使いしているんで、別に問題ないですよ。 ちょっとは痛いですけど……」
「軽く水でも浴びてくる。 身体も冷ましたい」
「分かりました。 ……気を遣わなくても、いいのに。
とりあえず、僕もルトさんのやったことを仕返ししておくので、汗を流してください」
「悪いな」
一言謝ってから、風呂場に向かう。 俺がやったことを仕返す? 俺がやったことってなんのことだろうか。
怒られるべきことは色々としているので、どれかが分からない。
まぁ、やり返されるのなら仕方ないか。 と諦めて服を脱いで水を浴びる。
一通り汗を流し終えたあと、着替えを持ってきていないことに気がつく。
とりあえず身体を震わして体から水を飛ばしたあと、着ていた服を着直そうと思い、脱衣所に戻る。
何故か汗がなくなっていた服を着なおす。
そのあと直ぐに樹の下に戻る。
「待たせたな」
「いえ、もうちょっとゆっくりしてても良かったですよ?」
何故か残念そうな表情の樹の頭を撫でる。
「んぅ。 僕はなでぽされるようなタイプじゃないので無意味ですよ?」
「なでぽ?」
「頭をなでなでされただけで、ポッ、て顔を赤らめて撫でた相手に惚れてしまうことです」
惚れた惚れないは分からないが、顔を赤らめているのは間違いないだろう。
微妙に身体を俺に近づけているし、それで間違いないような……。
「どちらかと言うと、ルトさんの方がそういったところがありますよね」
「いや、ないだろう」
「試してみるので、ちょっと屈んで見てください」
「別にいいが」
元々好いているのだから、それってただ頭を撫でられるだけなのではないだろうか。
そう思いながら撫でられやすいように屈む。
ゆっくりと樹の手が伸びる。 手首に古い切り傷のある手を眺めながら、小さく息を飲む。
「ん、ゴワゴワしてますね」
小さな白い手が俺の髪を梳くように動かされる。
樹にされるのは久しぶりのそれが、ヤケに気恥ずかしく、しかしながら嬉しくなる。
顔に血が上ってきたのを感じて、急いで樹の手から逃れる。
「……ん、やっぱり、ルトさんはなでぽされるようなチョロインでしたか」
「いや、元々好いているだけだからな。
もうこの話は止めよう」
空元気にも見える樹の言葉を遮ってから立ち上がる。
「……樹は、無理しすぎだ」
「そんなこと……」
まだ少女のことを忘れられていないのだろう。 忘れるつもりもないだろうが、死を飲み込むこともできていないのも間違いはない。
「あるかもですけど。
でも、放っておいてください。 自分でどうにかします」
「……ああ」
頷いてから、外に向かって歩を進める。
樹を気遣うようなことを言ったのは、もしかしたらおれが慰められたいからだったかもしれないと思うと、自身の情けなさがまた目立つ。
まだ道具にはなりきれない。




