大量の請求書を再確認
「過去の請求書を見たいのだけど、すぐに準備できるかしら?」
後妻と会った翌日、カロラインは悩んだ末に執事長に請求書を見たいと伝えた。本当は調べたくはなかったが、どうしても気になってしまって結局は調べることにした。
請求書を見ても何が出てくるわけではないかもしれないが、調べて何も出てこなかったという安心材料が欲しい。モヤモヤした何かを抱えたまま、過ごすことはできなかった。
「請求書でございますか?」
「そう。お父さまが当主代理の期間だけでいいの」
「わかりました。請求書はきちんと管理していますので、すぐにご用意できます。少々お待ちを」
不思議そうな顔をしながらも、執事長はすぐに請求書の入った大きな箱を持ってきた。
「随分あるのね。何年分の請求書になるの?」
「過去一年分です」
「一年でこんなにも!?」
一年分と聞いて眩暈がした。お金がないクレイ子爵家の買い物を許す商会もどうかと思う。買わせたところで、踏み倒される可能性だってあるのだ。
「支払い能力のない我が家にどうしてこんなにも買い付けさせるのかしら」
「単純に考えれば、乗っ取りですね」
酷くあっさりとした口調で乗っ取りと言われて唖然とした。
「え?」
「借金漬けにして、払いきれない状態にする。そこに付け込んでクレイ子爵家の正当な跡取りであるカロライン様と結婚すれば、平民でも貴族になれます。まだこの国は爵位を売買することができませんから、一番確実な方法です」
執事長の説明に、カロラインは自分の頭の悪さを呪った。
「もしかしたらお父さまはわたしを売るつもりだったのかしら」
「可能性はあります。ジェイデン様ならカロライン様との結婚をちらつかせて買い物をしても不思議ではありません。ですから、エイブリー様がザガリー様を紹介してくださったことは、ありがたいことです」
「……同じだとは言わないの?」
気持ちはどうであれ、ザガリーは金でカロラインと結婚したのだ。だから同じではないかと聞いてみる。
「結果を見ればそうでしょう。ですが、ザガリー様はとてもカロライン様を大切にしておりますし、クレイ子爵家の仕事の手伝いはしても自分から何かをしようとはしません。それは傍から見ても十分に伝わっていますよ」
「だったらいいのだけど」
ザガリーの顔を思い出し、カロラインはもっと彼と仲がいいことを示さないといけないと心を改めた。社交は好きではないが、ザガリーがあらぬ誤解されるのは嫌だ。
「ねえ、もしかしたらわたし、お金で買われたとか言われているのかしら?」
「そういうこともあるかもしれません。貴族の皆様はそういう話が好きですから」
「はあ、ちゃんと考えればよかったわ。わたしがお金目当てで結婚したと言われているものだと思っていたから、特に気にしなかったのよ」
自分の事ばかりに必死になっていて、社交界のことを考えていなかった。ザガリーは貴族との縁が広がってと前向きなことを言っていたが、いいことばかりじゃないはずだ。つくづく自分のダメさを自覚し、項垂れた。
「落ち込んでいる場合ではありませんよ。何か調べたいことがあったのではありませんか」
ぴりりとした言葉を掛けられて、カロラインは背筋を伸ばした。
「そうなのよ。先日、ザガリーの商会にお父さまの後妻が怒鳴り込んできてね。その時に、あの方、宝飾品を一切買ってもらっていないことが分かったの」
「は?」
予想外の話だったらしく、執事長が唖然とした顔になる。
「アンティークの首飾り、すごく高かったわね」
「はい。請求金額を見て、息が止まるかと思いました。確か――ケンプ商会でしたか、代金の支払いが滞っているとジェイデン様のサインの入った書類を片手に取り立てに来ました」
二人は沈黙した。初めての取り立てで、驚きよりも恐怖しかなかった。交渉の仕方も分からず、とにかく帰ってもらいたくて家にあった美術品をいくつか渡したのを覚えている。きちんと支払いをしたというサインをもらったのは上々だった。
「そう言えば、その高額のアンティークの首飾り、見たことがないわね」
「確かに事物は拝見しておりません。後妻様へのプレゼントと思っておりましたが……」
「そうね、そうだったら話が簡単でよかったわね。もしかしたら……換金でもしていたのかしら」
カロラインは目を伏せて、一番最悪な事態を口にする。執事長は厳しい表情をしたが、すぐににこやかな笑みを浮かべた。
「可能性はあります。丁度、ジェイデン様はブロンテ侯爵家預かりになっていますから、丸投げしては?」
「……それしかないわね」
「そうですとも。当時、当主ではなかったカロライン様ができることなど何もなかったのですから」
そう二人で意見をすり合わせながら、利用した商会ごとに請求書を分類する。ジェイデンが当主代理であったため、カロラインは今まで利用していた商会を気にしたことがなかった。とにかくお金集めの方が大変で、そちらの方ばかりに気を取られていた。
利用していた商会は大体固定で、一つ以外は今でも付き合いのある商会だ。
「高価な物ばかり購入しているのはケンプ商会のみです」
「飾り剣に有名な画家の絵画……実物はどれも見たことがないけれどもお父さまの住んでいる別邸にでもあるのかしら」
あのアンティークの首飾りほどの高額商品ではないが、それでも購入点数が多いため、かなりの金額になる。
「ケンプ商会、どういう商会なのかしら?」
「ザガリー様なら手広く商売をしておりますから、ご存知かもしれません」
「ああ、そうね。後で聞いておきましょう。お父さまが買ったものを換金していた場合、どこにそのお金を預けるかしら」
カロラインは必死に記憶をたどる。ジェイデンのやることを止めることはできなかったが、ジェイデンはあくまで子爵家の代理だ。それにジェイデン自身に身分があるわけではない。だから、カロラインが気が付かないうちに、換金作業に手を貸しているはずだ。
「カロライン様、正規の取引なら考えの通りだと思いますが、表に出ない道もありますから」
「そうだとしたら、かなり買い叩かれるわよね?」
「恐らくは。足元を見られて、半値以下になることもあります」
「半値以下……」
頭痛を少しでも和らげようとこめかみを強く揉んだ。
やるべきことを次々に決めていると、階下から慌ただしい音が微かに聞こえてきた。カロラインと執事長は顔を見合わせた。今日は特に約束がない。
「確認してきます。少々お待ちを」
執事長は席を立ち、すぐに確認に向かった。しばらくじっとしていると、執事長が戻ってきた。
「カロライン様、旦那様がお帰りになりました」
「ザガリーが?」
予想していなかった言葉に驚いて時計を確認すれば、まだ日が傾き始めた時刻で、ザガリーが普段帰ってくる時間よりもかなり早い。
カロラインは何かあったのかもしれないと顔色を悪くしながら玄関ホールへと急ぐ。玄関ホールでは使用人にコートを渡しているところだった。
「ザガリー、おかえりなさい」
「ただいま」
ザガリーは近寄ってきた妻を両手を広げて迎え入れ、柔らかく抱きしめながらその頬にキスを落とす。軽いキスを受けながら、カロラインは抱きしめ返した。
「今日は早いのね。何かあったの?」
「取引先から直接帰ってきたのもあるが、これを早めに渡した方がいいかと思って」
「招待状?」
ザガリーは上着の内ポケットに入っていた封書を彼女に渡した。招待状の差出人を見て、カロラインは眉を寄せた。彼女の浮かない様子に、ザガリーは首を傾げた。
「確執のある貴族家か?」
「初めて夜会であった時を覚えている?」
「ああ。気障な貴族がカロラインを口説いていたな」
「あの方がロング伯爵よ」
そう伝えれば、ザガリーが険しい表情になった。
「そうか。じゃあ、断ろう」
「ちょっと待って。ロング伯爵家の夜会には行ったことはないけれども、もしかしたら新しい繋がりができるかもしれないわ。あの方のお付き合いは本当に広いのよ。それにブロンテ侯爵家の遠縁でもあるの」
ザガリーは簡単に断ると言っているが、商会の方へわざわざ招待状が来たということはザガリーを招待したいということに他ならない。それならば、カロラインの事情で断るのも気が引けた。焦るカロラインにザガリーは朗らかに笑った。
「今でも十分忙しい。これ以上、増やさなくても大丈夫だ」
「でも」
「それにブロンテ侯爵家の遠縁なら都合がつかないと断っても、機嫌を損ねることはないはずだ」
納得できなくて否定の声を上げたが、ザガリーは考えを変えなかった。




