青年は脱出する
エラットは一瞬機械槍の穂先を足元に下げ、即座に踏み込むと同時にエリーめがけて突き出す。それはワービーストの対人槍術における技の一つで、下から突き上げるような軌道を描くことで対処されにくくするというものだった。
対するエリーは横っ飛びのようにして機械槍の軌道から大きく外れることで回避する。
対処されにくいというのは受け流したり盾で弾いたりするのが難しくなるというだけであり、武器も盾も手にしていないエリーには関係ないと言えた。
さらにエラットの攻撃は続く。”ハッ”と短く息を吐き出すと同時に、素早い刺突を幾度となくエリーに向けて放つ。下から、斜めから、真正面からの連続攻撃は、すべて槍の間合いを保ちつつ行われ、エリーに反撃のチャンスはなかった。
「今の内にここから出るぞ」
そう言ったのはモンドだった。モンドはエラットがエリーを追いかけて少し離れたすきに、メイドとユルクに近づいていた。
机やソファー以外にも、本棚やロッキングチェアなど物が多い部屋では、長い武器を持つエラットが戦い辛い状況と言える。だがこの部屋にいるモンド、メイド、ユルクは戦えないため、エリーは彼らを守りながら戦わねばならない状況でもある。モンドはそれに気づき、この部屋を出ることと屋敷を出てステラを探しに行くことを提案する。
それを聞いたユルクは、不安げに問う。
「エリーさんだけでエラットを倒せるのか?」
「ああ、あいつに任せておけば大丈夫だ」
モンドはエリーの実力を信じ、はっきりとそう伝える。それを聞いたユルクは倒れた状態からしゃがむような姿勢になり、駆けだすタイミングを待つ。メイドも同じようにし、モンドは机の陰からエリーとエラットの戦闘を見てタイミングを計り始めた。
エラットの突きに対し、エリーは懐に入ることはしなかった。槍を引き戻すタイミングはすでにつかめていたが、あえてすべての攻撃に対して大きく距離を取って回避し続ける。
「ハッ」
斜め下からエリーの左肩を貫通する軌道で刺突を放つエラット。それに対してエリーは、大きく右後ろに下がって回避する。
エラットは間髪入れずにもう一突き真正面から攻撃する。真後ろに下がり、壁を背にするように避けるエリー。
―あの槍、たぶんクレアさんの持ってた機械弓みたいに何か仕掛けがあるはず。ワービーストの武器は木製の槍だって聞いてたのに、どう見ても鉄製の武器だもん。
エラットの使う機械槍は、切っ先の根元部分が大きく膨らんだ形状をしていた。ボア狩りの際スコットから借りていた木製の槍は、言ってしまえば重く頑丈で先のとがった木の棒と言えるような武器であり、刺突以外にも棒術のように振り回し殴打することもできた。しかしエラットは一度も棒術のように振り回すことはなく、刺突のみで攻撃していた。
―何か仕掛けがあるから振り回さないんだと思う。変に振り回して殴ったら、衝撃で仕掛けが壊れたりするから突きだけで戦ってるのかな。それとも振り回す攻撃の時に仕掛けが作動して、その攻撃を切り札として温存してる……とかかな。
エリーは思案しながらも攻撃を避け続ける。壁を背にしたまま横に避け、ソファーの影を利用し距離を取る。
―今は避けられてるけど、攻撃できてない。ここでヴァンパイアレイジは、使うとモンドさんやユルクさんにヴァンパイアだって思われちゃうからダメ。となると懐に入って殴るくらいしか思いつかないよ。
斜め前からの刺突を斜め後ろに跳んで避けたところで、ふと攻撃が止まる。
「ひひ、ひひひ」
いやらしい笑みを浮かべるエラットを見たとき、エリーはハッと気が付いた。
「ど、どうする? 避けられないかも、しれないよ?」
―しまった。考えるほうに集中しすぎた。
エリーの背後にあるのは、部屋の角だった。横にも後ろにも避けられない状況。先ほどまでの距離を取り軌道から外れる回避方法は難しくなってしまっていた。
スッと機械槍の穂先が地面すれすれになるまでさげ、油断なく構えるエラット。表情こそ歪んだ笑みを浮かべているが、実力は確かなようだ。
エリーが自分の刺突を避けることはそう難しくないと気づいたときから、エラットは攻撃に対するエリー回避の方向を観察していた。そしてただ攻撃しているように見せかけ、じわじわとエリーを避ける隙間のない角に追い詰めていたのだ。
「……ん」
エリーはエラットの方を向き、覚悟を決めたようにわずかに頷いた。そして頷いた瞬間
「ハァッ」
これまでの攻撃の数倍鋭い踏み込み、そして正確無比な刺突が、エリーの胸の中心へ放たれた。
「今だ!」
モンドはユルクとメイドにだけ聞こえるように声量を絞り、かつはっきりと言った。そしてメイドとユルクが蹴破られたままの扉に駆けだしたのを確認し、殿に着くように追走する。
壁際に追い詰められたエリーは、エラットの背後の机から顔を出すモンドを見ていた。書斎の角にいる自分と、その自分を追い詰めるように立つエラット、これは部屋を出るには恰好の状況と言える。そしてモンドはエリーに、声を出さず唇だけを動かして”任せる”と伝え、エリーはそれに頷いた。
攻撃の瞬間は攻撃以外に意識は向きにくい。そう思ったモンドは、エラットが刺突を放つ瞬間に脱出を開始したのだった。
屋敷の廊下を走り抜け、玄関に向かう。来るときは少し長く感じた廊下だったが、走り抜けてみれば一瞬だった。玄関扉を乱暴に開き、メイド、ユルク、モンドの順に屋敷を出るべく疾走する。
モンドは”それにしてもジイさん足早いな”などと思いながら走っていた。
エリーは強い冒険者だから大丈夫
エラットとかいう奴には負けない
あとで合流するときには、エラットはすでにエリーが何とかしている
そう信じていたからこそ、モンドは冷静だった。エラットが単独犯かどうかはわからないが、エラットを倒せるならステラだって見つけられるはずだと、楽観視していたのかもしれない。
背後からガラスが派手に割れる音が聞こえ、振り向くまでは、楽観視していたのかもしれない。
玄関のすぐ隣の部屋の窓が内側から叩き割られ、大小さまざまなガラス片が飛び散っている。
そのガラス片と一緒に、体をくの字に折ったエリーが飛び出してきたのを見た瞬間
「まじか」
モンドはそうつぶやいた。




