90.アディソン王国の末路
アディソン王国の民の決断は、驚く速さだった。王族が途絶えたことを神殿へ報告し、王国という名称を排除する。アディソン領と呼び方を変えて、我がリヒター帝国の庇護下に入りたいと打診された。先日の暴動から、まだ十日ほどよ。
「というわけでな、マインラートに任せた」
からりと笑うガブリエラ様は、単騎で馬を走らせてきた。帝国内で彼女に切りかかる敵はいないと思うけれど、さすがに自由すぎるわ。慌てて馬で追いかけた護衛が、ようやく到着する。気の毒だけれど、ガブリエラ様の馬術には敵わなかったみたい。
へたる騎士に「鍛え方が足らんぞ」と忠告するガブリエラ様は、愛馬の首をぽんぽんと叩いた。手綱を預かる厩の者が到着し、声をかけて別れる。見送った後、ガブリエラ様は堂々たる足取りで宮殿内を横切った。
ガブリエラ様到着の一報で駆けつけた私とエック兄様は、苦笑いして後ろに従う。奥の宮まで行くと思ったのに、ルヴィ兄様の執務室の扉を開いた。
「今回の騒動が落ち着けば、引退するぞ。田舎、そうだな。海の見える屋敷がいい。マインラートとそこへ引き篭もるつもりだ」
「母上、せめてノックはしてもらいたい」
「構わぬであろう。執務室なら、婚約者と口付けていることもあるまい」
苦虫を噛み潰したような顔をするルヴィ兄様の様子に、タイミング悪く踏み込まれたことがあるのかも? と察してしまった。
「引退と申されましたが、すでに隠居の身ではありませんか?」
もっともな疑問をぶつけるエック兄様へ、ガブリエラ様はひらりと手を振った。
「建前ではなく、本当に手を引く気だ。もう我らがおらずとも、問題あるまい? 孫に会いに来るが、それ以外は干渉なしがよい」
ルヴィ兄様の治世が落ち着くまで、と過去の後宮に残ったお父様とガブリエラ様。もう大丈夫と判断したのね。
「承知いたしました。素敵な屋敷を用意させますわ。ところで……」
「アディソン王国が消滅した。神殿へ民が届け出たそうだ。それにより、アディソン領として、帝国の庇護を受けたいと言い出したぞ。これもトリアの策のうちか?」
「想定内ですが、少しばかり早いですわ」
展開が早くて驚く。王族はどうなったのか。私が尋ねる前に、エック兄様が質問した。
「投獄した王族がどうなったか、ご存じでしょうか?」
「フォルトの部下が持ち帰った情報によれば、貼り付けたそうだ」
貼り付けた? 何を、どこへ? 皆で首を傾げた姿に、ガブリエラ様が大笑いする。
「血が繋がらずとも、同じ仕草をするのだな!」
ひとしきり笑ったガブリエラ様は、壁に王を吊るしたと教えてくれた。首で吊るせば即死だったのに、両手を縛って吊るしたと。即死を許さないほど、民の怒りは深かったのね。石を投げる者、長い棒で殴る者、直接届かない高さで吊られた国王と王姉は、罪を命で支払った。
すでに事切れたものの、まだ吊るした死体は放置されているらしい。気の毒に思う気持ちはなかった。淡々と事実だけを受け取る。冷たいようだけれど、私達も支配階級にいる。いつ自分の身に降り掛かるか、わからないのが現実だった。
民に恨みを買わずに統治することはできず、いつか足を掬われるかもしれない。その覚悟があれば、憐れむ気になれなかった。
「王子二人は先代王妃が保護し、神殿からも通知が出された。手出し無用、これ以上ない安心材料だな」
ガブリエラ様は明るく締め括り、「さてと」と話を変えた。
「風呂の支度を頼めるか? 埃っぽくて敵わん」
「ご用意いたします。入浴後は白ワインですか?」
「いや、兵士が飲んでおった……麦酒、あれがよい」
砦で、味を覚えてきたみたいね。麦酒、宮殿内にあったかしら? 手配を指示して、続く土産話に相槌を打った。




