89.玉座を得るため ***SIDEデーンズ貴族
アディソン王国崩壊の知らせに、嫌な予感がした。王族は投獄され、正当な血筋が簒奪されたと神殿が声をあげる。デーンズ王国が二の舞にならないと、誰が言える? 逃げるなら早いほうがいいのではないか?
だが、どこへ逃げられるだろう。リヒター帝国の傘下に入り、属国と化した国々を除けば……このデーンズ王国が残るのみ。ここから逃げる場所など、ない。安住の地は存在しないのだ。
恐ろしさに身慄いした。焚き付けられて王に進言したが、本当にこの国が手に入るのか? 罠だったなら、アディソン王国のように滅ぼされるかもしれない。アディソン王族の裏切りに、民が決起した。神殿が扇動し、貴族は逃げる。その貴族のほとんどは、リヒター帝国軍により捕獲された。
国境を抜けて逃げようとした貴族の馬車に積まれた財産は、民の物として帝国から返還される。王国の民は困窮から抜け出すため、帝国の傘下に入る道を選ぶだろう。神殿もそれを支持していた。
デーンズ国王を唆し、高い塔を建てる。神殿を蔑ろにする行為を理由に、王族の交代を迫るつもりだった。分家である我がクレーべ公爵家は、先代夫人が王女だ。血が濃く地位も高い。次の王にもっとも近い家だが……そもそも国が崩壊したら終わってしまう。
「ナータン、兄様を排除してお前が王になるのよ」
女性であるという理由で、母の王位継承権は低かった。書を読み勉学に励み、秀才と謳われた王女。武芸にも秀で、己の身を守る護衛に劣らぬ腕前を誇った。容姿端麗で穏やかな振る舞いを心がけ、君主としての器を示しても……祖父王は伯父を選んだ。
ただ、男児であるという一点のみを重視して。それがどれだけ母を傷つけ、苦しめたか。降嫁して俺を産み、母上は狂い始めた。俺を王位に就けるため、他家を取り込んでいく。
優秀だった頭脳を活用し、王族時代の人脈と繋がりを駆使し、俺を押し上げた。迷うことはない。たとえリヒター帝国と戦うことになろうと、神殿を敵に回そうと、俺は母の望みを叶えよう。逃げるなどと、弱気な考えは捨てるべきだ。
「母上、あと少しです。母上が玉座に座る日が近づいています」
普段の尊大な口調も、母の前では子供の頃に戻る。優しく厳しかった母は、こんなに細かったか?
「そう……私ではなくあなたが座りなさい。ナータン・クレーべではなく、ナータン・デーンズとして」
その姿が見たいと微笑む母の手は皺が増えた。もう剣を振るうことはない。母の願いを叶えるには止まれない。伯父を始末し、俺が玉座に座る。母上はその姿が見たいと言ったのだから。
罠だとしても最後まで走り抜けるのみ。
「はい、それが母上の望みであれば」
叶えるために俺は動く。デーンズ王を排除し、俺が玉座を得る。その後、周囲との和解を図ればいい。神殿は、建てた塔の破壊で満足するだろう。リヒター帝国には、現王の首を差し出せばよかった。
何も問題はない。それなのに、なぜか不安が膨らんでいく。建てさせた塔が高くなるほどに、その不安は大きく負担になった。それでも、後には引けないのだ。後ろに退路は残っていないのだから。




