83.意味をなさぬ国境 ***SIDEガブリエラ
アディソン王国崩壊は、揺るぎない決定事項だ。夫マインラートは、どちらかといえば頭脳派だった。なぜか、リヒター帝国皇家に生まれる男児は、知恵者に偏る傾向がある。ヴィクトーリアのように、文武両道は珍しかった。まあ、彼女も頭脳労働のほうが好きらしいが……。
私はフォルクハルトと同じ、頭を使うより体を動かすほうが得意だ。かつて実家の総領として敵を屠った頃のように、敵を前にすると血が沸る。
「フォルト、準備はできたか?」
「はい、義母上!」
「ならば、あれを屠ってまいれ」
示した先には、アディソン王国の貴族が並ぶ列がある。公爵家から男爵家まで。爵位の品評会のように、堂々と紋章を掲げたバカが並んでいた。国を捨てて逃げるなら、身分も捨てるべきだ。特権を享受したくせに、義務を果たさず逃亡を図るなど……愚の骨頂。
特権を振り翳した者は、須く義務に殉ずるべきなのだ。王を頂点に国を動かす者らが、その利益だけ抱えて国を捨てる権利などあるはずがない。民に強奪されても、虐殺されても、運命を受け入れるべきだった。それだけのことをしてきたのだからな。
私の説明を淡々と聞き、フォルクは指でぽりぽりと頬を掻いた。困ったような笑みを浮かべ、こてんと首を傾ける。こうしてみれば、幼い頃と大差ないか。
「難しい話はハイノに頼む。要は、貴族を排除していいんだろ?」
「はぁ……もういい。行ってこい」
後ろに控える副官が、申し訳なさそうに頭を下げる。この考えなしを制御しているだけで、表彰ものだぞ。いっそ、何か勲章でもくれてやろうか。いい考えのような気がした。
「マインラートによる首検分がある。顔を潰さぬよう、言い含めないと……ああ、もう遅かったか」
砦の門から飛び出したフォルトが、一番先頭にいた馬車に飛び込む。引き摺り出した貴族の悲鳴が響き渡った。うるさいと一言で黙らせる。いや、言葉ではなく拳を振るった。物理的に黙らせられた貴族を、無造作に地面へ転がす。武闘派というより、無頼の輩といった風情だが……。
「御前、失礼致します」
礼儀を弁えた副官は、丁寧に頭を下げた。直後、踵を返して階段を走る。砦の上にある物見台から地上まで、息を切らさずに抜けた。大したものだ。あれなら将軍職くらい、くれてやってもよかろう。あとで相談しておくか。
私の視界に広がるのは、砦を中心に左右へ羽を広げたような国境の壁だった。向こう側は元アディソン王国、手前は誇り高きリヒター帝国の領地だ。阿呆どもに踏み荒らされるわけにはいかぬ。
久しぶりに着用した服は、元帥であるフォルトの軍服に近い。祖国の民族衣装にすればよかったか。動きづらいが、威厳はありそうだ。少なくとも、リヒター帝国の重鎮だと知らせる意味では、民族衣装より相応しい。
ヴィクトーリアの忠告を思い出し、やれやれと窮屈さを呑み込む。マインラートと結婚して以来、のびのびと羽を伸ばした覚えは数えるほど。この騒動が終わったら、奥の宮も明け渡して自由に旅がしたい。そのためにも、目の前の敵を排除するとしよう。
「義母上?」
「そなたのやり方では時間がかかる。もっと考えて動け」
指先でこめかみを指差せば、ぱちくりと瞬いたフォルトが破顔した。
「そういうのは、ハイノの仕事だ。俺はこれでいい」
拳を見せて、また次の馬車に飛び掛かる。やれやれ、育て方を間違えたようだ。仕方ない、親として責任を取るか。
砦の門を守る兵士を手で制し、アディソン王国側へ踏み入った。神殿が民を動かした以上、もうリヒター帝国の領地も同然。遠慮は無用だった。




