76.逢瀬のたびに知らせが舞い込む
アディソン王が逃亡した。その知らせが届いたのは、翌日の朝だった。訓練した鳩に運ばせた緊急連絡の筒を、エック兄様が運んでくる。早朝から起こされた私は、髪を結うのも諦めて執務室へ移動した。
後ろでエリーゼが髪を三つ編みに仕上げる。無言で目を通した報告書には、門で起きた騒動の続きが記されていた。城門前で、騎士が抜剣する。その剣に切られたと騒いだ。ここまでは作戦通りね。
民が怒りに奮起し、城門を突破する。王城内に流れ込んだ人の波は、容赦も遠慮もなかった。王族に連なる男の不始末で、神殿に祀られた神々を怒らせたことに、本気で憤っている。外交問題に発展する私への無礼により、輸入制限がかかって生活は厳しかった。
育てた作物を売る先に困り、欲しい香辛料や肉は手に入らない。元の国力が違いすぎた。蓄えがほとんどないアディソン王国で、回る歯車の一部が止まったら……すべてがこう着状態に陥る。
慢性的に食糧が不足し、鉄や鉱石も入ってこない。資源がほとんどなく、他国との交易で栄える中継都市のような国家だった。民は必死で働いて税を納める。だから国の行末や備蓄の心配をするのは、王侯貴族の役割だった。
そこに手を抜いた挙句、なだれ込んだ王城内の豪華な装飾品を目にして、困窮する民が穏やかな気持ちになるはずはなかった。略奪が始まり、出会った貴族を引きずり倒して殴り、責める相手を探す。
とっくに読み終えた報告書を、机の上に置いた。エリーゼは三つ編みだけでは満足せず、リボンや花を飾っている。用意されたお茶を口元へ運び、大きく息を吐き出した。
「エリーゼ、着替えを用意して頂戴。叔父様のところへ行くわ」
「今日、これからですか?」
ソファーでお茶を飲みながら待っていたエック兄様へ、報告書を返す。これから宰相としての仕事があるから、ご一緒するのは無理ね。そう告げたら、クラウスを呼ぶから連れていくよう言われた。神殿で襲撃されたのが、忘れられないみたい。
「わかりました。クラウスを呼びます。それからにしましょう」
朝食を済ませて、身支度を整える時間がある。クラウスは今日一緒に出かける予定だったから、すぐに来られる状態よね。逢瀬のたびに、何か情報が舞い込むなんて……情報通の肩書きが嫌味に感じてしまうわ。
クラウスへの連絡と、叔父様への先触れを頼んだ。動くのは執事のコンラートの仕事よ。エリーゼを従えて、執務室を出た。同時にエック兄様も動き出す。
「朝食は一緒に摂りましょう」
「先にお待ちになって。あまり時間をかけずに参りますわ」
廊下で一般的な会話をして、互いに背を向けた。
クラウスと逢瀬に行く予定だったから、足首丈のワンピースにしようと思っていた。明るい色で、公園に似合うようにと……予定変更かしら? でも、そのあとで逢瀬のため、公園に行くのよね。迷って、淡いラベンダーのワンピースを選ぶ。これなら華美ではない。
白い上着を羽織って神殿に行き、その足で逢瀬も問題なさそう。上着を変えたら、雰囲気もがらりと変化するわ。
「髪型を馬車の中で編み直すことはできるかしら?」
「事前に準備して、簡単に変更できるよう編んでおきます。それと、装飾品も変えてはいかがでしょうか」
気の利く侍女の発言に、私はにっこりと笑った。
「そうね、靴と上着も変えるから、馬車に積んでおいて頂戴」
「承知いたしました。バスケットとともにご用意いたします」
あら、いけない。昼食を公園で食べると約束していたのに、忘れるところだったわ。




