66.二人とも名前の変更が必要よ
クラウスは表宮にいた。新築している屋敷の変更申請を出しに訪れ、入宮記録で気づいた侍従が手紙を渡す。そのため、お茶の二杯目に口をつける前に、顔を見せた。
「早かったわね、クラウス」
「はい、愛しい姫をお待たせするわけにいきません」
あなたの如才ないところ、結構好きよ。微笑んで椅子を勧める。きちんとガブリエラ様にもご挨拶をしてから、彼はゆっくり腰を下ろした。
「見ろ! 未来の父上だぞ」
「ガブリエラ様、ルヴィ兄様が義父ですわ」
「赤子の前で難しい話などなしじゃ。のう、オリーヴィア」
名を口にした途端、用意されたお茶のカップを持ったクラウスが固まる。少し考え、渋い顔になった。
「イングリット皇女殿下は、オリーヴィア様に改名なさるのですか?」
「ええ、そうよ……なにか……あ!」
私も気づいて声を上げる。きょとんとしたガブリエラ様へ、クラウスは申し訳なさそうに切り出した。
「とても綺麗なお名前ですが、皇帝陛下の婚約者になられたザックス侯爵令嬢と同じお名前かと……」
「なんと! ならば、ザックスの娘が名を変えるしかあるまい」
そちらですか。驚いたが、すぐに思い直す。帝国貴族の男性は「ヴィ」が禁じられるが、女性には厳しい制限がなかった。そのため、過去の女帝にあやかり名をつける親もいる。
生まれた貴族家の男児に「ヴィ」を与えれば、それは反逆罪として扱われる。女性は他国や他家に嫁ぐため、家を継ぐことが少ない。稀に継ぐ場合もあるが、その際「ヴィ」が使われていれば、改名するのが決まりだった。家を代表する当主に「ヴィ」を使うことができないのだ。
皇族入りする令嬢に「ヴィ」が入っていれば、問題になる。オリーヴィアは順当に行けば、ノイベルト公爵夫人になる予定だった。妻は当主ではないため、改名の必要はない。それが皇帝の妻となれば話は別だった。
「義理の娘がかつての自分の名前なのも難しいわね。ガブリエラ様、他に候補はありませんか?」
「良い響きで気に入ったんだが……揉め事の種を蒔くこともあるまい。ジルヴィアはどうか」
「そちらにいたしましょう。クラウス、ありがとう」
「いえ。ザックス侯爵令嬢にも、陛下が新しい名を授けられてはいかがでしょうか。きっと喜ばれます」
「ふむ。姑が名を決めて良いものか。彼女を呼んで話すとしよう」
微笑んで頷くに留めた。一般の貴族令嬢は、前皇妃に言われたら断れない。まあ、オリーヴィアなら断るかもしれないわ。危険だから、その時は同席しておきましょう。
ジルヴィアに変更となった旨、叔父様に連絡が必要ね。それから、神々へ届けた名も変更になるから、供物を捧げて守り袋を交換してもらわないと。
「クラウス、私達は夫婦になるのよね。一緒に過ごす時間を作りましょう」
彼のほうも話を進めないといけないわ。頭の中であれこれと考えていたら、見透かしたようにクラウスは苦笑いした。
「お忙しいでしょうから、私は後回しで構いません。それと……手伝えることがあれば協力いたします」
そうだわ! 巻き込んで手伝わせればいいのよ。裏切らない、私の性格も知っている、裏事情に詳しい。文句のつけようがなかった。
「協力してもらうとするわ。でも、まずは……逢瀬でもしましょうか」
「愛しい姫様の仰せのままに」
イングリットを抱いたガブリエラ様は「そうじゃない、何か違う」と呟いていたけれど、仕方ないでしょう? これが私達の付き合い方ですもの。
大きな池のある公園へ出かける話を決めた。豪華ではないシンプルなワンピースと、久しぶりのツバの大きな帽子。昼食はクラウスが店を予約する。準備万端なのに、当日の朝……アディソン王国が動いたと連絡が入った。タイミングの悪い連中ね。




