63.仕掛ける準備は整えた
デーンズ王国への仕掛けは、ルヴィ兄様が担当した。エック兄様は、アルホフ王国へ裏切りを唆した後始末を始めている。私は叔父様の権力を利用し、アディソン王国を揺さぶるつもりだった。せっかくだもの、フォルト兄様にも見せ場が必要ね。
「フォルト兄様、お願いがあるの」
「なんだ? トリアの願いなら何でも叶えてやるぞ」
きらきらした目で駆けてくる姿は、忠犬みたい。モーリスといい、私は犬が好きみたいね。たとえ駄犬であっても……長所を見つけるのが飼い主ね。膝を突いて見上げるフォルト兄様に、椅子へ座るよう伝えた。素直に空いた椅子に腰掛ける赤毛の兄は、青い瞳を瞬く。
「私が号令を出したら、アディソン王国との国境を封鎖してほしいの。難民になる前に戻すのよ。もう一つあるのだけれど」
「任せろ!」
胸を張るフォルト兄様に、小声で二つ目のお願いを伝える。驚いた顔で「そんなんでいいのか?」と聞いた。攻め込めと命じると思ったの? そんな愚かな真似はしないわ。
隣国が政情不安になって、難民が押し寄せるのは迷惑なの。自国で持ち堪えてほしい。同時に、攻め込んで恨みを買うのも面倒だった。だって、助けてあげるのに逆恨みされるのよ? 冗談じゃないわ。
理由を伝えたら、フォルト兄様は「トリアは頭がいいな」と屈託なく笑った。思わず手を伸ばして、頭を撫でたくなるわ。
「二つだけ……大丈夫、忘れない」
ぶつぶつと口の中で繰り返し、フォルト兄様はお願いを呑み込んだ。不安だから、副官のハイノにも伝えておきましょうか。
「叔父上のほうは準備ができたのかな」
ルヴィ兄様が確認する。私はにっこりと笑顔で答えた。
「ウルリヒ叔父様ですもの。万全ですわ」
才能に溢れていたのに、自己評価の低い叔父様。実母の「器ではない」という言霊に縛られ、才能を埋もれさせてきた。でも……大神官になってから、帝国の繁栄に役立つなんて。きっと本人すら想像しなかったでしょうね。
「ガブリエラ様もご協力いただけるのよ」
「……それはまた、騒ぎが大きくなりそうです」
後片付けの心配をするエック兄様に、くすくすと笑いが漏れた。だって、失敗すると思っていない証拠だわ。諜報関係では、お父様も頑張ってくださったけれど……付け加えなくていいわよね。どうせフォルト兄様以外は察しているでしょうし。
アディソン王国に対し、神殿から公開質問状が出される。公開と明記する以上、他国の民にまで知る権利があるわ。公開質問状の使用は、公式記録によれば百二十年振りよ。大騒ぎになるのは必然だった。
他国の皇女を政略結婚の名目で監禁し、未婚のまま子を産ませた事実。神殿や神々を欺き、婚姻に関する書類を故意に逸失した罪。そして……大神官が行方不明になった件への回答。抱えている秘密を、すべて外へ晒してあげる。
ある程度あがいたところで、最後に大きな暴露が待っているわ。統治者の血筋は、国民が誇る拠り所でもあった。根底にあるプライドを、王が土足で踏み躙ったとしたら? 神々への信仰を貶す行為を、故意に行ったなら。
アディソン王国の敬虔な信者達は、王を許さない。どれほど権力を誇り、財力を蓄えようと……所詮は人。神々ではないのよ。イングリットは、アディソン王国崩壊の旗頭となる。
愚かなアディソン王は、怒りの声を上げる民に武力を振り翳すでしょう。その時が、フォルト兄様の出番よ。
策を練って場を整え、時を見計らう。その舞台で踊る操り人形を鑑賞するのは、最高の娯楽よ。二度目の上演はないなんて、残念なくらい……。




