197.リヒター帝国に皇妃が定まった日
ルヴィ兄様が神妙な顔で歩いて来る。腕を組んだマルグリットを気にして、歩幅を小さくしていた。私と並ぶコルネリアは、昨日も泣いていたわね。目が流れちゃいそう。きらきらした眼差しを向けるのは、アデリナだ。美しく整えた婚礼衣装に感動していた。
帝国の青のティアラは、ガブリエラ様から継承したもの。代々皇妃に受け継がれる宝飾品だった。ミルクティーを思わせる甘いブラウンの髪、新緑の緑を湛えた瞳、ややオレンジがかった肌の色。すべてが青に染め変えられる。
ドレスも宝飾品も、すべてが皇妃を示す青で揃えられた。これは将来、リヒテン・ブルーを持つ後継者を産む女性、という意味も重ねている。しずしずと進んだ二人が誓いを口にして、儀式が一段落すると人々の表情が柔らかくなった。
神々の巨大な像がならび、すべての大神官が揃った祈りの間は、厳粛な雰囲気に包まれる。その静けさの中、粛々と進む儀式に緊張するのは誰しも同じだった。呼吸の音さえ気を遣ってしまう。張り詰めたような空気が解けると、人は安心するのね。
「あと二組ね」
「俺のお預けも二晩です」
「あら、足りなかった?」
くすくすと笑いながら腕を組んだパートナーを見上げる。もう私の男だわ。大切な夫であり、生涯を共にすると誓った相手。クラウスは困ったような顔をして、黒髪をかき上げた。
「いくら飲んでも渇きの癒えない水のようです」
「命の水、ね」
九柱の神話に、命の水というエピソードがある。彼はそれになぞらえて私を「得難く失いたくないもの」と表現した。だから「あなたの命は私次第」と返した。意味をくみ取ったクラウスは、幸せそうに頷く。
「仲がいいのだな」
「トリアは愛情深いからなぁ」
アデリナとフォルト兄様が指摘するも、私は肩を竦めてやり過ごした。反論して場を乱す必要はないし、嘘ではないもの。
「そういうお二人も仲が良くて安心しました」
なぜかクラウスがやり返し、腕を組んでいたアデリナが慌ててフォルト兄様を突き飛ばす。腕を解くだけでいいのに、慌てるから疚しいことがあるみたいね。
「き、キスしかしてないぞ!」
「言うなよ!」
子供の喧嘩みたい。ふふっと笑ってしまい、二人がそれ以上暴露しないように唇に指を当てた。人差し指でしぃと口を塞ぐ。
「ダメよ、アデリナ。外では黙っているのが淑女なの。お人形さんもそうでしょう?」
はっとした顔で頷くアデリナのドレスは、柔らかなクリーム色だ。赤と金のラインが施された上掛け……なんと表現したらいいのかしら? 肩幅の長い布の中央に穴を開けて被り、前後を覆って腰を絞ったような形だった。その下には深い赤の袖がないドレス。腰部分を真紅のベルトで留め、さらに右胸から腰に掛けて大きな白い牡丹の刺繍がされていた。
初めて見る形だけれど、お洒落ね。よく見たら、下のスカートはだぼっとしたパンツなの? 驚いた顔でドレスを確認していると、後ろからガブリエラ様に声を掛けられた。
「見事だろう。民族衣装をアレンジした。そなたにも作ろうか?」
「ええ、ぜひ!」
刺繍はもっと大きく刺してもいいし、縁だけ飾ってもお洒落だわ。盛り上がる私達に、他国からの来賓が声をかけてきた。挨拶を交わし、お祝いの言葉に礼を返す。コルネリアやエック兄様も加わり、華やかさが増した。
「……ジルヴィアに会わせてくれ、トリア」
こそこそと話しかけるお父様に、首を傾げる。
「会わせてもらえないの?」
「昨日も頼んだんだが、ダメだと言われた」
誘拐事件を起こしたから? 修行二周も終わったのだし、そろそろ顔を見るくらいいいわよね。そう思ったけれど、止めたのがガブリエラ様と聞いて口を噤んだ。余計な嘴を挟まないのが、無事に過ごす秘訣よ……ごめんなさいね、お父様。




