196.遅刻も欠席もできないわ
夕食も食べずに絡み合って、朝を迎えた。いつ寝たのか覚えていないけれど、引き忘れたカーテンなしの窓は容赦なく朝日を突き刺す。眩しさに目元を押さえて呻いた。
「トリア様、お目覚めですか」
「言葉……」
短く注意して目を開ける。手で影を作ったけれど、クラウスの背中が朝日を遮っていた。気の利く男だわ。いつの間にか敬語に戻る夫は、困ったように首を傾げた。
「起きましたか? トリア様」
「敬称もなしで」
もう一回やり直し! 可愛くない反応なのは自覚があるわ。でも最初に言っておかないと、クラウスはずっと私を「お姫様」扱いするでしょう。笑顔で見守る私に、クラウスは顔を寄せて額に口づけた。
「おはよう、トリア……」
照れながら口にされた言葉に、私は嬉しくて抱き着く。そこへノックの音が響いた。
「旦那様、奥様。起床のお時間でございます」
コンラートだわ。今日はルヴィ兄様の結婚式だから、遅刻はもちろん欠席も許されない。わかったと返事をするクラウスの首筋にちゅっと音を立てたキスを贈り、私は身を起こした。疲れているし怠いけれど、大丈夫そう。
予定が入っているから手加減してくれたみたいね。大急ぎでガウンを羽織り、準備のためにそれぞれの私室へ向かう。入浴して一般的なドレスに袖を通す。お披露目では結婚式の衣装を着用予定だけれど、さすがに他の花嫁がいる場所に着ていけないわ。
マルグリット達も、それぞれにドレスを用意している。必要以上の華美を慎むため、ドレスは三日ともアレンジだけで同じ服を着ると宣言していた。私は薄紫のスレンダードレスで、クラウスは同じ色の絹でシャツを作った。
胸の下からすとんと落ちるデザインのお陰で、腰を締め付けなくて済む。初日はショールを羽織る予定なので、お気に入りのサファイアを使ったブローチで固定した。明日はレースで作った丈の短い上着を、明後日は長いコートに似たベストを羽織る予定よ。最後の日はアデリナだから、彼女の民族衣装を参考にしたの。
オレンジと黄色を混ぜた色のショールをブローチで留めて、銀髪は後頭部で結った。綺麗にくるりと巻いて、羽の髪飾りで華やかに仕上げる。耳に揺れる真珠の飾り、胸元にも小粒の真珠を二連でかけた。唇の紅を昨日より濃い色にして……準備完了ね。
「昨日も今日も、本当に綺麗だ。トリア……あなたを娶ったことが俺の人生最大の幸運だな」
すっかり元の口調に戻ったわね。あの丁寧な話し方も似合っていたけれど、今のほうが好ましいわ。手を差し伸べて、エスコートを強請る。恭しく受けるクラウスに会釈して、こそっと耳元で打ち上げた。
「お腹が空くから、軽食を用意させたの。一緒にいかが?」
「光栄ですね、お姫様」
あら、また元通り? 足元が隠れるのをいいことに、ヒールを低くした。並んで歩くと少しだけ視線が違って、新鮮な気持ちになる。
朝食を食卓ではなく、長椅子に並んで頂いた。サイドテーブルさえない、玄関脇の長椅子よ。肩を並べて、左側のバスケットから取り出したパンをクラウスへ。間にジャムを塗ったパンを半分にして、二人で分け合って食べる。
用意されたお茶を一口、立食のときと同じく片手で器用にソーサーを支えた。忙しい朝だけれど、別に食卓で頂いてもよかったの。ただ……席が離れてしまうでしょう? 向かい合うより隣り合っていたかった。その気持ちを汲んだように、彼は馬車の中でも私を膝に乗せたまま。昨日と同じね。
道を逆にたどって神殿へ入り、誓いを立てたばかりの祈りの間で待った。皇帝のルヴィ兄様と皇妃になるマルグリット、リヒター帝国で一番重要な結婚式が始まる。




