193.溺れるほど愛したい ***SIDEクラウス
明日が結婚式……本当に結婚していいのだろうか。いや、結婚したいのだが……それはもう熱烈に愛を囁いて抱きしめたい。愛していると何度伝えても足りない気がした。あの方は、たくさんの人に心から愛されて育った。眩しい太陽のような人なのに、俺が相手でいいのかと迷う。
先日、事情を白状させられ……幻滅されると思った。ローヴァイン侯爵家の粛清は表に出ていないが、親族が激減したので気づく貴族はいただろう。俺が「私」に変わった原因の一つだ。叔父で弟のオスカーは、粛清で汚れたこの手を掴んで頬を寄せた。
「兄上が納得するのなら、全員殺して構いません……もちろん、僕も含めて」
恐ろしい発言だが、その言葉で呪縛が解けたのもまた……事実だ。人を殺してはいけない、刷り込まれた倫理観が壊れた。オスカーの生まれを知る者は、親族にもいない。神殿へ弟として届け出た「間違い」もトリア様が許してくれた。
大神官ウルリヒ様が「弟ですね」と言い切った時、胸の痞えがすっと消える。自分がすべて背負う気でいたが、心の底では許されたかったのだ。誰かに「お前は正しい」と言ってほしかった。
「トリア様」
窓を開けて冷えた夜の空へ名を呼ぶ。応えはないが、気持ちが軽くなった。この夜闇が明けて朝日が昇れば、あの方に会える。着飾って美しく装う皇妹殿下を、妻に迎えるのだ。ゆっくりと細く長い息を吐いた。夜の冷気で白く凍った息は、ふわりと消える。
「風邪を引いたら台無しです」
もう口に馴染んだ口調が、妙に作り物めいて感じた。ああ、あの方の前で俺をさらけ出したから……取り繕った顔に違和を覚える。少しずつ口調を変えてみようか。トリア様の前だけで、俺が俺でいられるように。
ガラス戸を閉め、ベッドに入った。目が冴えて、眠気は一向に訪れない。それでも瞼を閉じて深呼吸を繰り返した。トリア様の隣に並ぶ顔に、隈などという無粋なおまけは似合わない。ゆっくりと全身から力が抜けて、眠れそうだと思ったのが最後の記憶だった。
早朝から準備し、着替えて鏡の前で確認する。
「旦那様、ご結婚おめでとうございます。お幸せになってください」
父母の代から仕える家令の言葉に頷く。親族の傀儡になると決めた朝、両親の死の真相を知って泣いた夜、彼は斜め後ろで俺を支えた。決して前に出ず、隣に並び立つこともない。けれど、俺にとっての戦友の一人だった。
「ありがとう、今後も頼む」
家令である彼は、屋敷を離れることがない。たとえ主君の指示があっても、家に残り守るのが彼の仕事であり誇りだった。だから結婚式を直接見ることがない家令に、微笑んで屋敷を任せる。
「兄上、準備できましたか? うわっ、華やかですね」
「オスカー。当然だろう? あの麗しい姫君の隣に立つのだから」
誇らしさを口に出した。自然と口角が持ち上がり、微笑みの形になる。オスカーはこれから準備をするらしい。まだ上着を羽織っておらず、シャツのままだった。
「いってらっしゃい、兄上。ドーリスやティムと追いかけます」
「ああ、お前達の席は親族扱いだ。向こうでコンラートに聞いてくれ」
トリア様の執事が取り仕切っているはずだ。堂々と弟として呼べることが嬉しい。用意された馬車は、花やリボンに彩られていた。ちょっと驚くが、今日限定と考えれば悪くない。上着に皺が寄らないよう、気をつけて乗り込んだ。
揺れる馬車から見える景色は、いつもより多くの人が歩いていた。首都を含めて、大きな街は祝いの祭りが行われる。馬車を見て手を振る子供が数人、軽く振り返した。見えてきた宮殿が心なしか輝いて見える。俺はこれから最高の妻を得て、眩しいばかりの人生を送るのだ。
トリア様が俺を誇らしく思ってくださるよう、心してお仕えしよう。いや、夫だからその表現はおかしいのか? 溺れるほど愛して、トリア様を蕩かすのは夫の役目だから……早くあの方に触れたい。そわそわしながら、馬車が止まるのを待った。




