189.母として娘の幸せを願う
あと二日、結婚式を終えたら住居をローヴァイン公爵邸に移す。屋敷の改築がぎりぎりで間に合ったと連絡があったのは、数週間前だった。建て替えるほうが早いのでは? と言われるほど、大改造したわ。
「間に合ってほっといたしました」
「ええ。無理をさせたから、職人には気前よく支払うとしましょう」
皇族が降嫁する際は、多額の支度金が用意される。その一部から改修費を出したの。引っ越しの荷物の確認に訪れたクラウスは、胸を撫でおろしている。万が一にも間に合わなかったら、と心配していたそうよ。完成しなかったとしても、工事を続けるだけの話なのだけれど。
真面目な彼の頭を撫でて、にっこりと笑う。
「この荷物、全部……入るかしら?」
「少ないですね。こちらでも準備いたしましょう」
考えてみたら、アディソン王国で使っていた家具は処分したんだわ。嫁入り道具として持参したため、置いて来るのも腹立たしくて執事コンラートに任せた。彼は淡々と処理したはずだから、この宮殿にはないのよ。
結婚するからと、中の宮にある部屋の私物も片付けていた。帰ってきても新しく購入せず、必要な家具だけ運ばせたの。購入したのは、ジルヴィアのベッドくらい? いえ、あれも昔のを引っ張り出したわね。
「家具はいらないわ。服は買ってもいいけれど、一緒に選びましょう」
頷くクラウスが、怪訝そうな顔をする。そうよね、気づいたはず。ルヴィ兄様の保護を得るため、ジルヴィアを皇女にした。皇帝の養女だから、私達の暮らす公爵邸に連れて行くわけにいかないわ。私が引き取るか、マルグリットが育てるか。
帰ってきたときの不安定な私の地位では、ジルヴィアの将来を守れなかった。だから決断を後悔していないの。今になって、離れたくないなんて考える私がいけないんだわ。政で心を殺すのは簡単なはずなのに、どうしてこんなに苦しいのかしらね。
「……ジルヴィアの件を話し合ってくるわ」
「私も同行させてください」
クラウスと腕を組み、奥の宮へお兄様達を呼び出す。ガブリエラ様やお父様にも聞いていただきたい。私の我が儘だけれど、一緒に暮らしたいのよ。でも降嫁する私が、ずっと宮殿に住むわけにはいかなかった。
ノックすると、ガブリエラ様が自ら扉を開けてくれる。向かい合って腰掛け、深呼吸した。
「お待たせしました」
ルヴィ兄様が真っ先に顔を見せ、すぐにフォルト兄様がアデリナと駆け込んでくる。賑やかになった室内へ、最後にエック兄様が本を片手に現れた。分厚い本は、ずっしりと重そうだ。
「ジルヴィアのことだろう?」
ルヴィ兄様が口を開いた。知っているよと示す表情に、肩の力が抜ける。家族相手に身構えていたみたい。
「ええ。今になって言い出すなんて卑怯なのだけれど」
「母親なら当然だ」
ガブリエラ様はさらりと言い切った。母としてルヴィ兄様を育て上げたガブリエラ様は、ここで思わぬ提案をする。
「十歳前後まで、そなたが育てたらどうだ?」
「ですが!」
皇女である以上、外で暮らすのはまずい。誘拐などの心配はもちろん、皇女としての教育や立場に影響するわ。咄嗟に反論しかけて、でも一緒にいたい気持ちが勝った。このまま頷いたら、ジルヴィアが成長する姿を近くで見守れる。
その誘惑は甘く、心を騒がせた。
「マルグリットを母として育ててください」
誘惑だと思ったなら、これは間違った道だわ。正しければ、当然の権利として主張できるんだもの。ガブリエラ様は驚いた顔で固まった。
「ふむ、妃と同じことを望むのか」
黙っていたお父様が、やれやれと首を横に振った。そこから二時間にわたって意見を交換し、私は決意を固める。ジルヴィアにとって良い方向へ向かうように。私の母親としての愛情よ。




