175.初めて食べる串焼きと足りないキス
屋台で売っている食べ物は、美味しそうな匂いを漂わせている。気を引かれて視線を向けるたび、クラウスが買おうとするの。慌てて止めて、いい匂いがするからと説明した。見ていただけで、いま食べたいわけじゃないわ。
「ああ、通行人の気を引くために香辛料を多く使うのです」
「え? そうなの?」
香辛料は嗜好品だが、この帝国では高額ではない。一般家庭なら並んでいる、ごく普通の調味料として使用されてきた。塩、胡椒、他国から入るお茶、ハーブ、すべてに税が投入されている。国が一括購入し、価格を調整しながら市場へ流すのだ。
過去に嗜好品を買い占めて高額で売り抜けようとした商人がおり、手に入らない民が暴動を起こした。その事件が記録に残されており、以降は国が管理する決まりとなっている。安い時期も暴落しないよう価格を保ち、差額を貯える。高額で入手しにくくなれば、その差額を追加して適正価格で販売するのだ。
国の安定的な運営に役立つので、今後は主食である穀物類にも対象を広げる検討をしている。エック兄様から相談されて、過去数十年の穀物取引額の計算をしたわね。
「香辛料の香りが強くなると、トリア様のように振り返る人が増えますので。ケチらずにふんだんに使いますね。食べる際は少し味が濃いかもしれません」
宮廷料理より、国民の料理のほうが味が濃いと聞いたことがある。汗を流して働くため、塩分を補給する必要があると。逆に高額な砂糖はあまり民の口に入らない。貴族のお茶会には、砂糖に砂糖をまぶしたかと思うほど甘いお菓子がでるのに。
疲れた時は甘いものが美味しいのよね。よく見れば少ないながらも、小さな飴が並んでいた。子供達が握りしめた硬貨で、いくつ買えるか考え込んでいる。微笑ましいわ。
「帝国の民は幸せですね。こうして買い物をする際に、自分で計算ができるのですから」
クラウスの指摘に、何を言われたのかと首を傾げた。彼の説明によれば、他国の民は計算どころか名前すら書けず、当然文字は読めないらしい。帝国では子供の教育は義務であり、最低三年は神殿の教室に通わせる必要があった。もし、義務を怠れば親が罰せられる。
「無能な王など滅びればいいのに」
「ほとんど滅ぼしてしまわれたではないですか」
苦笑しながらクラウスが切り返し、それもそうねと笑った。途中で見つけた串焼きを購入し、座れる場所を探す。祭りのために大通りを埋め尽くすテーブルと椅子、ベンチまで並ぶ。空きを見つけて腰掛け、すぐ近くに騎士も控えた。仰々しいけれど、仕方ないわ。
お忍びの意味がないけれど、私は自分の立場を理解していた。何らかの事故や巻き込まれた私がケガをすれば……彼らの失態となる。追い払うとか、遠くに控えさせるなんて、傲慢に過ぎるわ。撒いて自由を楽しむなんて、物語の中だけの空想で十分。帰ってきて、首を差し出す騎士を見るのは嫌だもの。
「これ、どうやって食べるの」
野営経験はあるけれど、すべてお皿の上に並んでいた。串に刺したままの料理は、どうしたらいいのか。困惑顔でクラウスを見れば、悪戯っ子のような笑みが向けられる。
「民はこうして食べます」
言うなり、ガブリと肉に嚙みついた。串を横にして、肉だけ噛む……え? 頬に肉がついてしまうわ。彼の頬も、肉のソースがついている。それをぐいっと袖で拭った。
「ちょっと……無理ね」
「ふはっ、あなた様に無理と言わせたのは、私くらいでしょうか」
くつくつと笑う姿にむっとして、小さめに噛み千切る。ぎりぎりでソースがつくのを回避したわよ? 胸を張った私の頬に手を触れ、顔を近づけたクラウス……キスを想像して目を閉じた。触れたのは頬で、「ついていましたよ」と笑う。そうじゃないでしょ、そこは唇を重ねる場面よ。




