170.神々への祈りを捧げる間で
神殿は世俗から隔離されている。神々の領域だった。それでも、皇帝が来たら大神官が出迎えるのが慣習になっている。先代は異母兄弟だったから、当然だったのでしょうね。そのまま慣習は継承されて、甥の出迎えに立った叔父様は正装だった。
神官としての正装は白を基調としている。各神々に象徴色があるため、ベルトにその色を使う。叔父様の守護神である正義と断罪の神は、氷のような水色だった。ベルトを象徴色で整えた叔父様に従い、順番に馬車を下りて歩き出す。
挨拶の言葉はここでは省かれる。神々の『息』を借りて話すため、婚約や結婚に関する儀式では無駄な発言はしない。声がない廊下を静々と進めば、どことなく儀式らしい風格が生まれた。儀式に使う祈りの間は、九柱の神々の像が並ぶ。踏み入るときだけ、一人ずつ丁寧に頭を下げた。
「ここに、四組の新たな絆が生まれる」
奥で振り返った叔父様が口火を切る。始まった儀式に、手順を思い出しながら従った。神々の像から集めた朝露で湿らせた白い花びらを、一枚ずつ受け取る。己の守護神へ向けて一礼し、他の神々の像をぐるりと見回した。最後にまた守護神へ一礼する。
この儀式は全員が行うため、神官も含めて衣擦れの音だけが響いた。それぞれの神像の前に大神官が立つ豪勢な儀式は、過去に例がないだろう。九柱の神々の前に、九人の大神官が揃っていた。祈りの言葉が響き、幻想的な雰囲気が作り出される。
神官の一人が水盆を持って、ゆっくりと歩いてきた。先ほど受け取った花びらを水盆へ返す。浮かんだ花びらの数は八枚になり、水盆は神々の泉へ流された。
後ろで見守るガブリエラ様はいいけれど、隣にお父様が立っているのは問題じゃないかしら? ケガをしたことになっているのに。堂々と歩いているなんて! まあ、神々の前で椅子に座る偽りもまずいけれど、外で待つ選択肢は……ないわよね。今日は見なかったことにしてあげる。
息子三人と娘一人、四人が一度に婚約するんだもの。お父様のフォローは後で考えればいいわ。幸い、この祈りの間に入れるのは親族だけ。ザックス侯爵家、ライフアイゼン公爵家、イエンチュ王国タラバンテの長、この人達に口止めすればいいのよ。
ふと気になった。ローヴァイン侯爵家から、誰も来ていない。ご両親が亡くなった話は聞いているけれど、クラウスには弟がいたわ。どうしたのかしらね。ちらりと視線を向けるも、クラウスは感情の読めない笑みを浮かべていた。
一組ごとに誓いを立てるが、これは祈りの形をとるため声を出さない。ルヴィ兄様にエスコートされたマルグリットが、ゆっくりと膝をついて祈りを捧げた。ルヴィ兄様も隣で同じように手を組む。祈りを終えた二人が壇上を去ると、次はエック兄様とコルネリアだった。
兄弟妹の順番だから、私達が最後ね。アデリナはやや緊張した面持ちで、ドレスの裾を気にしている。スリットを入れたから歩きやすいと思うけれど、踏むことを心配しているの? 視線が合うとへにゃりと眉尻が下がった笑みが返ってきた。大丈夫、フォローするわよ。そんな思いで微笑み返した。
フォルト兄様と腕を組んだアデリナは、綺麗な所作で前に進んだ。武術に長けているということは、体の動きを理解しているの。無駄がない動きを追求し、筋力があるから体幹もぶれない。ダンスだってステップを覚えたら完璧にこなすと思うわ。
先にフォルト兄様が膝をつき、隣でアデリナがスカートをしっかり寄せて両膝をついた。ここで、気づく。スリット部分から足が見えちゃうんだわ! 何とかスリットを握って誤魔化し、アデリナも祈りを終えた。安心したのか、立つときにフォルト兄様の手を借りて……ちらりと足が見えた。
鍛えた筋肉だから見苦しくないけれど、微妙にマナー違反だったわね。夜会なら許されるから、結婚式ではスリット禁止にしましょう。
クラウスが私に手を差し伸べ、その上に重ねる。それから腕を絡めて、ゆっくり歩き出した。本当に婚約するんだわ。前回は婚約は書類だけで、すぐに結婚式だった。だから初めての婚約式。隣のクラウスの横顔を見て、深呼吸した。




