148.私もクラウスも役者は無理ね
クラウスと離れ、騎士を一人連れて大広間へ戻った。こういった夜会に使われる広間は、一階に作られることが多い。貴族の屋敷は他人が入れる一階と、家族が過ごす二階、使用人などが使う屋根裏に分かれる。ただし、厨房や洗濯場など水場は半地下が主流だった。
貴族の屋敷は大きく荘厳に見せるため、半地下を作って高さを出すのだ。その考え方のお陰で屋根裏も広かった。玄関で七段の階段を登り、屋敷に入る。当然、部屋のテラスは庭より高く作られた。客間や夜会の広間から見る庭は、やや見下ろす形になる。
大広間で数人の貴族から挨拶を受け、ワイングラスを手に取った。口をつけて、手に持ったまま歩き出す。グラスの中で白ワインがゆらゆらと光を弾いた。テラスへ向かい、護衛の騎士に入り口で待つよう伝える。ちらりと振り返れば、クラウスは別の貴族に捉まっていた。
話し込む婚約者に苦笑いを浮かべ、私はテラスへ出る。
「ここでいいわ」
護衛の騎士に、入り口で待つよう伝えた。
周辺のテラスには、恋人同士や夫婦で休憩する人々がいる。窓に付随する形で円形に張り出したテラスの間には、視線を遮る低木が植えられていた。人を隠す高さではないが、手すりの内側を飾るベンチに座れば見えない。
この低木は美しい椿の花が咲く。宮殿でも同じ椿が植えられているから、気持ちが安らいだ。やや肌寒いが、上着を羽織るほどでもない。手にしたグラスを傾けた。一口、二口……半分以下に減ったところで、装飾が施された手すりへ置いた。
お酒が入ると心地よい寒さだ。ベンチの冷たさも火照りを冷ましてくれる。
「っ!」
斜め後ろから伸びた腕に、口を塞がれた。薬品の臭いがする布に、息を止める。一、二、三、ゆっくりと十まで数えて、手が離された。まだ息が続くけれど……貴族令嬢ならこの程度で効果があるのかしら? か弱いご令嬢と縁がないから、平均値がわからないわ。
動かずに手すりに凭れる私は、ベンチで眠ってしまったように見えるだろう。久しぶりだから記憶が曖昧なのだけれど、先ほどの薬品は眠り薬の系統だったはず。間違っていたら……仕方ないから叩きのめして捕まえるしかないわね。
目を閉じて待つ私を、誰かが抱き上げた。その瞬間、私は目を開く。驚いた顔をする若い男は見覚えがあった。帝国貴族に加わってまだ三世代ほどの伯爵令息だ。にっこり笑って、大きく息を吸った。
「きゃあぁああああ!」
鍛えた肺の成果を遺憾なく発揮する。正面から叫ばれた男がおろおろし、逃げようと手すりに手を掛けた。乗り越えようとした男を突き飛ばす。顔から転がり落ちた男が悲鳴を上げた。
彼が入ってきたのは、椿のある側面から。逃げようとしたのはテラスの中央部分、その下は景観と防犯の意味で薔薇が植えられていた。何度も訪れたライフアイゼン公爵邸だからこそ、細かな部分まで記憶している。
転がり落ちた先で薔薇に顔を突っ込んだのだろう。大輪の花をつける薔薇は、防犯に最適な鋭く大きな棘を誇る。硬い棘は容赦なく皮膚を引き裂くはず。
「っ! 皇妹殿下?!」
飛び込んだのは一番近くの護衛だった。事前に作戦を話してある。彼も共犯者だけれど……。
「曲者よ、抜剣を許可します」
守るためとはいえ、主の許可がなければ刃を見せるわけにいかない。許可を得た騎士は一礼して、ひらりと手すりを乗り越えた。
「トリア様、ご無事ですか」
「クラウス、怖かったわ」
二人とも役者にはなれないわね。セリフが棒読みだもの。それでも指摘する愚か者はいないでしょう。察しのいい者は口を噤むし、愚か者は噂に興じて自滅するだけ。
「僅かとはいえ、お側を離れるのではなかった。震えておられますね」
さっと上着を脱いで、私の肩にかける。震えながら両手を胸の前に組んで抱き着いた私は、怯えているように見えるわ。実際は、あまりに棒読みなクラウスに笑って震えているのだけれど。




