139.まずは娘、次が私?
砦から戻ってすぐ、ジルヴィアの部屋に向かう。ガブリエラ様がいそいそと付いて来るけれど、特に問題ないので放置ね。アンナが寝かしつけたばかりのようで、ジルヴィアはすやすやと眠っていた。幸せそうに軽く握られた拳が大きくなったかしら?
何か月も離れていたわけじゃないのに、違いを見つけてしまう。伸びた髪、ややふっくらした頬、大きくなった手足……抱き上げて重さも実感したいけれど我慢しましょう。起こしてしまうもの。
「アンナ、ありがとう」
「いいえ。皇女殿下はとても聞き分けのよいお子様でした」
小さな報告を積み重ねた手帳を受け取り、さっと目を通す。アンナが抱き上げても寝ない夜があったり、服の袖を噛んだり、上手に排泄できなくて泣いたり。いろいろあったのね。
「起きる頃、また来るわ」
言い置いて、残念そうなガブリエラ様を促した。母親の私が我慢しているんですもの、お分かりよね? と笑顔で退室を指示する。執務に使う私室へ移動し、一息ついた。忙しなくエリーゼ達が荷物を運び込む。これから整理するのは大変そうだわ。
「明日に回せる仕事は後でいいわ。早めに下がりなさい」
下がってよろしいと伝えた時期もあったのだけれど、その言い方だと夜中まで仕事をするのよ。真面目で好感が持てる反面、体調が心配になるわ。だから下がるよう命じる。
静かに控えていたクラウスが、用意されたお茶に手を付けた。ガブリエラ様はこの後、お父様達の様子を見に神殿へ向かうらしい。戻ってきたら、ジルヴィアを抱っこさせてほしいと告げられた。条件を一つ出して了承する。
お父様が、というより……叔父様が何か策を練っていそうな気がするの。考えれば考えるほど、お風呂の事故が疑わしい。あの叔父様が、そんなことで罰を中断するかしら? 身内のお父様を気遣ったと思えば、あり得る? でも不自然だわ。
ガブリエラ様の指摘で、余計にそう思い始めた。クラウスの調査は、まだ結果が報告されていない。それも気になった。いつもなら迅速に報告がなされるのに、どこで止まっているの? 誰かが意図して結果を捻じ曲げているのではないか。
「トリア様、お休みになられてはいかがでしょう」
疑問形ではなく、クラウスは休むよう言い切った。そんなに疲れているように見えるのね。
「わかったわ」
「……二人で休むと、噂になるぞ?」
くすっと笑ってしまう。ガブリエラ様の茶化した言い方が、そうなっても構わないが、と聞こえた。
「クラウスもありがとう」
「名残り惜しいですが、明日また参上いたします」
丁寧に挨拶してクラウスは帰路に就く。急ぎで出発したし、侯爵家の仕事が溜まっているでしょう。何かあれば力になると伝えた。彼は頼らないと思うけれど。
「さて、マインラートの話も含め、ルヴィやエックに話すとしようか。そなたは休め。顔色が悪い」
立ち上がったガブリエラ様が、同じように席を立った私の頬に手のひらを当てる。撫でるより触れるだけの手が冷たく感じられた。ガブリエラ様は顔をしかめる。
「トリア、熱があるようだが?」
自覚がなかったので目を見開く。確かに強行軍だったけれど、体調を崩すほどではないと思うわ。自分で額に触れても違いが判らない。首を傾げたら、エリーゼが呼ばれた。ガブリエラ様の指示でベッドが用意される。
「でも報告なら私も……」
「まず休め、前皇妃の権威が有効なら動かぬよう命じるところだぞ」
そんなに体調が悪そうに見えるのなら……。素直に着替えて横になる。途端に、ベッドへ沈むような疲労感に襲われた。怠くて動きたくない。ずぶずぶと呑まれるような感覚と、ガブリエラ様の冷たい手が気持ちよかった。
大きく息を吐いて、お礼と挨拶をしたつもり。きちんと届いたかしら。




