118.上司のお守りも慣れてきました ***副官ハイノ
元帥閣下の副官を拝命し、早十年か。長いのか短いのか、目の前で手合わせをしている上司を眺める。癖のある剣技ながら、隙はなかった。荒々しく上から叩き、防がれても蹴りを入れて守る。元帥閣下の戦いというより、ならず者のようだ。
いつもの訓練風景の中、嬉々として応じるデーンズ王国の元騎士団長ゼークト卿を目で追う。敵として相対したはずが、いつの間にかこちら側へ引き込んでいる。リヒター帝国の皇族に見られる特徴だった。顕著なのは、皇帝陛下の人たらしだろうか。
国境近くに陣取ったフォルクハルト様は、部下や敵だった騎士と手合わせに勤しんでいた。というのも、退却命令が出ていない。デーンズ国王の首は、元騎士団長の手で献上された。これ以上留まる理由はないと思うが……何か動きがあったのか。
偉い人達の考えは、雲の上ですからね。想像もできません。
「おらおらぁ!!」
どこぞの盗賊かと疑うような声を上げて、フォルクハルト様が斬りかかる。刃のない木剣だが、直撃すれば骨折は覚悟の威力だった。それを木剣で受け流したゼークト卿が「せぃっ!」と気合いを込めて、下から跳ね上げる。普通なら剣を飛ばされる場面だが、筋肉自慢のフォルクハルト様は持ち堪えた。
「おりゃぁ!」
これ以上は危険か。ゼークト卿が大ケガをする前に止めるべきだろう。夢中になると手加減を忘れるフォルクハルト様は、一時期、複数の部下にケガを負わせた。まあ、挑発した部下も悪いが……元帥や将軍の代替わりには、帝国でよく見られる現象の一つだ。
今回はまだデーンズ王国への対応が発表されていない。敵なら構わないが、万が一同盟関係になるなら問題だ。部下に右手を差し出すと、木剣が用意された。しっかりと両手で握り、タイミングを計る。距離を詰めて、二人の間に割って入った。
ゼークト卿の剣を左手で防ぎ、右手の木剣を上司の顔に突き付ける。野生の本能か、直前でぴたりと止まったフォルクハルト様は「ハイノ?」と呟いた。
「ここまでです。ケガをしますよ……ほら、汗を拭いて着替えてください」
訓練は終わり、と言い聞かせる。まだ足りないとぼやくが、素直にフォルクハルト様は引いた。これがあるから、私はいつまでも副官をやめさせてもらえない。
「……助かりました、そろそろやばいと思っていたので」
額の汗を拭うゼークト卿は、穏やかな口調で一礼した。敗戦の将として元帥預かりとなっているが、実際は戦ってもいない。仕える主君が違えば、彼の未来はもっと拓けていただろうに。気の毒に思いながら、向き直ったところに伝令が入った。
「予定通りに事が運んだようですね」
宰相閣下とヴィクトーリア姫様から事前に受け取った指令書には、クレーベ公爵を動かす作戦が記されていた。デーンズ国王の甥が王位を簒奪する。神々と神殿を敵に回したデーンズ国王が生きる道は閉ざされた、と。フォルクハルト様を動かし、国境で圧力をかけろ。それが指示だった。
あの方々は、預言者なのだろうか。私には見通せない未来を、あっさりと手繰り寄せる。クレーベ公爵は王位を得て、停戦を布告した。先代王の愚かさを喧伝し、民を纏める手法のようだ。元騎士団長による王の殺害が加わり、デーンズ王国がリヒター帝国と敵対する未来は消えた。
少なくとも……しばらくの間は。静かな時代を過ごせそうだ。もし叶うなら、あと二十年ほど軍属として勤め上げ、部下に「早く引退して席を空けろ」と蹴られながら田舎に引っ越すのが夢だ。大きな欠損や後遺症なく、田舎の小さな家で余生を暮らす。
もしかしたら、叶うかもしれないな。着替えに向かったフォルクハルト様が戻ったら、停戦となったことを伝え、引き上げる算段をしよう。伝令が運んだ指示は、首都への帰還だ。久しぶりに、お気に入りの店で甘味を楽しめる。浮かれながら、部下に退却の準備を指示した。
すぐにもう一人伝令が駆け込み、変更を余儀なくされた。甘味はお預けか。




