107.盤上の遊戯は得意なのよ
受け取った報告書に目を通し、苦笑いが浮かぶ。すでに読んだルヴィ兄様は「参ったな」と呟き、エック兄様は無言だった。先日に引き続き同席したクラウスが、最後にゆっくりと読んで折りたたんだ。一緒に手渡した封筒に戻される。
「フォルトの不満は相当だぞ」
「仕方ありません。何もかも順調に動きすぎました」
兄二人の会話に耳を傾けながら、手元の海老を丁寧に切って口に入れる。咀嚼するとバターの香りが鼻に抜けた。香草もふんだんに使ったバターは、とろりとした豊かな風味と僅かな塩気を感じさせる。色も鮮やかで、すごく美味しいわ。
「トリア、他人事ではないよ? 泣きつく相手は、間違いなく君だ」
ルヴィ兄様の嫌な予想に、カトラリーを置いた。白ワインでバターを流す。
「嫌ですわ、妹を犠牲に差しだそうとなさるなんて」
「フォルトを宥められるのは、トリアくらいでしょう」
諦めた口調のエック兄様は、緩く首を左右に振った。
「これは仕掛けがすべて発動したという意味ですね」
クラウスが感心した口調で呟くので、気をよくして説明を始めた。デーンズ王国は距離があり、凍った大地によって侵攻が困難な地域だった。そのため暖かいシーズンに海を渡る作戦も検討したのよ。でもね、海は気まぐれだから。万が一、船が転覆したら被害が出るでしょう?
アディソンとブリュートを内部崩壊させたように、デーンズも自滅してくれるのが理想だわ。帝国民に被害を出さないことが最優先だもの。アルホフ王国をつついたのは、彼らが牽制してくれたら計画の足しになるから。動かなくても問題はなかった。
デーンズ王国で、国王に不満を持つ貴族を選んだの。王妹を母に持つクレーベ公爵ナータン、彼は常々伯父を追い落とすチャンスを探していた。そこへ火種を落としたらどうなるかしら? 燻る恨みを燃料に、一気に燃え上がる。
クレーベ公爵の進言で、デーンズ王は愚かにも神殿と神々へ弓を引いた。神殿より高い建物を建てるなかれ、その不文律を破って塔を造らせた。多少の生活苦で国民は動かないけれど、信仰を汚されれば話は別よ。民に不満が募れば、王族の交代劇に納得しやすくなる。
クレーベ公爵を唆せばいいの。王座を奪え、あれはお前のものだ、と。彼は母親のために踊るでしょう。それが灼熱の靴で、一度履いたら脱ぐことができなくとも。命が尽きるまで踊るわ。
「それで、騎士団長に情報を流させた……」
「ええ、クラウスの情報が最後の一押しだったの」
デーンズ王国の騎士団長に寝返りを求めたのは、クレーベ公爵よ。ただ、彼の判断材料にクラウスの情報が一役買った。リヒター帝国が動かした軍の規模を、そのまま伝えさせる。
騎士団長という立場にいるからこそ、リヒター帝国軍の怖さは知っている。その人数と規模を聞き、さぞ驚いたでしょう。追い詰められた愚王を守るより、国民や国を維持しようと考えるのは、当然だわ。騎士団長として、正しい判断だった。
「騎士団長はクレーベ公爵の誘いに乗った。我が帝国は、クレーベ公爵からの陳謝と領地割譲を受け入れ、手を引く。表面に出るのは、それだけよ」
凍った大地だから問題ないと考えたのか、三割ほどの領土を明け渡した。この土地の管理を、アルホフ王国に任せるつもり。素敵でしょう? 先代王を殺されたアルホフ王国、今回は戦に参加しなくてもデーンズを許せるはずがない。アルホフ側の自制が効くといいわね。
いずれ衝突が起きる。すぐか、数年後か。どちらにしろ、私達が老いて墓に入る前にケリがつくはず。
説明を終えた口へ、海老を含む。この味は気に入ったわ。料理人に伝えてくれるよう話し、隣のクラウスの視線に気づく。両手を組んでうっとりしているけれど……ちゃんと食事しないとダメよ。せっかく美味しいのに、料理人が気に病むわ。




