フォックス
ガロードはその日、あまり眠れなかった。
いよいよ今日、バトルリングでフォックスと闘うことができる。
フォックスを殺せば、残るは一人。
ガロードはいてもたってもいられなかった。
起きると同時に、早速シャドートレーニングを開始する。
何もない空間に相手を想定し、そこにパンチを叩き込む。
相手の攻撃をかわし、すかさず反撃。
動きながら、心の中でフォックスに語りかける。
フォックス……
やっと、お前を地獄に送れるな。
お前に喰われた者たちの怨みを……
今夜、オレがこの手で思い知らせてやる。
「ガロード……朝から騒いではいけないのです」
声と同時に扉が開く。
そして、ルルシーが寝室に入って来る。
「ガロード、寝室は寝る場所なのです。トレーニングルームでは――」
言い終わる前に、ガロードに腕を捕まれた。
そして、抵抗する間もなく、一瞬にして抱き寄せられる。
「ガロード……やめるのです。まだ昼にもなってないのです」
「何もしない……ただ、少しの間このままいさせてくれ……」
ガロードの体は、小刻みに震えている。
「あなたは……本当に世話の焼ける子なのです」
ルルシーは、ガロードの首に腕を回した。
「怖がるのは、恥ずかしいことではないのです」
「キャラダイン! 貴様なにをやっている!」
その日もキークは、昼近くになって出勤した。
そして出勤するなり、トランク署長の怒鳴り声で呼び出された。
キークは面倒臭そうな顔で、ダラダラと歩く。
「駆け足で来んか!」
署長の怒鳴り声。
キークは仕方なく、腰に握りこぶしを当て、わざとらしい駆け足のポーズで署長のデスクに走る。
しかし署長のデスクは、いつもと違っていた。
トランク署長の横には、軍服を着た何者かが、背筋をピンと伸ばして立っている。
キークよりも短く刈られた銀髪、白い肌、整ってはいるがキツい顔立ち、鋭い目つき……パッと見には、厳しい軍事訓練を受けた貴公子という雰囲気だ。
しかし体つきは女性らしく丸みを帯び、豊かな胸とくびれた腰をしている。
よほどのバカでない限り、一目で女性と気づく、はずだった。
「署長、おはようございます。で、こちらのイケメンはどなたでしょうか?」
「貴様! 失礼なことを言うな! 鬼より怖い監査官様だ! しかも女性だ! ティータニア・モンテウエルズさんだ!」
トランク署長は一息で言い終わる。
だが言い終えた後、ハッとした顔になり――
みるみるうちに青ざめていく。
「トランク署長……何ですか、その鬼より怖い監査官様というのは……私をバカにしているのですか? このことは、きっちり上に――」
「ああ、あんた警察をイビって喜んでる奴か。確かにサドっぽい感じだもんな。じゃあ署長、コーヒー飲みたいので失礼します」
ティータニアの言葉を遮ったのは、キークのとぼけた声であった。
そのまま、立ち去ろうとするキーク。
「キャラダイン! 待たんか貴様!」
トランク署長はキークに飛びかかる。
そして鉄拳制裁。
キークは派手に倒れ、頬を押さえてうずくまる。
「痛い! 署長が殴った! 署長が!」
わめきちらすキーク。
「署長……何です、この男は! 見苦しい……」
ティータニアはキークを見て、心底不快そうな顔をしている。
しかしキークは、そんな彼女にはおかまいなし。
床にうずくまり、
「署長が殴った! 痛え! 痛いから帰る!」
などと、子供のようにわめきちらした。
ティータニアのこめかみがヒクヒク動き出す。
「署長……この男と二人きりにしていただけますか! 私が教育します!」
「し、しかしモンテウエルズさん――」
「私の言うことが聞けないのですか!」
トランク署長の言葉は一蹴された。
そしてティータニアはキークの耳を引っ張り、無理やり立たせ、地下の資料室へと引きずって行く。
「痛い! 署長お願い! 助けて! 監査官様に殺される! 署長!」
キークのわめき声は、しばらく続いていたが、やがてぷっつり途絶えた。
「ティータニア……久しぶりだな。近い内にマスターとブラスターを街に放つ。あとは、エバン次第だよ。じゃあ、オレは戻る」
「キーク……タイガーの方はいつ――」
「そろそろだ。タイガーは今、部下の不満を押さえつけてる。あとは……ガロが上手くやってくれるだろうよ」
「ガロ?」
「すまん、アリティーだったな」
そして昼過ぎ。
キークはパトロールと称し、ふらふらと街を歩いていた。
歩きながら、街を観察する。
最近、屋台や店舗が増えた気がする。さらに、住民も増えた気がする。
治安警察といえど、住民の全てを把握している訳ではない。大雑把に、おおよその人数を予測し、それを報告しているだけだ。
だが、報告している人数と実際の人数には、かはりのズレを感じる。
少しずつ、街らしくなってきている。
同時にそれは、無法地帯から脱却しつつあることも意味する。
ここは無法地帯ではあるが、無法地帯であるからこそ、できることもある。
無法地帯であるがゆえに――そして人の命がゴミクズと同じくらい簡単に捨てられるがゆえに――産み出される利益……それは計り知れない。
「おいキーク……何やってんだよ」
不意に、後ろから呼ばれた。
聞き慣れた、クリスタル・ボーイの声だ。
キークは振り返る。
「パトロールだよ……お前こそどうしたんだ、こんな所で――」
「あんたを探してた」
ボーイは浮かない表情をしていた。
ボーイはさっさと歩いて行く。
その後を、キークが追っている。
やがて、ボーイは足を止める。
そこは、エメラルドシティに幾つも点在する、死体置き場だった。
未だに焼かれていない死体が野ざらしになっており、異臭が辺りにたちこめている。カラスなどの野鳥が死体をついばみ、野犬もうろついている。
ボーイは改造拳銃を抜き、一発ぶっ放した。
野鳥と野犬は、たちまち逃げ去るが――
物陰で二人の様子をうかがっている。
「なあキーク、あんたが殺ったのか?」
ボーイの声は、ひどく哀しげだった。
「何のことだよ?」
「わかってんだろ……マークとジョニーだ」
「……」
キークは大きなため息をついた。
「どうなんだよ、キーク……あんたが――」
「オレはやってない、としか言えない。真実はお前の予想通りだ。でもオレはやってない、としか言えない……今はな」
「どういうことだよ!」
ボーイは血相を変え、詰めよって行く。
「てめえ、一体何やってんだよ! 何が目的なんだ――」
「それは……言えないんだよ……」
答えたキークの顔は、どこか虚ろだった。
「ボーイ……もしかしたら今がチャンスかもしれないぜ」
「何のチャンスだ?」
「オレを……殺すチャンスだよ」
キークは虚ろに笑い、両手を挙げた。
「な、何を言って――」
「ボーイ……最近、何もかも嫌になってきてな。特に今日は……ひどい。何かわからんが……殺されるって言われても、抵抗する気にもならないような、そんな気分だ」
「ふざけるな!」
ボーイは、キークの顔を殴り――
だが次の瞬間、手を押さえてうずくまる。
「ぐ……痛え! クソ! 拳痛めちまったじゃねえかよ!」
一方、殴られたはずのキークは平然としていた……はずだった。
しかし――
手を押さえ、顔をしかめているボーイを見て、表情がゆるむ。
どこか狂気めいた雰囲気が、みるみるうちに消え去り――
普段の軽薄さが戻っていた。
「何をやってんだよ、ボーイ……やる気が失せるじゃねえか……お前は本当に、ケンカ弱いんだな」
キークがそう言った時――
何やら、人の話し声が聞こえてくる。
そして、数人の噴霧器を持った警官たちがやって来るのが見えた。
「ほらボーイ、行こうぜ。うかうかしてると、消毒液撒かれるぞ」
そう言うと、キークはさっさと歩いて行った。
ボーイは立ち上がり、顔をしかめながら後に続く。
その夜。
ガロードはバトルリングの控え室にいた。
キークの構えるパンチングミットに、強烈なパンチを叩き込む。
「そろそろ出番だ」
係員の声が聞こえた。
「ガロ、行くぞ。いいな……手はず通りやれよ。とにかく、大事なのは序盤だからな」
リングへの道を歩きながら、キークが話す。
ガロードは歩きながら、うなずいた。
金網に囲まれた、リングの上。
ガロードはリングの上に立ち、フォックスを見ている。
一方のフォックスは、仮面を被ったかのように無表情で、周りをゆっくり見渡している。
やがて、金網の扉が閉まる。
ゴングが鳴り――
試合、いや、殺し合いが始まった。
ガロードは、ゆっくりとリングを廻る。
フォックスは微動だにせず、じっとガロードの様子を見ている。
その体は中肉中背。顔つきも無表情であることを除けば、とりたてて特徴はない。
だが、フォックスはこれまで九人を殺している。
さらに――
その正体は人外なのだ。
ガロードは間合いを詰めて、左ジャブを放つ。
だが、フォックスは無表情のまま、パンチを額で受け止める。
そして、お返しとばかりに――
大振りのフック一閃。
ガロードはバックステップでかわし、間合いを遠く保つ。
ガロードの顔から、汗が落ちる。
その時――
「実につまらん試合だな。そう思わないか、諸君!」
突如、何者かが野次を飛ばした。
「フォックス君、君は人外のくせに人間と試合して楽しいのか?」
野次は続く。
ガロードは驚き、思わず声の主を見る。
声の主は、最前列に座っていた。
髪を肩まで伸ばし、白いスーツを着たその男は、落ち着いた雰囲気で悠然と試合を見ている。野生と知性、上品と下品とを併せ持った風貌をしていた。
この男こそ、今回の試合を組ませた張本人のエバン・ドラゴである。
もちろん、ガロードはそんなことは知らない。
そもそも、ドラゴとガロードは何の面識もない。
「貴様、今なんと言った! 殺すぞ!」
そう言ったのは、フォックスだった。
ガロードの方を見ようともせず、金網にへばりついている。
そして、憎しみに満ちた目でドラゴを睨んでいる。
「彼はどうも獣臭いな。こっちまで臭う。君もそう思わないか、ジャン?」
そう言うと、ドラゴはゆっくりとリングに近づいて行った。
その横には、ジャン・ドテオカがいる。若干、焦った様子でドラゴの横について歩いている。
そして――
フォックスは怒りに満ちた目で、金網越しにドラゴを睨みつけている。
「貴様! 貴様がリングに上がれ!」
フォックスは金網をつかみ、力まかせに揺さぶりながら叫ぶ。
対戦相手であるはずのガロードの事は、まるで見ていない。
ガロードも、予期せぬ状況を前にして唖然としていた。
だが、
「ガロ! 何やってる! 今のうちだ!」
キークの激が飛ぶ。
ガロードは我に返り、後ろを向いているフォックスに飛びつく。
そして両足をフォックスの腹に巻きつけ――
腕を喉に滑りこませ、巻きつけていく。
そのまま、絞め上げていく。
「何やってんだフォックスは!」
「おい汚ねえぞ!」
観客から野次が飛んだが、ドラゴがそちらを睨んだとたん、黙りこんでしまった。
そしてリング上では、ガロードがフォックスの首を絞め続けている。
フォックスは全く抵抗できず、ピクリとも動かなくなっている。
普通なら、このまま絞め続ければ死んでいる……はずだった。
だが次の瞬間、圧倒的に有利なはずのガロードが驚愕の表情を浮かべた。
自ら技を解き、素早く飛び退く。
フォックスは倒れたまま動かない。
だが驚くべきことに、フォックスは一瞬でダメージを回復したようで、ゆっくりと、しかし平然とした顔で立ち上がった。
「お前……大した奴だな。ずっと絞め続けてくれてたら、こんなことはしなくて済んだが……」
そう言うと、フォックスは口を開けた。
その口の部分が、徐々に大きくなる。
歯が抜け落ち、牙に変わっていく。
全身に白色の長毛が生え始め――
体そのものも巨大化していく。
犬――いや、白狐を神が無理やり擬人化させたような生物が、リング上に誕生していた。
「ミナゴロシダ……マズ、オマエカラダ!」
白狐――いやフォックスはドラゴにそう言うと、金網をつかみ、引きちぎろうと力を込めた。
バリバリと音がして、頑丈な金網が悲鳴をあげている。
静まりかえっていた観客は、ようやく事態を把握する。
たちまち、パニックになり――
暴徒と化した。
我先にと、出口に殺到するが――
「諸君! こんな面白いショーを見物しないのか! つまらんな!」
いつの間にか、マイクを握っていたドラゴの声が響き渡る。
同時に金網の扉が開き、小型の杭打ち機を持ったジュドーが、リングに上がっていた。
さらに改造拳銃を構えたボーイと、愚兄弟もリングの上に――
「何しに来た! お前らには関係ない! 引っ込んでろ!」
わめきながら、ガロードはジュドーから杭打ち機を引ったくる。
「ガキ! んなこと言ってる場合か! くたばりやがれ白狐!」
ボーイの改造拳銃が火を吹く。
銃弾はフォックスの背中に炸裂する――
だが、フォックスは倒れない。
それどころか、ゆっくりと振り返る。
「キサマ……」
しかしボーイも、だてにこの街で暮らしていた訳ではない。
続けざまにトリッガーを弾く。
響き渡る銃声――
銃弾はフォックスの体にすべて命中する。
フォックスの動きが、一瞬ではあるが止まる。
その瞬間、愚兄弟が両側から飛びついた。
フォックスの凄まじい太さの両腕……だが、愚兄弟は普段の愚かな振る舞いが嘘のように、寸分の狂いもなく機械のように正確に(しかも同時に)肘関節に飛びついたのだ。
飛びつき腕ひしぎ十字固め……立っている相手の腕に飛びつき、両足で相手の腕を挟んで固定し、同時に相手の肘を逆方向に曲げて破壊する関節技である。だが、こんな怪物にかける気にはならない。普通の人間ならば。
しかし愚兄弟は頭は悪いが、こと格闘に関する限り天才的だった。こんな状況であるにも関わらず、ガロードと遊んでいる時に教えてもらった技を瞬時に繰り出したのだ。
その上、恐怖という感情を知らなかった。何のためらいもなく、人外の怪物に素手で向かっていったのである。
さらに、ガロードを助けたいという気持ちが、兄弟を駆り立てていた。
怪物の右肘をジョーガンが、そして左肘をバリンボーが極めにかかる。
さすがのフォックスの怪力でも、百キロを超す愚兄弟に関節技をかけられたら、簡単には振り落とせなかった。
それでも愚兄弟を振り回し、暴れるフォックス。
だが――
「貴様らに! 喰われた者の怨み! 思いしれええええ!」
叫びながら、ガロードは一気に間合いを詰め――
杭打ち機を炸裂させた。
銀色の杭は、一気にフォックスの体内にえぐりこまれ……
心臓を破壊する。
フォックスの、断末魔の咆哮――
それは、観客の誰もが聞いたことのない、本能に訴えかけてくる恐ろしい声だった。
リング上では、巨大な白狐だったものが……
小さな老人へと変貌し、横たわっている。
「どうですか皆さん! 化け物と人間の闘い! これこそバトルリングの新しいショーです。エメラルドシティでなければ見られない! どうですか・・・」
観客席では、ドラゴがマイクを握り、観客に語りかけている。
そしてキークはその横で、リング上のガロードたちを見ていた。
「お前ら! 何考えてるんだバカヤロー! お前らに何かあったら、オレは! オレは……」
ガロードが泣きながら怒り狂い、愚兄弟を叱っている。
観客の視線も構わず、大粒の涙をボロボロこぼしながら、愚兄弟を怒鳴りまくっている。
それを見て、クスクス笑っているボーイ。
キークはこみあげてくる思いを感じた。
リング上に行き、彼らと共に――
だが、それは無理な話だった。
今回の彼らは、ドラゴに――ひいては組織に――利用されたのだ。
そしてキークは、組織の犬である。
彼らと喜び合う資格がなかった。
そのキークを、リングの上から睨みつけているジュドー。
様々な人間の思惑が、バトルリングの上と下で交錯していた。




