12月 第4金曜日 その2
一柳さつきは電車内でそわそわと足踏みをしていた。『ランドセルを置いたらすぐ向かいます!』とメッセージを入れたところ、朱兎からは『おっけー。急がず気を付けてきてねー』と返ってきた。
六時間目の終礼と共にダッシュで帰宅。金曜の授業が午前のみ、ダンス教室はお休みということで、朱兎はさつきより先に現地へ行っている。『急がず』などと生ぬるい言葉はさつきの頭にはない。
スマホに送られてきた、電子チケットを何度も確認する。『クリスマスディナー付きペア宿泊券』の文字を見る度頬が緩んでしまう……。
ハッと我に返り、車内アナウンスに耳を傾ける。朱兎の待つ、ホテル最寄りの駅名が告げられた。スマホをジーンズのポケットに突っ込み、今か今かと扉が開くのを待った。
扉が開くと共に、ホームも階段も駆け抜ける。途中、腕を組んで歩くカップルにぶつかりそうになり「ごめんなさい!」とひらり交わした。
改札機にICカードを叩きつけ、栗毛をポニーテールに結った後ろ姿に駆寄る。足音で気付いたのであろう朱兎が振り返った。
「お、お待たせしましたっ!」
「あらら、急がないでいいよって言ったのにぃ」
「いえっ、誘ったのはあたしですから。朱兎さんをお待たせするわけには行きません」
「あははっ、いーのいーの。私は早く来れただけだから。んじゃ、行こっか」
今日の学校での出来度となどを話しながら、並んで歩いた。急いだことよりもわくわくで息のあがっているさつきを見て、朱兎は「わんちゃんみたいね」と笑う。言われてみれば、散歩が嬉しくてたまらない大型犬のようだな、と自分でも思った。
「うわっ、デカっ!」
最寄り駅から目的地の獅子太郎ホテルまでは徒歩十五分ほどだった。さすがはテーマパークや大型レジャー施設を運営するアミューズメント企業が手がけるホテル。和風の古城を模した、存在感とインパクトの固まりのような外装だった。
お間抜けに口をぽかんと開けるさつき。きょろきょろする朱兎も「うはぁ、お堀まで本物っぽいよー?」とテンション上昇中のようだ。
入り口らしき物は一つしか見当たらない。見た目は重々しい木製の扉だ。あの鉄錠はどうやって開けるのだろうと思いながら近付いてみると、なんてことない自動扉だったらしく、センサーでスーッと左右に開いた。
一歩足を踏み入れると、ほわっと暖かい空気に包まれた。冷えた身体が解凍されていくようだ。お香の良い香りが漂っている。
「よくぞおいでなすった」
ホテル内に入るや否や、どこからともなく忍者……のコスプレをした従業員が現れた。片膝をつき、深々と頭を下げている。
「うわぁ、忍者ですよ朱兎さん! かっこいいですねー!」
「ちょっ、さつきちゃん? 声が大きいよー? ちょーっとだけボリューム下げよーかー」
慌てて口を覆うさつき。忍者は無表情を貫き「こちらへ」とフロントへ促す。「フロントは普通なのね」とぼそり呟く朱兎に、今度はさつきが「しーっ」と人差し指を立てた。
フロントの隣には立派な松の木。クリスマスツリーの代わりに、松の木にツリーの装飾がピカピカ光っていた。スマホで招待券画面を出した。
「一柳様、二名様ですね。お夕食はお部屋での懐石料理かビュッフェ、もしくは当ホテル自慢のレストランからお選びいただけますが、いかがなさいますか?」
「ぶ、ぶ……?」
さつきは目をぱちぱちさせる。ビュッフェという言葉を初めて聞いた。それはなんですかと尋ねたいのだが、なにせ『ビュッフェ』を発音できない。
「私、懐石料理は苦手かもー。さつきちゃんは?」
「ぶっ……ぶぶぶ……」
「ぶぶ? えっと……何食べたい? いっぱい食べたいならビュッフェがいいかな?」
「ぶっ、ぶっ、ぶぶっ……」
ぶぶぶぶぶしか言わないさつき。覗き込んできた朱兎は察したのか「ビュッフェでお願いしまーす」と助け船を出した。
チェックインが済み、またもいつの間にか隣に来ていた忍者が「こちらへ」とエレベーターへ案内する。結局ビュッフェとは何だったのか分からず終いだったさつきは「さすが朱兎さん、おっとなー!」と尊敬の眼差しで後を追う。
「ごゆるりなされよ」
着いたのは最上階。謎の忍者は二人を部屋へ通すと、本物の忍者さながらにササッと姿を消した。
「ずいぶん変わった接客だねぇ。うちの妹コスプレ好きで手作りしてるけど、さすがにあれはリアルすぎるわぁ」
「ほんと、こってましたね。えっと……靴は履いたままでいいんですか?」
ソフトボール大会の遠征で泊まったホテルは土足だった。室内スリッパに履き替えた記憶があるのだが、そのようなものは見当たらない。さつきはスニーカーを履いたまま、上がりかまちに片足をかけた。
「あー、ダメダメ! ここは和室だからお靴は脱ぐんだよー」
ばたばたと両手を羽ばたかせて止める朱兎。背が低いので、ちょっとペンギンさんみたい……と笑いを堪えながら靴を脱いだ。
二人で泊まるには広すぎる和室。縦横、どこまで数えたっけ? と畳を二十数えたところで諦めた。さっさと荷物を置いて寛ぎだした朱兎が、早速施設案内を手に感嘆の声をあげる。
「ふぇー、さすが獅子太郎ホテル! 一泊じゃもったいないくらい遊べそう! ねぇねぇさつきちゃん、ご飯の前にまずはプール行かない? 流れるプールもあるしウォータースライダーもあるし、プチシュノーケリングなんてのもあるよ! シュノーケリングって知ってる? お魚たくさん見れるよー!」
うはーぁ! とお目々を輝かせている朱兎。たくさん悩んだが、やっぱり誘って良かった……と胸を撫で下ろしながら朱兎の隣に座った。
「喜んでもらえて嬉しいです! でも、あの……」
さつきはもじもじと身を捩らす。「ん? どした?」と朱兎が振り向く。
「あのですね……その……あたし、泳げないから友達とプールとか行ったことなくて、学校の水着しか持ってないんです……。だから、えっと……」
母の水着を借りようとした。新婚旅行でハワイに行った時のがあるけど……と出してくれたのだが、サイズはさておき時代を感じさせるデザインに『やっぱいいや』と断念したのだった。
「そっか。んじゃさつきちゃんもレンタルする? 宿泊の人はレンタル無料って書いてあるよ! 私もレンタルするから一緒に借りよっか」
「あ、えっと……は、はい……」
うんうん、とご機嫌で頷く朱兎に『選んでほしいんです』とは言い出せず……。スク水以外を買ったこともなければ着たこともないので、自分がどんな水着が似合うのか分からないのだ。
「んじゃ行こ行こ! 館内着はやっぱ浴衣だね。よーっし、泳ぐぞー!」
言うが早いか、朱兎はぽいぽいと脱ぎ出した。あっという間にブラジャー一枚になるので、チームメイトの着替えには慣れているさつきも「ちょ、ちょっと朱兎さんっ!」と慌てる。
「い、いくら女同士だからって、レディがほいほい肌をさらけ出したらダメです!」
「え? ダメだった? あー、ごめんごめん。女子校育ちだから、こーゆーの当たり前だと思ってたぁ。んじゃ後ろ向くわ」
くるっと背を向け、今度はスカートを下げだした。「だからぁ!」とツッコミかけたが、自分も目を逸らせばいいことに気付き、さつきは顔の火照りを感じながら慌てて後ろを向いた。
リナの『ホック二つ以上のおっぱいになりたいよねー』という言葉が脳裏に蘇る。パステルピンクの朱兎のブラジャーのホックは一つだった。それを知ってしまったさつきはカップすらも計ったことのないスポブラ女子だが……。
服の上からまじまじと見たことはないが、特別主張していた印象はない。ホックが一つだとすると、Aか、あるいはB……。
「さつきちゃんは着替えないの? 楽だよー、浴衣ぁ」
さつきの肩がびくっと跳ねた。いやらしいことは何も考えてない、考えてない! とぶんぶん首を振る。
「え、さつきちゃん? どしたの?」
「いえ! 何もないです! 何にも考えてません! き、着替えます! あたしも堂々と着替えます! 女同士ですもんね。いやらしいことは何もないですもんね!」
さつきが勢いよく振り返ると、朱兎は不思議そうに「え、あ、うん」と頷いた。多少だぼだぼにも見えるが、浴衣もよく似合う。お揃いの浴衣を差し出されたので奪い取るように受け取り、静電気をバチバチ言わせながら下着まで脱いだ。
「えっと、さつきちゃん……なんで怖い顔してんの?」
和の風景がそうさせるのか、さつきは出陣の覚悟を決めたような表情だった。腹をくくって純白のスポブラをさらけ出したつもりなのだが、女子校育ちだからかお子ちゃまと見られているからか、朱兎のきょとん顔は全く変わらない。
「い、いえ! あたしもあと三ヶ月で女子校通うんだし、チームメイトの下着姿なんか見慣れてますし……」
自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。同年代と一緒に着替えることは日常茶飯事なのだが、大人の女性の、しかも憧れの女性の下着姿を見て何カップか想像したなどと恥ずかしくて言えるわけもない……。
とにかく早く着てしまおうと浴衣の帯に手こずっていると、朱兎はポットの横に和菓子の山を見つけ「うわー、これ全部食べていいのかなー!」と大はしゃぎしだした。
まんじゅうで頬をぱんぱんに膨らませたままお茶を注ぐ朱兎。期待と不安が混在するクリスマスデートが始まった。




