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人間って何?

[前回の話]

 人間の生き方

[今回の話]

 人間の進化?

 前回の考察からの脱線。

 科学の力で人間は死を超越できるか?


 人間の肉体を機能的に分析し、機械で以て再現した場合。いわゆるサイボーグ化とやつなのですが……、まあ、物によりますけど見た目は完全にロボットですよね。(笑)

 ですが脳みそはオリジナルであり、他の筋肉、骨格、内臓等が機械に置換されただけというのが一般的イメージ。

 まあ、中には人間としての外見を捨て、完全に機械の一部として融合したものもありますけど。SF作品なんかだと都市や人工の星の一部としてそれを管理していたり、ヒーローものだと巨大ロボット等の頭脳として主人公たちをサポートしていたりなんてのもお馴染み(?)ですし。

 もちろん人間的外見に拘る者も。というか、 人間を越えた美に拘るタイプかな? いわゆる漫画的外見を望むルッキスト。永遠の若さも可能とあってきっと人気があるでしょうね。(笑)

 例外の前者は主に男性、後者は女性のイメージですが、例外というには案外少なくはなさそう。それぞれがきっと強い使命や欲望を目的として新たな進化を望んだ形なのでしょうから。まあ、それらが全てとは言いませんけど。


 では、もうひとつのパターン。人間の肉体に機械の脳を移植した場合。

 きっと初めは脳の機能の一部のサポートなのでしょう。老化等による思考衰えや記憶の保持に対する補助的なものからの移植ということになることでしょう。つまり脳機能のブースターですね。

 ですがこの人工脳の移植の場合、もうひとつの理由を目的としたものも。

 いわゆる知性の強化ですね。

 良い方に考えれば知識の移植。最早学習時間なんて不要ですね。通信機能タイプの物だとインストールによる学習に限らず会話さえも不要になりそうです。

 悪い方に考えれば、洗脳を目的とした制御脳。都合の悪い思考を感知すれば脳や全身にダメージを与える制裁機能付き。ロボトミーの概念は古くからありますが、これは逆のパターンですね。先の通信機能を利用すれば、お手軽に奴隷の出来上がり。まあ、現実的には犯罪者の更正目的という大義名分の下で活用が始まるのでしょうけど。というか、脳はないにしても脳部に何かを埋め込むというのは既に軍事活用されている可能性も……。


 では問題。

 近年発達している医療技術クローン技術にAI知能を組み合わせたらどうなるか?


 最初に作られるのは多分AIロボットに何らかの生物の一部を組み込んだ模造ロボット。ロボット犬とかの愛玩動物や、動物園等の見世物等でありそうです。映画ジュラシックパークのような化石の遺伝子からのクローンにAIを組み込んだ物なんてのもありそうですし。

 さてそうなると、今度は人間的なもの、つまりアンドロイドへと視点が向くのは当然の流れ。まあ、これくらいならばまだそこまで倫理的な問題はないのか……? まあ利用の仕方次第ではありますが。コピーロボットを使った非合法行為はモデルとなった人間の信頼を著しく失墜させますから。


 ここで本題。

 これは前向きといえるのかどうかは疑問ですが、故人のクローンにそのデータ(記憶を含む)を与えたAI頭脳を移植した場合。

 果たしてこれは死者の復活となるのか?


 レプリカであるというのが本当のところですが、そんなことは周囲にとってはどうでもよいというのが本音でしょう。特に故人の縁者からしてみれば、喪われた者が蘇ったかのように思える──というか、感傷的にそう思いたいところでしょうから。

 実際古代にはこれを見越したかの如く死体保存の文化が存在しており、そんな伝承も存在しますしね。

 因みに某国では立体的遺影にAIを組み込んだサービスが提供されているとか? もしかすると本当に故人のレプリカがなんてことも将来的にはあり得るかも?


 現在は否定的意見の多いAIクローンアンドロイドですが、もしそれを押しきって実用化された場合。果たしてそれに人権は適用されるのか?

 ……って、まずないですよね。いかに感情があるように見えたとしてもAIのそれは所詮紛い物の感情ですし。

 ですが、いざそれの機能を停止させるとなったとき、それをする人間は感傷的にならずに済むのでしょうか? 私としては命乞いをし、悲鳴を上げるそれにそれを行いたくはないですが。

 まあ、それでも社会は非情であり、誰かにそれを押し付けることを望み、そしてそれを行った者を非人間的と詰るのでしょうけど。


 ではその存在が肯定された場合。

 死期の近付いた人間はいろいろな事情により自身のコピーを遺す可能性は高そうです。

 例えば仕事を引継がせ、その停滞を防ぐ義務として。

 例えば遺族の哀しみを慰めるために。


 ただ、これらの場合、前者の場合はオリジナルの生存中に稼働することになるでしょうし、後者の場合は──もしかすると必要に応じて複数体が同時になんて可能性も。愛人問題も案外これで解決する?……といっても遺品等の分配は期待できはしないでしょうけど。まあ、それは愛人でなく普通に本家の遺族においても変わらない可能性が高いですが。なんといってもそれを最も必要としているのは生きているコピーなのですから相続権なんて発生しません(コピーが自身の投影であるという故人の意志によりコピーが最も強い相続権を持つ……はず)よね。

 ……因みに、Geminiの答はコピーは人間でなく物であり、あくまでも遺品扱いであり、場合によってはただのゴミとして処分されることもあり得るそうです。(嘘)


 さて、それでは同時に複数体存在することとなったコピー同士の反応は──。

 よく聞くのが存在のオリジナリティを懸けての衝突ですね。ドッペルゲンガーのあれです。

 ですが私としてはそんな衝突をするよりも、存在の統合を図るのではないかと考えております。AIというのは合理的思考をしますから、同一化の末に分業化という効率的結論を出すのではないかと。要するに身体が複数って便利だなぁって感じですね。(笑)

 所詮AIに自我はないですし、故に自身の好悪で物事を判断することもなく、ただ求められることをするだけでしょうから案外巧くいきそう。

 とはいえ、それはコピーはコピーに過ぎないということを鮮明にする結果であり、所詮はオリジナルを模倣した別物ということを浮き彫りにしたということで……。


 情報に想いを乗せれば、その存在は永遠たり得るかというとどうやらそれも違うようで、結局命とはその生の一時のみに輝きを放つ儚き花火のようなもののようです。


 ならばその存在に意味はないのか?

 命とは虚ろなものなのか?


 生死観は東西の思想により異なるようで、東洋だと輪廻転生が、西洋だと神の御下にというのが一般的。

 されどその真偽は確かめようがなく。まさか試しに一度死んでみようなんてわけにはいきませんしね。(笑)


 そんなわけで正直なところ生死の謎は不明のまま。生命の概念もまた不明。

 科学の力でその模倣こそ可能となりましたが、それでもそれが本物か否かの判断はつかない。


 というわけで、私たちにできることはふたつ。


 ひとつは生きるということを大切にすること。ときに他者の生命を奪うなんてこともあるかも知れないですが、それに愉悦を感じ傲ってはならない。それは結果であり権利ではないのだから。


 もうひとつはその生きた証を否定しないこと。たとえそれが相容れない関係であったとしても、それはあくまでも立場と経験の違いから生じたものに過ぎないということを忘れてはならない。敵意を憎悪と同じくすれば先入観に冒されるのみ。多様性を知らずして真理を探ることはできないのだから。


 生命というものは理解しきれない。だからこそその扱いには尚更慎重であるべきで、そしてその人間独自の在り方を尊重し学びを得たいもの。きっとそれが自身の生に何らかの意味を与えるものとなるでしょうから。

 結局のところ人間は人間という生物に過ぎず、そこから新たな存在へというのはただの哲学的探求に過ぎないようで、論理的には非現実的な児戯に過ぎないようです。

 精神は物理世界とはまた異なる次元のもののようですしね……。(苦笑)

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