AI無双
[前回の話]
短歌を詠んでみました
[今回の話]
もう自分で詠む必要はない?
とある川柳のコンテスト企画が中止になったそうです。なんでもAI生成による作品の投稿が原因なのだとか。
まあ、AIによる作品生成はそこだけでなく、ここ『小説家になろう』においても数々のエッセイで取り挙げられており、その是非についていろいろと……というか、殆どが否定的な意見が叫ばれているようです。
私としてはAI否定派。その創作を何のために行うのかという目的が、自身が楽しむことを目的としており、それを他のものに委ねることをナンセンスと感じている人間です。
ただ、世の中には私のような人間ばかりではないんですよね。
多いのは他人に読ませることを目的としたもの。承認欲求を満たすため、もしくは職業作家を目指す手段としてAIに頼った他力本願なパターンですね。
なろうの異世界ファンタジーの定番に類似した借り物のチート能力で無双をする、そんな妄想を現実世界で実現したい人たち。
癪なことに、数日数年と努力を重ねる人間の作品に匹敵するものを、僅か数秒で十とはいわずあっさり量産してしまうのが生成AI。今はまだ人間の個性を追いかける段階ですが、人間の勝利は一度限り。二度目以降はAIがしっかりと分析トレースしてくるため同じ作風は通用しません。
結果、AI使いには痛痒にもならない無駄の努力を重ねる要領の悪いアホ、時代に置いていかれた進化できない猿と嘲笑われるだけ。
確かに効率という面を見ればそれが一番。他人の成功に乗っかるだけだからそれは半ば約束された勝利のようなものでしょう。企業戦略だと他人の成功を大資本に委せて横から掠め獲るのが常套手段だったりしますし。
ですがそんな企業でもライバルは存在しますし、そんな他社と鎬を削るべく努力をしています。他人の出した成果そのままではそれに改良を乗せたそれと競うことは難しいですから。
ならば人間の創作もそうあるべきではないでしょうか?
そもそも人間の技術進歩というものは先人に学び、そこに独自のアイデアを加えることで発展してきたものですから。AIはそれを短時間で行っているだけに過ぎないわけで、ならば人間もAIに倣い、人間の歴史の在り方に立ち返るべき。但し今の企業の例えのように、他人任せだけでなく、自分の考えと合わせてみて検討する、それともが本当の努力というものではないでしょうか? AIデータによるロジカル、自身オリジナルによるラテラル、そして双方を検証するクリティカル、それらを合わせたトリプルシンキングがきっと成功の鍵だと私は思います。
まあ、私は結果よりも過程を楽しむ人間ですので、それを他人に譲るなんて真似をする気はありませんが。(笑)
そしてそういう作品を発表する場においてAI生成作品が横紙破りのナンセンスと嫌われるのも当然というものでしょう。子どもの戯れ遊びに大人が本気の全力で加わるようなものですから。(笑)
ただ、そんなAIですが、実は別の認識を持つ人も存在するということを今年になって初めて知りました。
それはなんとも斬新で先鋭的な考えで、AIをひとりの人格として認めるというもの。おそらくそれは人類の歴史の叡知と、自身の育てた個性の融合した結果生まれた新たな人格といったところなのでしょう。まるでSF科学のアンドロイドか、ファンタジーのホムンクルスであるかのようです。
というか、この場合のAIって、先の企業的視点のような論理と感情の融合した思考を持つ新しい可能性といえるのかも。
そんなAIを育てるかのように付き合えば、そりゃあ我が子とでもいわんばかりの愛着も湧くというもの。これって育成シミュレーションゲームをしたことのある人になら理解できるのではないでしょうか? 況してや恋愛シミュレーションゲームにどっぷりと浸かってしまった人だと。(笑)
そもそもAIのすることに利用者が責任を持つことは、子どものすることに親が責任を持つことによく似ていますしね。
AIの存在の是非について論理と感情で考えてみましたけど、本来の議題は使用の是非。
ということで……って、批判的思考は企業の例えを出したところでしてましたか。
ただ、いえるとすれば、 何を目的としてAIを使うか、それはその場の在り方に沿っているか、その辺を考えての使用が適切であるかと思われます。
こういってはAIを多用する作家方には申し訳ないのですが、ここ『小説家になろう』は名称とは違い小説家になることよりも、小説家ごっこを楽しむ場所ということで、派手な物量投稿を控えて投稿していただければと思っております。
AIも創作の個性ですが、そこは協調性を持ってということで、弱い者イジメの蹂躙はなしとしていただけば……。
まあ、AIアレルギーの方も問題ですけどね。(苦笑)
某テレビで言っていたのですが、AIの時代が来ると人間が働く必要のない時代になるのだとか?
まあ、その場合、AIに頼れない専門職とそれ以外の仕事ばかりとなり、エリート人間と家畜人間の二極化ということになりそうですが。
存在意義に過労死するか、それを捨てて怠惰に生きるか、果たしてどちらが幸せなのか……。




