『底辺』のプライド
[前回の話]
有終の美
[今回の話]
憂秀の美(造語)
ここ『小説家になろう』というサイトを利用していると結構な割合で『底辺』という言葉を目にします。
謙遜として使われることが多いですが、自虐的発言で笑いを取るためのネタとしても定番なようです。
ただ、卑屈な泣き落としで同情を集めて星などの評価を乞うという形振り構わない手段としてもお馴染みなわけで……。
このサイトにおける『底辺』の定義がどういったものかは知りませんが、なぜそうまでしてこの言葉に拘るのでしょうか?
私のように他人の評価を気にせず常にマイペースな横這いでいる怠惰な人間がこんなことを言えば、きっと「だったらとっとと退会しろよ! そうすればその分俺の総合順位も上がるんだよっ!」なんて言葉を浴びせられることになるでしょう。
ですがねぇ……。
どれだけの人間がこの『小説家になろう』というサイトで作品の投稿をしているかは知りませんが、大勢が鎬を削り合うのですからそこに評価の優劣がつくのは当然。
ですが考えてみてください。
彼らが上位として認められるのはなぜか?
ポイント等といった評価を集めているという事実は確かですが、決してそれだけではないはずです。
はっきりというならば、彼らが評価に値する作品を作り上げているからです。
そうでなければ誰が認めるというのか。
とはいえ実際は評価に納得の往かない作品もあったりするわけで、そこが「その程度でいいっていうのなら俺の作品が上位だっていいはずだ!」なんて思う理由だったりするのでしょう。
仮にそんな作品で上位に喰らいつくことができたとして、果たしてそれがいつまで続くのでしょうか?
どう考えてもまぐれ当たりの一発屋。二匹目の泥鰌がそう簡単に得られる程、読者が甘いとは思えません。やはり地道な努力の積み重ねが物を言うのです。
そんなことは言われなくても解っているし、いつだって努力はしている?
それはあなただけではありません。他の作品投稿者たちだって同じなのです。
そんな中、卑劣な手段で成り上がったのでなく、正々堂々とあなたと競い合いその地位を得た者がいたとしたら、素直に称賛したくなりませんか?
自分より優る作品を書いたのだから低い場所にいられる方が癪に障ると、そんな風に思えませんか?
そもそもそんな風に思えない頂に何の価値があるというのか……。
『頂点』とは『底辺』があってこそ存在し得るのもの。
そして美しく穢れないからこそ、そこを目指したくなるというもの。
同じ望むのならば、その価値は高くないとつまらないですもんねぇ。
ならば自身が『底辺』であるうちは、目標たる『頂点』を支え、その価値を高めるべきではないでしょうか?
どうでしょう?
こんな『底辺』のプライドというものもあって良いのではないでしょうか?
取り敢えずは頂点でなくとも、切磋琢磨し合えるライバルを見つけ出し正々堂々と挑んでみる。そんな姿勢を身につけられれば創作活動も楽しくなってくるのかも知れません。




