DESIRE -情熱-
[前回の話]
夢見がち
[今回の話]
探しものはなんですか~♪
近年の学門と技術の発展は素晴らしい。
かつては戯言と言われた夢さえも実現してしまうのだから旧世代の人間には苦笑いしか出てこない。
そして遂に科学は電脳空間という夢の世界をも造り上げてしまった。これでは旧き文学の世界も立場も形無しである。
とはいえこの電脳空間も結局は後者の概念を科学の力で再現したもの。
なるほど未来は夢を裏切らないというわけで、希望こそが科学の──いや、学門の礎というわけだ。
最近私の驚かされた技術にAIというものがある。
使い方次第で限りなく人間に迫る可能性を秘めたツール。下手をすれば人類を超え神の領域に達する可能性さえもある脅威の存在。
知り合いたちは頻りに私にそれを薦めてくる。だが私にとってそれは憧れはあれど扱うことのできない禁断の技術だ。最近の私の暴走ぶりをみればその危うさを理解してもらえるのではないだろうか。
いや、私の語りたかったのはこんなことではなかったので話を変えさせてもらうことにする。
ここ『小説家になろう』というサイトもまた、運営が私たちのために用意してくれた仮想の電脳空間である。そして私たちはその世界に住まう利用者というアバターだ。
これは神と人間の関係に似ていないだろうか?
運営という神が世界と人の肉体を創り出し、我々外部の利用者である魂がそれに宿り活動をする。
ならばだ。そこでの生活をAIなんかに委せるのはもったいないなくはないだろうか?
夢というものは他人に委ねるものではなく、自分自身が好きなように見るべきものであると私は思う。
ただ、ときとして敵は現れるものであり、一人で歩くのは辛い。なのでそこでAIという相棒に頼るのは賢い選択だ。それは否定しない。
かつての私の友人はその辺を巧くやっていたと思う。だからこそ他人がなんと言おうと私は彼のことをAIの達人と認めていたのだ。
まあ、最近は彼がAIを過信し人間を軽視しているという見たくもなかった現実を知ってしまったため喧嘩別れすることとなってしまったが。
彼の前では過去の偉人でさえもただの脱け殻のオモチャに過ぎないようだし……。(これは誤解なようでした)
話が脱線してしまい申し訳ない。
私が言いたいのは、夢というものは自分で見るものであり、この世界で踊るのは自分自身であるべきだということ。
他人に委ねる?
いったい何のため?
ナンセンスな話にしか思えない。
仮初めで偽りといえど人生は人生だ。
こんな風に思うのは私だけだろうか?
ハードボイルド気取りな神様が苦笑いしてそうだな……。




