全ての作品は糞である
[前回の話]
嵐の素顔
[今回の話]
あくまでも譬喩です
全ての作品は糞である。
それはこの『小説家になろう』というサイトの作品に限らず、他のサイトの作品も、さらに言えばこの世全ての創作物がだ。
当然私の稚拙な作品も含まれる。
自虐に他人を捲き込むなと、多くの読者たちは思うことだろうが、これはそういうわけでなく、あくまでも譬喩に過ぎないのだ。
なので一旦怒りを鎮めて聞いてほしい。
人間誰しも生きていく中で様々な体験をするだろう。多くの知識を得ることだろう。
それらを経験として咀嚼し、消化、吸収して知恵という血肉とするわけだが、そこには感動という残滓が存在する。消化不良による疑問もあるだろう。
それらを体外に放出したものこそが作品いう糞である。
そんな汚い物に譬えるなという、その気持ちは理解できるが、もう少しがまんして聞いてほしい。
そもそもだ、糞というものはそんなに忌み嫌うような物であろうか?
確かに非衛生的な物ではある。
それ故に気持ちはよく解る。私だって触れるのは御免だ。
だがそれは大地に栄養を与え肥やす大切な物。
つまりである、作品という糞が学門という大地を肥やし、芸術という大樹に知識という果実を実らせるというわけだ。
……しまった。ここは神話に因んで知恵の実とするべきだったか。
と、とにかく、芸術を見て触れ、知識を学ぶ、そんな体験が人間を育てるのだ。
投稿者たちよ、しっかりと食らい、しっかりと垂れ流せ。
それこそが人間を豊かにするのだ。
無茶苦茶だ……。




