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時の織り神は そこ にいる  作者: かみはら
2部 神託の巫女
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2-47.帰還、されど

 さよならはあっけなかった。

 アレッシアがミノアニアを出たいと言った決断を、ルドは静かに受け入れた。

 しかしその意思をテミスに伝えるのは、なかなか難しい。

 正確には会いたいと言っても「忙しいため時間が取れない」という理由で、すでに七日待たされているのだ。その間、アレッシアには必要以上に広い部屋と、呼べば一体どこに隠れていたのかと不思議に思うほどの召使いと、食べきれないほどの食事が用意された。

 突然即位したばかりの少年王、しかも奴隷出身の言葉など、人々が簡単に受け入れるのは難しいのでは――そう思っていたが、意外にもミノアニア国民はあっさりと彼を受け入れたらしい。

 それというのも、不可思議な落雷が人間だけを集中して狙っていたが、人の形をした神が実際に暴れ回ったのが主な要因のようだ。聞いた話、老人や女子供関係なく、平等に半数の命を奪った戦神の姿は、あまりにも人智を超越していたため、憎悪よりも畏怖を人間に植え付けた。

 ルド曰く「そうでなければ心が持たない」らしいが、アレッシアにはよくわからない感覚だ。ともあれ、その後に虐殺の原因は国王にあることが公表され、テミスは神に選ばれた王として即位した。奴隷は順次身分を解放するらしいので、市民から反発がないかをケルテラが心配しているが、レアとオミロスははしゃいで喜ぶ姿が印象的だった。

 しかしこちらもルド曰く、うまくやれば問題ないらしい。


「神に選ばれた民という選民意識が、国民同士の連結を高めるかもしれない」

「そう上手くいくかなぁ……」

「というより、テミスはそうせねば国を纏められまい」


 ルドはそう断言する。

 アレッシアは首を傾げながら尋ねた。

 

「リンヴェが協力するのに? 王宮内の人達だって、テミスを歓迎してたでしょ」

「テミスには姿の見えぬ神以外に後ろ盾がない。いまは熱狂が勝っているだろうが、それが冷めたときに、利用できる者があれには必要だろう」


 アレッシアの従者だが、ミノアニアに思い入れがあっても、すでに未練はないらしい。

 彼がニキフォロスの従者であるザカリアと仲が良かった――と知ったのは、二つに分かれた残骸の埋葬に、ルドが最後まで付き添ってからだ。ルドはザカリアの残された家族に、これまで得た財産をすべて渡したいとアレッシアに申し出、一にも二にもなく同意した。

 ルドの話を聞いたアレッシアは呟く。


「選民意識、かぁ」


 それは逆に、自国民以外の人間を見下す原因になるのではないか。

 アレッシアの脳裏には未来のテミスの姿が浮かび、言葉を紡ぎかけたが、声になる前に喉で留まった。

 王宮に留まり外に出ないアレッシアでも、国民のテミスに対する熱が狂おしく燃え盛っていることを理解できる。そこら中に使用人が勤めているから、下手な発言を聞かれてはたまらない。

 だが、この状況にアレッシアは不満がある。

 彼女が見るのは、部屋の端に置かれた山のような衣装だ。

 見るからにギラギラと光り輝く貴金属と合わせ、手触りの良い布地や刺繍入りの服だらけだ。好きにして良いといわれたが、一つも袖を通すことなく退屈な日々を送っている。 少しでもアレッシアと過ごした記憶が残っているなら、これがどれほど窮屈で、つまらないものだと気付けるはずだが、アレッシアの待遇は変わることがない。

 アレッシアが窮屈な思いをしているだろうとケルテラが顔を出し、状況を教えてくれるが、八日目を超えたところでアレッシアは決めた。


「ルド。帰ろう」


 最後の挨拶をしようと思っていたが、これではこの先、下手をすれば一月以上待たされるだろう。

 そうと決めたアレッシアは使用人に伝言を頼むと、自身は出口に向かって歩き始める。

 足止めしようとした者もいたが、ルドがいれば彼女を止められる者はいない。

 ただ、途中、いつものようにアレッシアの元へ足を運んだケルテラにだけはピタリと動きを止めた。

 ケルテラは狼狽える人々と違って、落ち着いている。

 まるですべてを見通すような眼差しには、わずかな寂寥を孕んでいた。


「お帰りになられるのですね」


 引き留める様子はなく、だからこそアレッシアも微笑んだ。

 

「忙しい時にごめんね」

「こちらこそ、未練がましくお引き留めして申し訳ありませんでした。テミス王は、きっと貴女と別れたくなかったのでしょうが……」

「大丈夫、わかってるよ」


 ケルテラは見送ってくれるのだろう。

 巫女が誘導するように、歩きながら尋ねる。


「ケルテラは、多分役目を終えたよね。神殿には戻らないの?」

「どうしましょうか。役目を終えた後は帰るつもりでしたが、思ったよりもテミスと関わりすぎました」

「じゃあ、残る?」

「必要とされれば、でしょうか」


 アレッシアの視た未来が間違いなければ、この後ケルテラは還俗してテミスの側妃になる。もしここでケルテラを説得すれば命は助かるが……アレッシアは一度だけ瞑目し、深く息を吐く。


「アレッシア様?」

「なんでもない。それよりケルテラ」

「はい」

「かがんで」


 言われたとおり上半身を曲げた巫女の首に両腕を回し、精一杯の親愛を込めて抱きしめる。


「色々良くしてくれてありがとう。貴女といた日々は、とても楽しかった」

「妾も楽しませてもらいました」

「これから色々あるだろうけど……ミノアニアがいい国になるよう祈ってる。テミスを支えてあげてね」


 声はないが、無言で抱きしめ返される抱擁こそがケルテラの返答だ。


 ――これこそがケルテラの命を奪う呪いになる。


 運命の女神がみせた巫女の未来。

 アレッシアとの約束とは、多分、いまアレッシアが放った言葉なのだろう。

 ケルテラを救いたいなら言ってはならないとアレッシアも理解しているが、だが、そうせねば未来が変わる。あの未来はほんの一瞬の光景だったが、自分が何をせねばならないのか、アレッシアはわかっている。

 長い抱擁を終え、王宮の出入り口に到着する頃、大きな声がアレッシアを引き留めた。


「アレッシア!」


 レアやオミロスをはじめ、続々と家臣を引き連れたテミスが走っている。

 戦神の前では作っていた威厳が剥がれ落ちた様は、アレッシアの知る奴隷のテミスだ。その姿にアレッシアは薄く微笑んで、駆けつけてきた少年王の言葉を待った。

 きっと謁見の間から全力疾走したのだろう。

 豪勢な衣装はあちこちはだけ、全身汗まみれ。肩で大きく息をして王としての仮面を忘れているようだが、アレッシアも友人として自然に言った。


「テミス、私そろそろ帰るね」

「待ってくれアレッシア」

「もうけっこう待ったよ。お話があるから時間をとってって、ちゃんと言ったじゃない」

「いや、それは……ごめん、忙しくて……君とはゆっくり会いたかったから」


 半分本当で、半分嘘だろう。

 テミスはアレッシアの用事を知っていた。

 言わずとも空気で感じていたから、会わねば用件は言われまいと会うのを避けていた。

 友達との別れは寂しい。

 アレッシアも理解できる感情だからこそ、彼に惜しまれているのは嬉しい反面、問題を先延ばしにし続けることはできない。

 テミスも、バレていると気付いたのだろう。

 目線でケルテラに助けを求めたが、わざとそっぽを向かれたことで、気まずそうに視線を落とした。


「君がどこから来たのか、いまはもうなんとなくわかるつもりだ。でも、君が帰るべき場所はとても遠いところだろう?」

「うーん。そうだけど、いまなら多分、帰れると思うんだ」

「急ぐ必要があるのかな。私は……」


 ここで動いたのは人狼だ。

 彼は別れに涙するわけでも、惜しむ言葉を吐くわけでも、挨拶をするでもなく、淡々と言った。


「アレッシアを政治の道具にはさせん」


 テミスが否定しようとしてできなかったのは、自覚があるからだろう。

 彼らにすれば、アレッシアは戦神と対等に渡り合い、テミスを選び取った存在だ。

 謂わばこの国に伝わったお伽噺を現実にした存在であり、神秘の塊と断言しても遜色ない。放置するわけにはいかないのは、アレッシアも感じ取っていた。

 別れは気負いたくない。

 アレッシアは努めて明るく振る舞った。


「そういうことだよ。私の役目は終わったし、だったらちゃんと退散しないと、私はミノアニアを混乱させるつもりはないよ」

「混乱なんて、そんなことない」

「でも居ない方がいいと思うよ。私もそろそろ帰らないと、待ってる人達がいるし」


 帰還を譲るつもりはない。

 万が一邪魔が入っても、ルドがいれば人間には手出しが出来ないのを、テミスも知っていた。

 アレッシアの意思は変わらないと知ってか、テミスは何度か呻いた。

 様々言葉を紡ごうとして、アレッシアの顔を見ては黙る。これを何度か繰り返し、やっとの思いで、アレッシアの手を取る。

 

「私……違う。俺は、まだ君と話してないんだ。いままでのこと、これからのこと、たくさん話をしたい」

「私もテミスとは話をしたいよ」

「なのに、帰る?」

「ずっと待ち続けることはできないから」


 でも、と手を握り返す。


「最後にちゃんと会えてよかった」


 アレッシア自身、実は寂しいのは一緒だ。

 短い期間とはいえ、テミスを始めとした人々には世話になった。彼らとの時間が楽しくなかったとは言えない。

 故に、精一杯の感謝を込めた。


「あの時、私を助けてくれて本当にありがとう。あなたの善意のおかげで、私は立っていられるんだよ」


 きっと、これでテミスは、アレッシアはどう引き留めても無駄だと悟ったのだろう。


「無駄に時間を稼ごうとした自分が恥ずかしいな」


 アレッシアの手を宝物がごとく握りしめ、名残惜しそうに放す。


「……もう会えないかな」


 アレッシアは返事をしなかった。

 曖昧な笑みをテミスがどう受け取ったかは不明だ。

 しかし、もしかしたら、彼にはそれでよかったのかもしれない。

 この時のテミスは、王でも奴隷でもなく、ただ一人の少年だった。

 瞳にあった濁りはない。晴れやかな笑顔で、彼はアレッシアを見送ると決めたらしい。


「さようなら、天の国から来たアレッシア。俺は君に、少しだけ恋をしていたよ」

「ごめんね、そういうのはよくわからないや。でもあなた達と一緒に駆け回ったり、危険な目にあったのは楽しかったよ」


 きっとルド以外は気が気ではなかったろうが、アレッシアにとっては素敵な思い出のひとつだ。


 思い出など数えるほどもない、自分にとっては――。


 埒もない考えが浮かんだのは一瞬。

 すぐに思考を切り替えて、アレッシアもとびっきりの笑顔で応える。

 ケルテラにそうしたように、少年へ呪いを紡ぐ。


「ばいばい、テミス。いい王様になって、いい国を作ってね」


 返事は聞けない。

 何故なら別れを告げるや否や、周囲の視界が解けたからだ。

 アレッシアは今回の試練の終わりを悟った。

 だから時期がくればいつか帰れるだろうと思っていたが、あまりにもタイミングが良すぎて驚いたくらいである。

 視界が切り替わった瞬間に、アレッシアは顔を上げる。


 目の前に佇んでいたのは、運命の女神だ。


 一時的な帰還ではない。

 辺りに漂う厳粛でいて張り詰めた空気と、自然と肩を抱きたくなるようにひんやりとした謁見の間。四方八方あちこちから刺さるような視線を受け、今度こそ帰ってきたのだ、と気付いたアレッシアは、女神が何か言う前に飛び出す。

 向こう見ず、とはこのことを言うのか、その場にもう一人の従者や、神官長ソフィアに、なぜか同候補者達が揃っていてもお構いなしだ。

 避けられるかもとか、やり返されるかもとか、そもそも不敬だとかは頭にない。

 ただ全力で走り、足を踏み込ませ、片手を翻す。

 パンッ、と乾いた音を立て、運命の女神と呼ばれている女の頬を叩いた。



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