2-28.顔面力は時に危機を救う
檻に入るアレッシアに求められたのはフードを外すことだけだ。
ケルテラ、そして鎧姿から女物の服に着替えたレアと共に、小さい檻に収監されるアレッシアは、テミスに演技指導を受ける。
「君の役割は、ケルテラに抱きついてじっと口を閉ざしておくこと。他はなにも喋らなくていいから、なにを言われても黙ってて」
「本当になにも喋らなくていいの?」
「うん、なにを言ってもボロが出るだろうし、それなら黙っててくれた方がいい」
「ほんとに大丈夫かなぁ」
心配を隠せないアレッシアに、テミスは茶目っ気を含めて笑う。
「君みたいな子は、黙っている方がいいんだ。なにせ周りが勝手に誤解してくれるからね」
アレッシアは自身の見た目が優れているのは自覚しているが、それが良い方に働くのかはイマイチ半信半疑だ。なにせこれまで彼女を取り囲んできた人達の顔の威力が高すぎた。
「テミスがそう言うなら信じるけど……」
それにしても、狭い檻に三人も入ると窮屈だ。敷物すらない底は冷たいし、ぶるりと身を震わせながら、自然と温もりを求めてケルテラに抱きつく。巫女はまるで母親のようにアレッシアを抱擁し、隅に座るレアに振り返った。
「お主も抱きついて構わぬよ?」
「あたしはいいよ。それより、しっかりお姫様に随従する巫女を演じてよね」
「任せておけ。そなたこそ、従順な侍女の役目を忘れるでないぞ」
ルドは荷馬車の出発に合わせて姿を消した。テミスに言われたとおり、先に要塞に行くつもりなのだろう。
タダムの兵に扮装したテミス達に囲まれながら、馬車に揺られるアレッシアは寒さに負けぬよう歯を食いしばる。
馬車はすでに街道に出ているため、無駄口を叩く者はいない。決行時を夜にしたため、真っ暗闇の中、松明の明かりだけを頼りに進むのは不安を加速度的に煽るばかりだ。
もし砦前でテミス達の嘘がばれたら、アレッシア達は一巻の終わりだ。剣や槍で突かれてしまえば命は終了。
もしかしなくても、ロクに身動きの取れないこの状況はまずいのではないか、とようやく思い始めた頃に、街道に変化があった。
オミロスがテミスに耳打ちを行い、皆に緊張が伝播して行く。
原因は、遠目にちらほらと明かりが見えてきたせいだ。どうやら道の脇に野営している兵士がいるらしく、レアがケルテラに尋ねる。
「こんなところで野営してるなんて、どう思う?」
「砦には置いてもらえなかった、あぶれた兵士かもな。あとは通りかかった者を見張る役目か……となれば……アレッシア様、決して顔を上げてはなりませぬよ」
ケルテラが声を固くしていた原因は、野営テントの間を抜ける間に判明した。
どうやらここの兵は、夜中に荷馬車を護送する仲間の顔や用事を確認するつもりはないらしい。馬車は遅滞することなく進むし、雑な仕事には安心の一言だが、別の意味でアレッシアの心を騒がしたのは、耳に飛び込む兵士達の声だ。
「女だ……」
「女がいるぞ……」
おそらく揺らめく松明の灯りに照らされるケルテラが注目を浴びているのだろう。ここに女はいないらしく、背中がざわつくような感覚と、言葉にし難い気持ち悪さに、意図せず全身に力が入る。こころなしかアレッシアに触れる巫女の力も強く、野営地を抜けるまでの間はずっと緊張しっぱなしだ。
アレッシアが顔を上げられるようになるまで、時間はそう長くなかったが、野営地から十分離れたところでレアが舌打ちした。
「ああいう下衆の類はとっくに本国へ戻されてると思ったけど、残ってるもんだね」
「反りが合わなくて本隊から離されたと思いたいな」
そもそもまともだったら隣国を攻め立てて、お姫様を監禁したりなどしないと思うのだが、声にするのは野暮だろうか。
アレッシアは誰にも聞かれぬように呟く。
「……こういう世界が当たり前なんだろうなぁ」
自らは子供というのもあって意識が薄かったが、先の雰囲気は、明らかに女を狙った犯罪を思わせる類のものだ。命の危機は様々経てきたつもりだが、貞操の危機はまったくの別物。普段通りに振る舞えるケルテラ達と自分の常識が、根本的に異なっていることへ、アレッシアは柳眉を逆立てる。
実はコレで少しは皆の役に立てるかもと思っていたから、覚悟の違いを見せつけられたような気になったのだ。
「わかっててもきっつい……」
「アレッシア様?」
「……なんでもないから心配しないで、ケルテラ」
だがいくら落ち込もうと馬車は停まりはしない。
アレッシアも、ここでぐじぐじと悩むばかりでは駄目だと考えた。ルドを動かすための置物ではなく、自ら役に立ちたいのならば気をしっかり保たねばならない。
気を取り直すために気合いを入れ直し、今度こそ、と挑む気持ちで正面を見据える。
「アレッシア、君は顔を上げないで」
「あっ、はい……」
テミスに注意され、しゅんと項垂れるように頭を落とす。
野営地を過ぎて以降は、哨戒の兵士と遭遇することがあったが、そのたびにオミロスがうまく口を働かせる。
アレッシアはずっと顔を伏せたままだが、彼とタダムの兵とのやりとりにはずっと耳を澄ませていた。
「不審な娘がいたから捕らえようとしたら逃げ回ってな。捕まえるのに時間がかかった。いまから将軍に指示を伺いに行くところだ」
「その檻、たしか朝に出ていった連中だったか? だがお前は見ない顔だな」
「あんた達みたいにまっとうに雇われてる連中とは違うからね。見てみろよこの若造達を」
「ああ……なるほど、新兵を宛がわれちまったか」
普通なら緊張に固まってしまう場面だろうに、オミロスは動揺一つみせずに笑い飛ばす。
「そういうこった。俺も他の連中みたいに、先に帰らせてもらいたかったんだがね」
「貧乏くじ引かされたか。ご愁傷様」
「まったくだ。早く帰ってかかあの飯が食いたいよ」
朗らかに笑い合って、馬車と一行は哨戒をすり抜けてしまったではないか。すべてが終わってから、ふう、とオミロスが息を吐く。
「肝が冷えたが、顔もろくに確認しないなんて連中は随分と気が緩んでらぁ。おかげでこっちは楽できるってもんだが、門兵は許してくれるかね。なぁテミスよ」
「そう願いたいね。なにはともあれ、いきなり刃物沙汰にならなくてよかったよ」
「おめぇは剣を握るのが早すぎるんだよ。もうちっと余裕を持て」
テミスはオミロスと兵の会話中から剣の柄を握っていたらしい。よくみればケルテラも服の内側、肌に沿うようにして刃物を隠しているのを俯きながら確認できる。
計画では彼女達を餌に内部へ潜り込み、砦内の牢からを探索をはじめるというものだったが、今更ながらに「餌」の意味を正しく理解したアレッシアである。
「……え、えげつない」
女性陣を狭い檻に閉じ込めた馬車は、やがて、いつかみた岩壁沿いの坂道に車輪を差し込んだ。この道に安全柵などない。一歩踏み外せば崖下真っ逆さまで命はなく、普通なら重力に逆らえず速度を上げてゆく馬車だが、馬車のブレーキと騎獣達の力は、一度もアレッシア達の身を脅かすことなく、彼女達を砦まで連れて行った。
アレッシアはケルテラの腕の隙間から外を観察するが、砦前は多くの兵士が野営テントを広げており、その中を進むアレッシア達は注目の的だ。
年端も行かない少女や、美しき巫女の姿に疑問を抱く声が多く上がる中を、馬車は堂々とゆっくりと進み行く。
「ねぇケルテラ、砦の外にこんなにたくさんの兵が野営してるなんて、聞いてないよ」
「わかっております。ですがどうか今はお静かに」
アレッシアの予想では、人が詰めているのは砦の内部だけのはずだった。
こんな逃げにくい状況をルドが知っていたのなら一言告げていたはずだし、どう考えても予想外の事態のはずだが、生憎大声を出せる場面ではない。アレッシアは動揺を隠すように顔を伏せ、やがて馬車は砦の入り口に到着した。
当然、一同は門兵に止められる。
オミロスが代表するように足音を鳴らし、先の兵士達に告げたような口上を再び伝える。先の兵士と違ったのは、こちらの方が勤勉にも役目を果たそうという人物達だったようで……突如現れたテミス達に懐疑的に首を傾げたことか。
「ここの出入りを長くやっているが、お前みたいなやつは見たことがないんだがな」
「自分はほとんど砦に入ったことがありません。ずっと哨戒を兼ね、伝令役を務めておりました」
「懲罰隊か? いや、だとしても、そこの若い連中はどういうこった。顔が見えないが、どうみたって十代……おい、念のため兜を外せ」
アレッシアでは、檻の外の戦いに加わることは出来ない。
早くもお終いか、と目を閉じたところで、兵士達の後方から声がかかった。
「おい、遠くから馬車が見えたが、連中はなにを運んできた」
門兵よりも、いくらか身なりの立派な男達が現れた。一般兵より身分が上らしく、居丈高な男が門兵に尋ねた途端、場へ厳粛な空気が漂う。
「あ、は、はい。どうやらこちらの懲罰隊の者が、不審者を捕らえたようです。ギバ様にご指示を仰ぎたいとのことで……」
「娘か?」
「そのようで……」
男達が近くに寄ってくるから、アレッシアは興味で持ち上がっていた顔を慌てて隠した。檻の傍では男達の息づかいが響いている。
「ふむ? 巫女に、侍女……それから外套で隠れているが、身なりの立派な……」
ケルテラがアレッシアを庇うように強く抱きしめる。だがこの行動はより相手の興味を引いてしまったらしく、居丈高な男が命令した。
「おい、そこの娘に顔を上げさせろ」
「はい?」
「顔だ。棒でも何でもいい、やれ」
乱暴な物言いにはレアが抗議しようとした。
声を荒げ、狭い牢の中で、アレッシアとケルテラを庇うように前に出る。
「お二人を罪人のように扱うばかりか、なんと乱暴な……!」
熱の入った演技だ。アレッシアはつい感心しかけたが、驚嘆してばかりはいられない。間を置かず棒が檻に侵入し、強い力で少女を突き飛ばしてしまったからだ。
腹を一点に突かれたレアは為す術もなく檻に叩きつけられ、その瞬間、アレッシアはたまらず叫んだ。
「レア!」
結果として、アレッシアは男達の思い通りに顔を上げてしまった。
彼女の顔をまじまじと観察した男達が「ほう」と声を弾ませる。アレッシアは腹を押さえるレアの頭を抱えるように抱き、暴力を厭わない男達を睨み付けたが、視線だけで相手を殺せるような力は持っていない。
檻に囚われた無力な兎を前に、男は獰猛に嗤い、まるで舌なめずりするような目つきにアレッシアは鳥肌を立てる。これはついさっきも感じた、ケルテラ達を前にした男達に感じた、同類の気持ち悪さだ。
男は門兵に命じた。
「檻を開けろ」
「は?」
「檻を開けろと言ったのだ」
命じ、懐からなにかを取り出すとオミロスに向かって投げつける。地面に落ちたのは金貨のようで、居丈高な男は上機嫌に告げた。
「懲罰隊にしてはいい仕事をしたから、特別に報酬をやろう。この娘達の身柄はこちらで預かるから、後は好きにしろ」
「……は。ありがとうございます」
檻が解放される。アレッシア達は三人揃って檻から追い立てられるのだが、いざ連行されようとしたときになって、居丈高な男が呆れたように門兵に向かって手を振った。
「違う違う、お前達が連れて行くのはその娘だけでいいんだよ」
「む、娘だけとは?」
「青髪の娘だよ。世にも珍しい色なんだから、さぞお気に召すだろうさ」
え、とアレッシアが小さく声を上げる前に、レアが小さく悲鳴を上げ、ケルテラが慌ててアレッシアに手を伸ばす。焦ったのはケルテラ達だけではなく、門兵もらしかった。
「しかしギバ様の部屋に連れて行くというのは……その、恐れながらそこの娘はこ……子供、だと、思うのですが」
「ああ?」
タダムの兵の中にもまともな感性の人がいたらしいと気付いたが、後の祭りだ。男は途端に機嫌を悪くし、低く喉を鳴らす。
「まさかと思うのだが、貴様は今、ギバ様直属の私に意見しようとしたのか?」
「いえ……! し、失礼いたしました!」
居丈高な男は、門兵の訴えなど一蹴して終わらせる。
そして犬歯を見せつけるように嗤うと、アレッシアをひたりと見据え、今度はハッキリと命令した。
「その娘はギバ様へ引き渡してこい」




