2-25.神託の欠片
テミスが重視したのは情報収集だ。
無闇に砦に近づく真似はせず、まずルドを砦周辺に向かわせ、オミロス達には行商に扮装させ何処かへ出かけていった。
「こんなこと思うのは失礼かもしれないけど、変装を見破られる心配はないの?」
「オミロスに関しては大丈夫かな」
アレッシアの疑問に、自らは野営地に残るテミスは微笑む。
彼らが身を潜めているのは木々に隠れた高台だ。
街道を進んだ場所にありながら下を見渡しやすいのに、なかなか見つけにくい位置にあり、たどり着くためには足場の悪い斜面を登る必要がある。近くに天然の洞窟があったから、隠れやすさの方はそちらが……と提案したのだが、これはルドに却下された。
――洞窟は蝙蝠と虫の巣窟だぞ? それにこのあたりの地形を鑑みるに、雨が降ると中は水没する可能性がある。溺れ死にたくなければやめておけ。
アレッシアの想像ではなかなか追いつかないが、陸地で溺死するのはゾッとしない話だ。多少慣れたとはいえ虫にもうんざりしていたから、喜んで高台に移動した。
テミスはたき火の調整の天才だ。
煙が燻り遠くから発見されないよう調整しながら、アレッシアに教えてくれる。
「彼は元々商人だったから、俺たちの誰よりも交渉が上手い。俺たちみたいな素人と違ってばれる心配はないと思う」
「……商人なのに奴隷になったの?」
「本人曰く、若い頃の話らしいけどね。戦争のいざこざに巻き込まれて……なんてよくある話だから、気にする必要はないさ。彼自身も隠してない」
気にしなくて良い……とは言われても気持ちの良い話ではないし、アレッシアの心中は複雑だ。
人が人を売り買いする――歴史の授業では習っていても目の当たりにすれば複雑だ。かといって同情心を見せるのは本人達に失礼だと学んでいたし、アレッシアは「うん」と頷くしかない。
「でも、こんな森ばっかのところでも商人は来るんだね」
「戦があれば色々入り用だからね。危険だけど実入りは大きいから、何処かに必ず商隊が群れを成している」
「私も見てみたかったな」
「アレッシアは……ね」
「この髪は目立つって言うんでしょ。わかってるよ、だから大人しく留守番してるし」
髪以外にも、傷ひとつないなだらかな肌に明らかに上品な顔立ちや見目麗しい姿は、そこらの商隊にいるべき人物ではない。下手を打てば彼女自身が売り買いの対象になるのは目に見えており、高値がつくのは必須だ。取り返すのも難しくなる……とはアレッシア以外の人間が思うところだった。
彼女を守るという約束を守るために残ったテミスとその一行。この中には自身の容姿をしかと理解しているケルテラもいるが、彼らはルドを心配した。
「伴すら断られてしまったけれど、ルド様はご無事に戻ってこられるだろうか」
「心配?」
「一人で行くとなれば、やっぱりね」
「ルドなら大丈夫だよ。ね、ケルテラ」
「そうですね。あの御方なら問題ないでしょう。タヴェルの姫君の情報も必ずや持ち帰ってくれるでしょう」
「……君たち二人が言うならとは思うんだけど、心配は心配だからね」
彼らはケルテラと違い、並々ならぬ脚力で森を縫うように全力疾走し、人智をこえた力を発揮したルドを知らない。
アレッシアは棒きれでたき火をつついた。
「ルドだったら、いざとなれば空を飛んででも帰ってくるから、テミスはどーんと構えていればいいんだよ」
「はは。まるでルド様なら本当に空を飛ぶって言いたげだね」
「飛べると思うよ。本当にいざって言うときだけだと思うけど」
本心から言ったつもりだが、テミスは冗談だと受け取ったらしい。微笑を浮かべてアレッシアの話し相手になってくれるが、時折陰る表情は現状を安じきれていない証拠だ。
彼の感情をつぶさに読みとったアレッシアは明るく言った。
「テミスは笑お?」
「……笑ってるつもりだけど」
「違うよ。指揮官が不安がってるとみんなに伝わっちゃう。偉い人は空元気でも堂々としてる方が安心できるよ」
「……指揮官?」
意外な言葉を聞いた。
そんなテミスにアレッシアは頷く。
「指揮官でしょ? だって今回のお姫様救出作戦の実行者だもの」
「そういうご大層な称号はルド様じゃないと……」
「今回のルドは斥候だよ。彼を動かせるのは私だけど、私は貴方の作戦に従って動くんだもの。だからいまはテミスが指揮官で偉い人」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔……とはいまの彼のような表情を指すのだろうか。
それまでのテミスは年齢に増して大人びた雰囲気を纏っていたが、アレッシアの言葉は少年の心にある何かをついたようだ。
年相応の貌を覗かせる友人だが、それに気付かないアレッシアは深くため息を吐く。
「私はねぇ、少しだけ偉い……と思うんだけど、そういう立場だから頑張らなきゃいけないと思う時はあるんだけど、なにをしたら良いのか全然わからないんだよね」
「君、貴族じゃないっていってなかった」
「貴族じゃないよ。お世話になってる人は貴族みたいなものってだけ」
一瞬だけ脳裏にルドとの約束が思い返されたが、約束相手がいないのであっさり見切りを付ける。
「ルドもだけど、周りはすごい人ばっかりなんだ。同期も高飛車だったり、ふざけてるように見えたり、敵意増し増しだったり、なに考えてるかわかんない人だけど、上に立つって言うの? そういう資質は備えてるんだよね」
――加えて神様はなにを考えているのかさっぱりだし。
最後の言葉は言えやしないが、アレッシアとて一番幼く才能が足りない自分を気にしており。他の候補者に比べ一歩先を行ったとしても、それだけで自信を持つなど、あの大神や女神を前にすれば無理な話なのだから。
「だからねテミス」
アレッシアはテミスを見つめる。
彼女がテミスについて行こうと決めたのは、命の恩人であるとか、なぜか無性に気になるとかばかりではない。あやふやな第六感以外に、彼女自身もテミスに学びたいことがあるから要塞を出たのだ。
彼女の透き通るような眼差しは不思議な魅力がある。
テミスが背筋を伸ばしたのは、本人すら無意識だった……などとアレッシアは知らないだろう。
「私がここにいるのは、あなたに教えてもらうためなんだよ」
「俺が、教える……?」
「あなたは年齢に関係なくたくさんの仲間に信頼されてる。その生き方や考え方、これから見せてくれる軌跡に私は興味を持ってるの」
アレッシアは膝を囲う腕に力を込める。
膝に頭を傾けて微笑む姿。もしこの場に彼女の従者がいたら目を見張っただろう姿は、たしかに彼女を女神の候補者たらしめている。
放たれる言の葉がまるで神託めいていることすら気付かない。テミスはおろかケルテラ達まで身動きが取れないまま、少女の姿をした『何か』から目を離せなかった。
「あなたが見せてくれる選択を私は待ってる。だからどうか、あなたはあなたの思うままに進んでね」
そして――。
唐突に襲ってきた眠気に負け、ふわぁ、と欠伸を漏らしたアレッシアは視界を遮るように瞼を擦ると、やがて自分が注目を浴びていることに驚愕の悲鳴を上げるのだった。




