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無明戦士ボンノウガー  作者: 澄石アラン
第二鐘 飾りじゃないのよ煩悩は
28/209

05. その男、圧倒的正義につき

 ジャスティス――俺や陽子の担任にして、生徒指導の赤羽根(あかばね)のことだ。


 英語教師、赤羽根・ジャスティス・正義。

 ――そう、ジャスティスはあだ名ではなくミドルネーム。その上、ラストネームは《まさよし》じゃなくて《せいぎ》だ。

 クドい。クドすぎる。


 色白メガネで一見穏やかそうに見えるが、超頑固、超完璧主義者、超喧嘩が強い。生徒のみならず体育教師まで震え上がっている存在。

 明珠高校では、その暑苦しい名前と竹刀を持った赤ジャージ姿は、危険アラートでもあった。


「またお前か、鳴滝……今度は何だ? 言ってみろ」


 俺は耳タコの常套句を聞いて、背面に位置する赤羽根との距離感を測った。

 陽子は俺の体を盾にしてひょいと横に顔を出し、扉の方を確認するなり目を見開いて賢明に俺に逃走の意思を伝えようと袖を引っ張る。


 陽子……残念ながら、逃げられなさそうだ。

 赤羽根は以前から留年続きの俺のことを目の敵にしていた。

 当然のように俺をターゲットにするんだ、こいつは!


「返事は五秒以内、それ以上の沈黙は反発行為と見做(みな)す」


「軍隊かっつーのッ!」


 ――反発行為と見做す。

 その言葉を合図と見て、俺は叫びながら陽子の胴に腕を回し、半ば持ち上げてその場を飛びのいた。

 軸足で体をひねると、赤いジャージがなびく姿に視線が追いつく。

 俺たちが立っていた場所に鋭く着地した赤羽根。その目はすでに俺を捕らえていた。


 鞭のような音を響かせた竹刀の先端を、今度はコンクリートに擦り付けながら次の姿勢に入る。


 赤羽根の甘いマスクに丁寧に配置された切れ長の目の――眼光が一層冴えたかと思うと、下段から竹刀の先端を振り上げられた。

 耳元に空圧を感じ、小さく悲鳴を上げた俺は体勢を崩しながらも、陽子と社交ダンスでも踊るようにえっちらおっちら距離をとっていく。


「フン、今日はずいぶんと調子が良いようだ――なッ!」


 陽子もくっついているというのに、正確な竹刀さばきで俺だけに突きを放ってくる赤羽根。

 俺は偶然と紙一重で猛攻をかわす。


 そこで赤羽根の表情に驚きが見えて、その隙に俺は陽子の手を放した。

 コマのように回りながら彼女の性格同様に素直な軌道を描いて俺と赤羽根の攻防から離れていくと、陽子は目を回しながら腰を着く。


 陽子が解放された故か、赤羽根はギアをあげ攻撃の手数を増やした。


 スーツにジャージを羽織った教師然とした服装にもかかわらず、赤羽根の動きは剽悍(ひょうかん)だ。

 噂によれば、剣道七段、フェンシングでは世界大会に出場の腕前、居合いに合気道、杖道まで段を持っているらしい。

 何で教師やってんだ!


 もともと身軽さだけは自慢できた俺だが、赤羽根の運動神経には全く歯が立たなかった。

 以前の俺なら一撃目を打ち込まれて泣き言を喚いていただろう。


 でも今は煩悩ベルト、ボンノウガーの力もあって体が軽い。

 追いつく自信が――ある!


「鳴滝……?」


 俺の身体能力に及んだ変化が分かるのか、赤羽根はまたしても驚きに眉をひそめた。


「いやあ、春休み中に走り回った成果が出たなあ……!」


 嘘ではない。

 本当でもない。

 俺は込み上げる自信ににやつきながら、言葉尻では煙に巻いた。


 だが赤羽根は俺の頑張り(虚言)を認めるわけもなく、むしろ――


「ほう、ならばその成果、もう少し見させてもらおうか……!」


「何でッ!?」


 ――火に油だった。


 竹刀の持ち手をフェンシングのそれに変えるなり飛び込んでくる。

 屋上端、フェンスは近い。

 後ろにばかり下がっていられず俺は体を翻す。すると赤羽根は再び持ち手に空いていた左手を添えて横薙ぎ払った。


「んのぉッ!」


 俺の身体は剣先を避けたが、学ランが――たったの一瞬、先皮に引っ張られその勢いに俺の重心は乱されてよろめく。

 さらに大振りになった竹刀を悠長に見送っていた俺の横っ面に、赤羽根の足が振りかざされた。


 今朝の優月とのやり取りが脳裏に浮かんで、俺はとっさに同じ要領で腕を盾にする。

 だが彼女のそれとは比べ物にならない重みで押し込まれ、俺の身体はとうとう両足が浮き、なすがままにコンクリートの上を転がっていた。


 ――こいつ、今までずいぶん手加減してやがってのか……!

 いや、もしかしたら今でさえ……!


 赤羽根の強さは、俺が得たボンノウガーの力を明らかに凌駕していた。

 見返してやろうと応戦した俺の姑息な思惑は、こともなく押し潰されてしまったのだ。


「いってぇ……!」


 顔を上げた途端に鼻先がひりつく。

 竹刀の先端が振り上げられて鼻の上を通り眉間に押し当てられていた。


「鳴滝、お前は春休みに一丁目の歓楽街をうろついていたそうじゃないか。不良じみた風体をしよってからに」


「だったら俺じゃなくて後ろにいる連中をだな――!」


 俺はザ・不良グループが並んでいたあたりに目をやる。


 こっちだっけ。

 あっちだっけ。

 むこうだっけ。


 どこもかしこも、屋上の風景――青空と金網、コンクリートの床だけが静かに広がっていた。


「あれ?」


 津留岡たちは誰一人としていない。


 明珠高校の生徒であれば、知っている。

 このとおり、赤羽根は英語教師として不自然極まりない単騎戦闘能力を持っていることを。


 故に、この近接特化型眼鏡を目撃したらグループだろうが不良だろうがはたまたその両方だろうが、すぐに逃げるのが鉄則だ。

 津留岡たちはその鉄則に則って、赤羽根が俺に食いついている間に足並み揃えて退散したらしい。


 俺は(おとり)にされたのだ。


「それに付け加え、新学期早々に不純異性交遊とはいい度胸だ。ホームルームでの注意は聞いてなかったようだな」


「き、聞いてまsんdしたよ! そ、そりゃもう、聞いてま……snでsたよっ!」


「はっきり言ってみろ」


「……聞いて……ま……すん……t」


「あ? なんだ?」


「…………ぐん"ッ」


 歯の隙間から呼吸をしてすっとぼける俺の眉間に、さらに竹刀の先端が押し込まれた。


 やっぱりこうなるのか……。

 赤羽根に抵抗した末に捕まると、天誅を食らうことになる。

 俺も何度か頭もケツもぶっ叩かれたが悶絶モノ。お陰で今は二つに割れている。

 PTAから苦情が来ないのが不思議だ。


「ちち、違うんだ、赤羽根先生!」


 割って入った女神陽子の声。

 振り回されて目が回っていたのか頭を振り払い両手で頬を叩くと改めて赤羽根に呼びかけた。


「女になれって、津留岡に迫られてて! 禅はアタシを助けてくれようとしてただけなんだ!」


 陽子……お前、こんなに恐ろしい先公(センコー)に物言いしてくれるのか……本当にいいやつだな!


「何……? 鳴滝が?」


 そうだそうだ!

 陽子、もっと言ってやれ!


「だから、その……チィーッスも、本当はイヤだったけどいたしかたなくフリをしてもらったただけで、不純異性交遊とかじゃないんだよ! ただの幼馴染なんだよ!」


「え……?」


 俺は今、自分のハートががちゃりと割れた音を聞いた。


 ――イヤだったけど。


「そうか。バカとハサミは使いようと言うやつか」


 赤羽根の嫌味は耳の右から左へ抜けていった。こういうヤツだから。


 ――ただの幼馴染なんだよ!


 俺の頭の中では陽子の屈託の無い言葉が何度もリフレインしていた。


 ただの幼馴染。

 まあ、そうなんだけど。


「九条、お前に免じてこの場は引いてやる。だが、婦女子であることを自覚して、津留岡だけでなく、そのろくでなしのクズの成れの果てにも注意しろ」


「う、うん……」


 小走りになって陽子は駆け寄り、俺の腕を掴んで引き上げるなり背中をぐいぐいと押しやった。


「じゃ、アタシたち帰るから! まっすぐ、家に、帰るから! さよなら、先生!」


 肉体的ダメージよりも精神的ダメージが深刻だった俺は、校舎内から出るまでその調子で陽子に荷物扱いで運ばれていた。


 まあ、どうせこんな役回りだろうよ俺は。


 当然、俺の心には、冷たい風が吹き荒んでいた。

 この後、荒れ狂うピンク色の異常気象を知る由も無く。

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